R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(いいね順)

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倒壊してから間もない家屋。集落内は、ほぼ全ての家屋が倒壊し、一軒の蔵だけが残っていた。家屋跡を見る限り、どの家も立派な作りをしている。集落の環境は厳しくとも、暮らしは豊かだったようだ。離村後、山の手入れで通われる方もいたが、今では通う人もなく、集落の痕跡は静かに消えつつある。
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奥三河の伝承に、花祭と呼ばれる霜月神楽がある。大入集落にも花祭が存在していた。しかし、大入から人がいなくなると共に花祭は途絶え、花祭祭具は東栄町の花祭会館に寄贈された。花祭の始まりには諸説ある。大入では、この地に隠れ住んだ花山天皇を偲び奉ることから始まったと伝承されていた。
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地形で選ぶなら、魅力あふれる市町村とはこのことだ。
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過去から現在に至るまで、櫃島へ向かう定期船は無い。故に、櫃島へ向かうためには、個人の船、渡船等を利用しなければならない。島民の方は、今も昔も自家用船で行き来している。今回は萩漁港から渡船を利用した。渡船の船長は『今日は人が多い』と仰る。その言葉通りに、彼方此方に釣り人を見かけた。
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『櫃島』 大きさの関係で渡船は港に入れない。渡船の舳先からテトラポッドに飛び移る。小さな港だが、多い時でも100人程度の島民を支えるには十分だったのだろう。船の引揚げ場には数隻の船が放置され、脇にある倉庫は朽ちていた。この光景だけでも、櫃島に住む人は極少であることが容易に想像できた。
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87歳のお婆さんはこう仰った。『現在の石切は三世帯四名。営林署があった頃は三十世帯あった』、『茶畑と林業をやっていた。営林署にも手伝いに行った』、『お爺さんは先生で、石切の学校にも行っていた』、『子供は街に出た。今は一人で暮らしてる』、『体に気をつけて、元気にしないといけないだに』
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今回Tさんにお聞きした内容、更に周辺地区で聞き取りした内容は、大変貴重なものでした。それら内容がツイートに収まりきらないので、リンク先のPDFファイルに纏めます。ご覧になれない方は連絡をお願いします。(PDFファイル:101MByte) drive.google.com/file/d/1ku72IF…
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『石切集落』 当然ながら小俣集落に住人はいない。それならばと、帰り際に石切集落に寄って小俣についての聞き取りを行った。見事な桜が咲くお宅があったので声をかけてみた。すると、お婆さんが出てこられた。『亡きお爺さんの育てた木で、今も大切にしているだに』(画像は許可をもらって撮影)
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集落から人が出ていく。お婆ちゃんは山を降りるか悩む。若い人は集落の人達の手助けをする。様々な人の想いが交錯する。この地域での聞き取りは2年間に渡りました。お聞きした数々のお話は深く、重いものでした。時間をかけて纏めていきたいと思います。
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早速、集落へ向かう。道の入口には、ナンバーの無い軽トラが停まっていた。この軽トラは、港と集落間の荷物運搬用として島民の方が使用している。道は軽トラ程度の道幅しか無いが、他に通る車がないのでこれで十分だろう。港から約800m、木々のトンネルを抜けると、目の前が明るくなってきた。
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高知県東部。人口減少の激しい地区にある立派な神社。知名度はそれほど高くないのだが、巨木と荘厳な雰囲気が素晴らしい。このような素晴らしい神社が気取ることなく地域に溶け込み、地域住人の方々から大切にされているのが高知県のいいところだ。
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島の数箇所には井戸がある。水源の無い櫃島は水に乏しく、天水、井戸を利用している。また、電気・電話は海底ケーブルにより確保されているが、以前は燃料発電機による時間限定給電であった。そのような厳しい環境、及び定期船すら来ない利便性の悪さから、ここ20年で人口が急激に減少してしまった。
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『柵に囲まれた島』 人口8人の島。島の集落を囲むように柵が二重に立つ。猪から集落を守るためだ。10年前まで猪のいない島だった。しかし、今は猪が爆発的に増加し、畑を荒らし、人に危害を与えている。以前お聞きした話を思い出す。『昔は猿や猪を檻に入れて見世物にした。今は人間が見世物になった』
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ひび割れた石碑。学び舎で旧友が再開することはもう無いだろう。お婆さんから学校の話を聞いたので、学校跡に行ってみた。雑草の生い茂る校庭。講堂と職員室が残るが、朽ちる過程に入りつつあった。多い時で約100人いた生徒は、現在0人。この地域は子供だけでなく、住人すらいなくなろうとしている。
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教えていただいた内容を画像に纏める。町長ご夫妻は、無人化していた赤穂根島に住み、「赤穂根学舎」という自給体験施設を立ち上げられた。その後、諸事情もあり島を離れたが、完全に離れたわけではない。"有人化"、"無人化"、"人口2人"この3つのキーワードは、町長ご夫妻の活動を示していたのだ。
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『天狗の降りる木』 神社の脇に栂の巨木が倒れていた。倒れてから時間が経ち、苔生している。この木では飯塚八天狗が翼を休めたという。それ以外にも、花山天皇が御自作したと言われる木像、元々神社のあった古屋敷の謎など、大入にはいくつもの伝説が存在している。更には、花祭とも深い関係がある。
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前回のスレッドのツイートから随分間隔が空いてしまいました。現在、山の集落と、離島のスレッドを並行して準備中です。5/21ツイート目標で進めています。他、各地の現地調査も進めています。順次スレッド化していきますので、今しばらくお待ち願います。
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まるで神殿の様に、斜面の上方まで石垣が聳えていた。愛媛県の山の中。多くの人が行き交った参拝道。その沿道に集落はあった。多くの参拝者で賑わった集落は、ロープウェイができたことで運命が決まった。今、この集落に住む人はいない。ただ朽ち果て、『無』になるのを待つばかりだ。
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二つの集落は小俣京丸と呼ばれ、名だたる秘境集落として知られている。また、古い歴史を誇る隠れ里としても知られている。以前から小俣京丸は憧れの地であり、当初は京丸集落を目的地としていた。しかし、下調べの過程で、小俣集落が崩壊したとの情報を目にしたのだ。斯くして、小俣へと向かった。
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この集落は本当によく雨が降る。麓で晴れていても、集落では雨が降っていることが多い。その雨が豊かな森林資源を生み、沢山の人たちが暮らしていた。しかし、それは全て過去のことだ。
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小俣集落から人の気配が消えて、そう長くはなさそうだ。では、いつ無住化したのか。浜松市春野協働センターに確認したところでは、『国勢調査のデータにおいて、H.19年1月に1名おられたが、その後亡くなられた』ということだった。ただ、ネット上で調べた限りでは、それ以前に無住化していたようだ。
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集落内を探索した後、神社を探す。大入に神社があることは知っていたが、場所が分からない。地図では、集落外れに小さなピークがある。何となくその方向へ向かうと、植林が自然林に変わった。次々と現れる石仏、古びたお墓。奥には社が見える。地形のためなのか、社に近づくにつれて風が出てきた。
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緑のトンネルが集落の入口だった。航空写真では緑に覆われた島であるが、緑の下には当時の生活跡が残る。険しい断崖に囲まれたこの島に住んでいる人達がいたとは、今となっては想像もできない。島根県高島。
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『実川集落』 会津風土記には『飯豊・高森等の高山東北に峙ち寒早く暑遅く、双びなき幽僻の地にて本郡東北の村落ここに窮る』と書かれる。集落へ至る道は険しく、谷も恐ろしく深い。それでもS.31年には31戸200人近い住人がいた。近年は発電所を雇用の場としていたが、発電所自動化により閉村に至る。
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『集落を離れるのか、それとも集落に残るのか』集落は揉めに揉めた。多くの人が集落を離れたが、僅かな人が集落に残った。時が経ち、集落から人は消えていた。川上村で最も山深い集落とも言われる『瀬戸集落』