R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(いいね順)

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『小祖谷に住んでいるのは2世帯3人。でも、私のお爺さんが入院しているので、今は2人』、『今も(元住人の方が)ちょくちょく帰ってきている』そして、お婆さんはこうも仰った。『みんな山から出ていった。親族からも、山を降りてきたらと言われる。それでも山の方がいい』
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道路脇に放置された数台の廃車。岩城島から見えた複数の車両は、この廃車群だった。これらは、かつて赤穂根島で出作りが盛んだったことを意味している。海岸に目をやると、小さな波止場があり小舟が浮かんでいた。それにしても、小舟があるということは、この島に誰か来ているのだろうか。
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美しき流れの球磨川。しかし、球磨川をはじめとして、大雨災害により全国各地で大きな被害が発生しました。被害を受けられた皆さま方に、謹んでお見舞い申し上げます。
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酷道・険道のまとめを更新しました。旅行のお供に利用ください。 リンク先を参照願います。(PDFファイル:21.5MByte) drive.google.com/file/d/15aMSre…
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久しぶりに伊尾木川沿いに行ってきました。天ノ郷を目指しましたが、降雨で断念しました。残念。それにしても、この流域の過疎の酷さはすば抜けています。どこまでも続く無住集落は、恐ろしさすら感じます。
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国道168号、十津川村長殿地区で土砂崩れです。迂回路はありません。ドライブ、ツーリングの方はご注意ください。 twitter.com/XulPTjMQqb3CSk…
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車はないが船はある。車道はないが海路はある。その島は、多くの入り江で構成され、複雑な海岸線はまるで迷路のようだ。日本の有人離島は416。未だに情報の少ない島も多い。西彼町の『前ノ島』もそのうちの一つである。
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なお、戦争孤児施設は『高島海洋少年共和園』と呼び、S.22年に開園されたが、入園していた孤児の放火によって建物が焼け、S.28年に閉園した。現在、この無人島にはキャンプ場があり、地図に描かれた道とトンネルは遊歩道として利用されている。
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三遠南信の航空写真を眺めていた時、はるか山奥に何かが見えた。よく見ると建物のように見えるが、地図には見当たらない。その立地から山小屋程度に考えていたが、調べてみると、ここには集落があったというではないか。徳久保(とっくぼ)と言われる集落は、一体どのような集落だったのだろうか。
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赤穂根島には戦国時代に砦があり、S.26年頃までは数世帯の居住もあった。居住者がいなくなった後も出作りが続けられていたが、今は人の気配がしない。沿道にある果樹園や田圃は、いずれも荒れ地と化している。S.55年からは出作り用に週一程度でフェリーがあったが、とうの昔になくなったようだ。
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牛達の邪魔にならないように、そそくさと島を去る。常住者のいない赤穂根島は、そのうち完全な無人島になるのだろうか。それは分からない。というのも、上島町には本州・四国に接続する上島架橋構想が存在し、車道が赤穂根島を通る可能性もあるのだ。実現した暁には、赤穂根島は変化するに違いない。
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今、赤穂根島に常住する人はいなかった。出作りが行われていた耕作地も、殆どが放棄地へと変わっていた。それでも、町長ご夫妻が家畜の世話のために通われている。過去、ご夫妻は赤穂根島に住み、有機無農薬の自給自足農業に取り組まれていたが、現在は町長職もあり、島からは離れられているのだ。
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古地図に描かれた大入集落の一軒家。続報がありました。やはり家屋跡があったようです。しかし、あの険しい大入集落から更に山の中に、何故一軒家があったのでしょうか。何か理由があったのかもしれません。 chunichi.co.jp/article/445241
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この一帯に住むのは僅かに6人。最奥の集落に至っては、お婆さん一人だ。それでもお婆さんは『私は元気よ。大丈夫』と仰って、栄養ドリンクを渡してくれた。先日の台風でこの地区は孤立した。最初は残っていたお婆さんも、町からの再三の要請で山を降りた。今の時代、山で暮らすことは容易ではないのだ
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道は海岸沿いを離れ、山間部へと入っていく。すると、荒れたビニールハウスと数軒の小屋、先程まで使われたようなワゴン車が現れた。小屋の方に人影が見えたので声をかけてみる。すると、小屋の中から女性の方が出てこられた。
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25の離島から構成される愛媛県の上島町。赤穂根島は、この上島町に属している。赤穂根島は元々岩城村であったが、平成の大合併により、現在は上島町となった。上島町は、しまなみ海道の直ぐ側にある町だが、他の市町村に繋がる橋は存在しない。要は、船以外の手段では辿り着けない離島の町なのである。
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終了にあたり、今までのデータはpdf化して配布させていただきます。現在、配布準備をしていますので、しばらくお待ち願います。
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石切集落が無住化してしまいます。いずれこうなると感じていましたが… twitter.com/kendou774/stat…
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岐阜県側、集落跡の標識を登っていくと、熊野神社跡があります。話は変わって、『日本三大酷道』という言葉があります。R418、R425、R439と言われてきましたが、時代とともに道路整備が進み、そろそろ見直しの時期に来ていると思います。個人的には、このR471・472も三大酷道に入れたいところです。
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天まで続く石垣。過去には、彼方此方で見ることができたであろうこの光景。その多くは森へと還り、今ではすっかり少なくなってしまった。
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その集落は西祖谷山村(現・三好市)の『坂瀬集落』という。ネット上に情報は皆無で、現状も分からない集落なのだ。それ故、坂瀬の存在は以前から気になっていた。実は、2015年にも一度向かったが、道中の険しさから引き返していたのだ。それから4年が経過した今、再び『坂瀬集落』へと向かった。
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中井侍集落。飯田線の中井侍駅として有名だが、それ以上に、集落遠望が素晴らしすぎるのだ。緑の美しい茶畑に、斜面に切り開かれた感、家屋の配置、整然としたガードレールの傾き具合など、これだけ整った山村風景は少なくなりつつある。
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『車道の無い集落』 そこには昔ながらの営みが残り、桃源郷のような風景が広がっている。そう期待してしまうのだ。だが、それは幻想に過ぎない。今、車道の無い集落の殆どでは、住人だけでなく集落の姿すら消えようとしているのだ。地図で夢見た桃源郷。そこにあったのは『消滅』という二文字だった。
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ご存じの方、ご教示ください。この樹皮剥ぎは熊でしょうか? (明日スレッドをツイートします。少々お待ちください)
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『小祖谷集落』 中祖谷の中心的集落である小祖谷集落。しかし、多くの家屋は廃屋と化し、住人の姿はない。そもそも、今も中祖谷に残る住人は極めて少ない。少なくとも、小祖谷、坂瀬以外の集落は全て消滅集落と化している。幸いにも、"とある"お宅でお婆さんにお話を伺うことができた。