R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(いいね順)

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穏やかな風景が広がる町の中心部。大入(おおにゅう)集落は、愛知県東栄町の東部、大入川沿いに位置する。天竜川水系の大入川は、他の天竜川支流と同様に険しい渓谷を成し、12kmにもおよぶ渓谷は大入渓谷と呼ばれている。大入集落は、その真っ只中に存在していた。この風景からは想像できない場所だ。
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『杉峰集落』 陽当りを求めて尾根上に集落が存在する。この地域でよく見られる茶畑の広がる集落だ。ちょうど住人の方を見かけたので、小俣集落について伺った。『小俣への道は崩れていて集落へは行けない』、『住人がいなくなったのは50年前くらいだった』、『(小俣は)とんでもないところだ』
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荒れ地にある轍を追ってみる。平坦地の先には断崖、そして海があるのだが、平坦地がどこまでも続いているような錯覚に襲われる。轍の終わりは小さな果樹園だった。ここまで来ると、集落内では消えていた波の音が聞こえる。荒涼とした風景が広がる。無人島化していく島の過程とはこのことだろう。
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実は知っていた。この広場の何処かに小俣集落への迂回路がある。それは、まるで隠し通路のようであった。先述の小俣集落への分岐には、広場といくつかの建物がある。そのうちの一つ、青いプレハブ裏に斜面を下る迂回路があるのだ。ただ、迂回路と言っても、一瞬躊躇してしまうような頼りない山道だ。
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『小俣橋』 小俣川には、想像以上に真新しい橋が架かっていた。銘板には昭和59年3月竣工とある。40年前の航空写真でも橋の存在が見られるので、これは架替え後の橋のようだ。そうは言っても、今となっては通る車もなく、橋上は堆積物に覆われている。この先、小俣橋を車が通ることは二度とないだろう。
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これが大入集落への入口なのか。県道を歩き出して約80分。地図上で唯一、山側の崖マークが途切れる場所がある。集落への入口だ。急な斜面に山道は見当たらず、植林された杉が育つ。谷側には『ゆーごーの吊り橋』へ向かう山道もあったはずだが、こちらも見当たらない。集落を目指して斜面を登り始めた。
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ご存じの方も多いと思いますが、熊本県牛深の烏帽子坑跡です。熊本県は、山も海も素晴らしく最高です。
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『ネズコの巨木』 徳久保集落を見下ろすかのように、ネズコの巨木が聳えていた。樹齢は800年と言われ、鎌倉時代から徳久保の地を眺め続けている。ネズコの巨木を見学するために色々な人がやって来たそうだ。徳久保に住む人がいなくなっても、ネズコの巨木は何も変わること無く、この地に残り続ける。
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以上で堂平集落についてのツイートは終わりです。今回お聞きしたお話について、リンク先に纏めます。最後に、いろいろお世話をいただいたKさん、お話を伺わせていただいた長谷寺、堂平関係者の方々、畑山のお婆さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。 drive.google.com/file/d/1EHTlRV…
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モノレールを辿って小さな集落へと向かう。そこに人が住んでいるのか、いないのか。これだけ便利な世の中でも、現地でなければ分からないことは数多く存在する。
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『馬岡五社神社』 斜面の上には立派な神社があった。集落の規模と同様に大きな神社だ。建物はくたびれつつあるが、綺麗に手入れされていた。現住の方、或いは元住人の方が手入れされているのだろうか。その手間暇を考えると本当に頭が下がる。神社でお参りを済ませ、小祖谷集落を後にした。
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杉峰集落から4.5km地点に頑丈なゲートがある。車で入れるのは此処までで、先は歩くことになる。林道は未舗装だが、国有林が絡むためなのか、異様なくらいに立派である。また、岩獄山への登山道にもなっているので、所々に案内標識があり迷うことはない。約4kmほど歩くと、小俣集落への分岐が現れる。
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足場の悪い斜面を登り切ると、旧来の山道が現れた。現在の地図からは消えているが、東薗目地区から大入集落へ向かう道だ。当時の面影を残す山道は、尾根を回り込みながら高度を上げる。周囲の地形は険しい。標高470m付近で痩せ尾根上を通ると、一息つける平場に出た。集落まであと僅かのはずだが…
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小俣集落は、春野町(現・浜松市)を流れる気田川の支流、小俣川沿いに位置する。近隣に集落は無く、一番近い人里からは約4km離れている。先の京丸集落にいたっては、約8kmも離れている。小俣川の形成する谷間は深く険しく、地理院地図を見るだけでも、小俣の隔絶性を容易に想像することができる。
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進むことも、戻ることもできなくなったブルドーザー。小俣集落への道の保守用として使われていたようだ。小俣橋を渡った先は、更に道が荒れた。路面には落石が転がり、至る所で崩れている。特に、沢筋では道が流されている。そんな荒れた道を数百メートル歩くと、前方に建物が見えてきた。
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分岐からは、急に道が荒れ出した。車両が通った形跡は全く無い。その理由はすぐ先にあった。路面を支えていた鉄骨が落ち、道がごっそり無くなっているのだ。脇の斜面は急斜面で登れず、川床までは高さがあり降りることもできない。僅か数十メートル先に小俣への橋が見えている…万事休すか…
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集落の神社は地理院地図に載っていない。雰囲気が素晴らしい。
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石川県の国道8号に、遠赤外線装置を使った融雪装置が試験的に設置された。ナトリウムランプの照明に見えて、これでも融雪装置だったりする。確かに、照射部分の雪は溶けて効果がありそうだ。
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『トラバース』 平場の先が核心部だった。実に頼りない踏み跡が急斜面を横切っている。足元は切れ落ち、体を支えるものも無い。足を踏み出すと、とにかく足元が滑る。おまけに、倒木が邪魔をする。まさに恐怖のアスレチックだ。距離にして100m程であるが、斜面に体重を預けながら慎重に進んだ。
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『落ちたら死ぬ』 急斜面を下る迂回路。人一人がやっとで通れる幅だ。眼下には小俣川が轟々と流れる。高さがあり、落ちてしまえば登り返すことはできない。それでも、トラロープや足元の丸太など、転落防止にはならないが通行できるように整備されている。車道の崩落後に造られた迂回路のようだ。
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地図には残るが人はいない。この地域の集落の殆どがそうであった。地図上ではいくつもの集落が点在し、賑やかそうな場所に見えた。しかし、現在この地に残るのは2世帯のみだ。『長野県小川村』
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出雲の大河に架かる長く美しい潜水橋。圧倒的な水の流れに対して、その存在はあまりにも小さかった。
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多くの方がバスを待っていました。林業で賑わったこの地域ですが、今では無住化した集落が多くなりました。今回は、雨が酷くて聞き取りもできませんでした。いずれ再訪します。
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今回の大入資料中で触れた行方不明の【太刀(菊一文字)】について補足します。Oさんの本には、『戦後刀剣類の提出を免れるために山中に隠す(盗掘される)』とあります。しかし、元東栄町長は、本の序文でこう書かれています。
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小俣集落へのルートには、杉地区からの車道と、石切、京丸集落からの古道がある。過去には石切からのルートが多く利用されていたが、この古道を歩く人は既に無く、現在は杉地区からの車道が利用されている。ただ、車道は一般車通行止なので、4kmは歩く必要がある。今回は杉地区からの車道を利用した。