R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(いいね順)

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スレッドにします。 『荒地の記号が記すもの』地図から消えた集落は、荒地の記号に変わった。仁淀ブルーで知られる仁淀川。その支流に人気スポットの安居渓谷がある。多くの観光客が訪れる渓谷だが、渓谷の奥地に集落があったと知る人はごく僅かだ。荒地の記号を確かめるため『池川町』に行ってみた。
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富山県にある552年続いた集落。『私の代でここを終わらせるのはあまりにも忍びない』そう仰るお爺さんは、毎日集落に通う。集落の人達は次々と山を降り、お爺さんも今は麓に住む。終わりに近づきつつあるこの集落を、緑がゆっくりと蝕み始めていた。
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かつて、萩市の沖合には、6つの島で構成された六島村(ろくとうそん)という村があった。6つの島のうち、尾島を45年前の航空写真で眺めた。海岸近くに身を寄せ合うかのように家屋が立ち、内陸には青々とした畑が広がる。鮮やかな色彩を持つ島は、何故売却されたのか。令和4年春、尾島に渡った。
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山から人の生活が消えていく。美しい光景も消えていく。
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島民たちが尾島を売却するに至った要因は多々あるが、その発端は『子供たちが島を出た』ことだった。更に言えば、寄宿とはいえ、子供たちが島から出た時、尾島の運命は決まったのだ。『売られた有人島』緑に覆われた尾島の姿。それは子供たちが出ていった島の『未来の姿』だった。
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スレッドにします。 『炭を焼くと黄金ができた』高知県幡多地域に伝わる炭焼き又次郎の伝説。全国各地に存在する炭焼き長者伝説の一つだ。いくつもの山道が描かれた地図。この何処かに、又次郎の炭窯があったという。伝説の炭窯を確かめるために、又次郎ゆかりの地である『城の川』集落に行ってみた。
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その集落に近づくと、深い霧に包まれた。集落は昭和の終わりに無人となり、朽ちた家屋が僅かに残る。それでも、集落内には立派な石碑や祠が立つ。一つや二つではなく、数多く立っているのだ。何故これほどまで多くの石碑や祠を建てるのか。そう不思議に思ったが、長居できる雰囲気ではなかった。
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『島の暮らしが終わる時』 平成7年  52人 平成12年 31人 平成17年 7人 平成22年 4人 平成27年 1人 令和3年  ?人 この島に橋は架からなかった。発電所も来なかった。そして、島の人々は島を後にした。押し寄せる過疎化は、容赦なく島の暮らしを呑み込んだのだ。
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『相島小・中学校 尾島分校』 朽ちゆく校舎。M.18年開校、S.40年廃校。S.40年、萩市は僻地教育の欠陥を補う目的で、市街地に寄宿舎を創設した。親たちも理解を示し、島の分校は廃止され、子供たちは寄宿のために島を出た。このことが島売却の引き金になるとは、誰にも想像できなかった。
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ダンジョン入口といっても、ゲームの話ではない。熊本県天草には、リアルなダンジョン入口がある。
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【未舗装酷道の458号線が全線舗装化されます】 日本最後の未舗装国道とも言われる458号線ですが、ついに全線舗装されます。今年度いっぱいは、舗装工事のために通行止めです。最上総合支庁建設部に確認しました。
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島民たちが尾島を出たことについて、民俗学者の宮本常一氏はこう書かれている。『子供たちが教育のために島から出てゆき、もう再び島へ帰らないとすれば、親たちもこの島でいつまでも苦労する必要はない。そこでついに全員、島を離れる申し合わせをしたいという』(宮本常一著『私の日本地図13』より)
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担がれなくなった神輿。この神社に人が参りに来ることはない。航空写真を見た時、ここに住人はいないと思っていた。ネット、航空写真、ストリートビュー等々、世の中には情報が溢れている。それでも、現地でなければ分からない情報がある。
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『伝説』 姫の恨みを買い、八軒以上には増えないと言われた集落。今から700年前、この集落に寺院が創建された。しかし、室町時代に寺院は火災で焼けたという。はるか昔の出来事だが、元住人の方は仰るのだ。『田圃を作る時に、焼けた木材や臼、朝鮮のお金みたいなものが出てきた』
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土砂に埋もれる学び舎。写真に写る建物は全て廃墟だ。学校、郵便局、商店、そして家屋。流域からは人が消え、建物だけが残された。それらもいずれ、朽ちる時が来るだろう。
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『集落が一つ消えた』 2本の巨木がその歴史を物語る。古くは交通の要衝として番所が置かれ、その後は林業で栄えた集落。しかし、林業の衰退とともに人は去り、ついに集落は終焉を迎えた。今も残る集落の姿は、いずれ消えゆく運命にある。
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酷道・険道をよく走る人に見られる困った病状 『標識や看板が信じられなくなる病』
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スレッドにします。 険しい山峡に位置する飯田線の大嵐駅。この大嵐駅を航空写真で眺めた時、駅からそう遠くない場所に、二軒の家屋らしきものが見えたのだ。古地図には『西山』とあるが、最新地図に表記は無く、一棟の建物だけが描かれている。『最新地図に表記の無い集落』の今を確かめてみた。
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標高1000mを超える峰々に囲まれた県道の終端。現在の地理院地図上には、何も描かれていない場所だ。かつて、ここには人の営みがあった。しかし、とある出来事がきっかけで、住人達は潮が引くようにいなくなった。今では、ここに残るものは何も無い。ただ沈黙だけが存在する。
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『これでも都道だ』 人口1396万の大都市 東京都。日本の中心とも言える東京都の道路であっても、それが立派とは限らない。
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これでも天下の国道か。長らく『開かずの国道』と言われてきた国道471・472号線の楢峠。今年も冬季閉鎖が解除されました。楽しい峠道ですが、これが国道と言うから、酷道・険道属性の方には堪らないのです。もちろん、落ちたらただじゃ済みません。どうぞお気をつけて。
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『素晴らしい集落内の道』 十津川村の奥まった場所にある集落。現住は2世帯。空き家も多いが、美しい山村の風景が残っていた。
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『有料道路はダート道』 有料道路だからといって、舗装されて綺麗な道路とは限らない。奈良市を見下ろす山の中には、こんな楽しい有料道路が存在する。
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迎えの船で萩へ戻った。売却から50年後の尾島を確かめることはできた。しかし、もう一つの疑問である『何故、尾島は売却されたのか』は解決できていない。後日、情報を求めて様々な場所を訪ねたが、関係者にお会いすることはできず、書籍での調査となった。50年という年月はあまりにも重い。
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【山間部の道路標識】 一般の人には不安を煽るアイテムでも、酷道・険道ユーザーにとっては安心させられるアイテムなのだ。寧ろ、何もない方が怖い。