R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(いいね順)

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無人島に描かれた『行くあてのない道』 これは一体何を示すのか。島には、戦前は要塞、戦後は戦争孤児の施設が作られた。そして、地図に描かれた道は軍道であり、トンネルは弾薬庫等の軍事施設だったのだ。今ではウミネコが飛び交う自然豊かな無人島だが、地図には今も戦争の記憶が記されている。
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『八妙神社』 変わった形の鳥居…ではなく、鳥居は崩れかけていた。これでは、鳥居が崩れるのも時間の問題だろう。その先にある『八妙神社』も無残な姿を晒していた。人の手が入らなくなってから久しいようだ。この荒れ方からすると、既に他の神社に合祀されているのかもしれない。
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こっそりお教えします。 『ヤマビル対策にはサラテクト!!』 これを足元に「ブシュー」っとスプレーします。「プシュ」ではなく「ブシュー」です。足元がベッタリするくらい思いっきり吹き付けます。すると不思議、ヤマビルが近寄らなくなるのです。
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西祖谷山村の田丸(たまろ)集落。地理院地図を見た時、立地の凄まじさに驚いた。集落は深い谷間に囲まれ、背後に国見山が聳える。集落へ至る道は、祖谷川左岸の廃道か、対岸の祖谷街道から100m下って300m登る山道しかない。しかも、ネット上にあるのは僅かな情報だ。田丸はどうなっているだろうか。
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『田丸橋』 長さ70m、高さ13.9m。T.14年に四国水力電気によって架けられた。田丸集落へ至る主要な吊橋であったが、踏み板は落ち、対岸に渡ることができない。橋の袂には仏様が置かれていた。被せられた帽子はすっかり苔生している。いつしか、ここに仏様があったことも忘れ去られるのだろう。
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『実走!酷道・険道のまとめ』について、NAVERまとめ終了に伴い、9月27日に削除します。今までのデータの保存用として、pdf版を作成しました。 リンク先に置きましたので、どうぞご自由にお使いください。drive.google.com/file/d/1B9c-gw…
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潰れた茅葺き家屋。電灯は無人の集落を照らす。炭焼き、養蚕を業合としてきた山間の集落。集落が無人になったのは5、6年前という。首都から僅か60km。それでも人はいなくなった。
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Rさんは、対岸の眠谷からご先祖様のお参りをされている。地図にあった田丸集落は、その姿を消してしまった。しかし、落人から始まった歴史、そして人の営みがあった事実が消えることはない。追手から逃れた落人が隠れ住んだ田丸は、今、再び隠れ里となって、祖谷の山中に残り続けているのだ。
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『集落を見下ろすように冬季分校が立つ』 S.40年代まで、この集落は雪で外界から隔絶された。集落内には家屋が立ち並ぶも、住むのは老夫婦の1世帯のみだ。緩斜面に広がる耕作地は、その殆どが放棄されている。獣害が酷いのだろうか。そう老夫婦にお尋ねした。すると意外な答えが返ってきた。
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『この道使うべからず』そう言わんばかりに、標識の行き先が消されている。R471・472の楢峠の冬季閉鎖が解除された。早速行ってみると、沿道は釣り客で賑わっていた。
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以上で櫃島についてのツイートは終わりです。この場をお借りして、お世話になりました船長、問い合わせさせていただいた萩市役所の方々、及びお話を伺わせていただいた島民の方にはお礼申し上げます。
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田丸集落は三方向を急斜面に囲まれ、集落に至る道は実質一本という、まさに周囲から孤立した集落であった。これだけの場所でありながら、多い時で19世帯90人もの人口があった。ライフラインの整備は困難であり、電気が来ることは無かった。そのような事情もあり、S.50年頃に無住化した。
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スレッドにします。 『小さな火山島』その島は時間厳守の島として知られ、六島憲法とも呼ばれる島の掟のもと、勤勉で団結力のある島だった。今、人口減少により島の人口は1人となったが、故郷の島の再生を目指し、島おこしに励む姿がある。小さな火山島の今を記録するために、『六島』を訪れてみた。
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『龍宮城は物語の中にだけ存在する』それは間違いだ。ここで、兵庫県が誇る龍宮城をご覧ください。
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スレッドにします。 山梨県の山奥にある"落ちそうで落ちない橋桁"。元々ここにあった橋は度重なる土砂災害で埋没し、結局は橋桁だけが絶妙なバランスで残った。この橋は林道用であったが、トロッコが通っていたという未確認情報もある。その情報を確かめるために早川町の『硯島地区』に行ってみた。
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石鎚村からは人の営みが消えた。今回訪れた黒川集落がそうであったように、住人のいなくなった集落はただ朽ち果てるのを待つばかりだ。村民の方々は、村の衰退を食い止めるために色々な努力をした。しかし、それも叶わなかった。過疎化の先に待つ未来。石鎚村は、その未来に辿り着いたのだ。
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離村時に植えたと思われる杉は大きく育ち、日差しを遮っていた。薄暗い集落内には耕作地跡が広がり、数軒の家屋が残っている。ただ、とても人の住める状態ではない。当時は、畑作を中心として炭焼などを行っていた。尾根上に位置するが清水の出る場所があり、水に困ることはなかったという。
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山の中にひっそりと佇む観音堂。この地に住む人はいなくなった。四国東部。市街地から約30km離れた深い山の中。1300年前から槙寺の存在していた由緒ある地。時代とともに消えゆく姿がここにはあった。
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お知らせです。Neverまとめ終了に伴い、【実走!酷道・険道のまとめ】についても、終了させることにしました。2013年以来、約7年間のご利用有難う御座いました。道路ネタについては、引き続きツイートしていきます。どうぞ、宜しくお願いします。matome.naver.jp/odai/213854649…
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色々調べていくうちに、その集落は『黒川集落』と呼び、既に住人がいないこと、そしてこの地域にあった『石鎚村』も、住民が僅か1人になっていることが分かった。現在の石鎚村、そして黒川集落はどうなっているのだろうか。今回は、石鎚村にあった集落のうちで、『黒川集落』へ行ってみることにした。
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祖谷川が増水すると戻れなくなる。長居せずに帰路に就いた。不安だらけの往路に比べ、余裕のある復路だった。ただ、慣れていても危ない道程であることに変わりはない。田丸の方々は、毎日のようにこの山道を行き来していた。田丸が無住化して月日が経ち、そのことを知る人はごく僅かになっている。
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高島訪島は終わった。しかし、これで終わることはできない。聞き取り会での内容を纏め、記録として伝えなければならない。そう思い、一つの資料を作成した。リンク先にアップしたので、そちらを参照ください。(見れない方はご連絡ください) drive.google.com/file/d/179GoG3…
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以上で小俣集落についてのツイートは終わりです。この場をお借りして、小俣集落について問い合わせさせていただいた浜松市春野協働センターの方々、お話を伺わせていただいた杉峰集落の方、そして石切集落のお婆さんにはお礼申し上げます。
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対岸まで渡りきり一息ついた。見上げると、斜面上部まで植林地帯が続いている。田丸集落までは、この中を300mも登り返さないといけない。それ以前に、目の間に続く崖を登らないといけない。登れそうな場所を探して、木々を手がかりに崖を這い上がる。崖上には道筋があり、田丸橋の主塔へ繋がっていた。
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人里から遥か離れた奥山。樹齢800年とも言われる大木の下には小さな集落があった。地図からは消え、人の記憶からも消えようとしている集落。住人はいなくなってしまったが、今も森の主が住んでいた。