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死ぬ気でやれ、などというアホ指示しかできないクソ管理職がこの国にはゴマンといますが、彼らがなぜい続けられるかというと下の人が逃げないからです。みんな逃げればそのクソ管理職もその企業も存続できません。流動性も高まっていいことづくめです。
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個人の知的成長もシステムで考えるとわかりやすい。見る→感じる→考える→表現するの4モジュールで考えると、論理思考は「考える」に該当するけど、そこだけ鍛えても「見る」「感じる」が少なければ意味がない。だから「見る」力が大事という。
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よく「全員経営」みたいな理念を掲げている会社がありますね。不思議なのは、こういう理念を掲げているくせに経営情報を現場には開示していない、ということです。「全員経営」なのに、なぜ現場担当者に全情報を開示しないのか?理由は単純で「本気ではそう思ってないから」ですよね。
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ビジョンはなぜ大事なのか?それは「困るため」です。ビジョンを描いて現状と比較して初めて「問題」が明確になる。つまり「困る」わけです。困ると粘り強い努力が生まれます。逆にいうと「困ってない人」は努力もしないし周囲も助けられません。
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きたきたきたきた。
gendai.ismedia.jp/articles/-/690…
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当たり前のことですが、思い描いていないこと、は実現しません。いつか「スカウトされてデビュー」みたいなことってあり得ないんですよね。ボンヤリ毎日生きてたら、そのまま袋小路に入るだけです。
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「逃げろ」というツイートに対して「責任」に着いての質問がかなり来てます。面白い。では、まずは「責任」について定義してから反論してください。きちんと定義できたら哲学史の教科書に載ると思いますから頑張ってくださいね。責任って虚構の概念ですから。
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ハンナ・アーレントはギリシア語に「意志」という概念がない、と言ってますね。「意志」という概念は近代の発明だと。意志がない、つまり仏教的に言えば「縁」によって決まっているということです。誰の意思でもなく、そういうことになった。必然と偶然のあいだ。そんな世界で責任は成立しません。
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責任という概念はなぜ生まれたのか?シンプルです。怒り狂っている人をなだめるためには、スケープゴートを見つけて血祭りに上げる、つまり誰かが「責任」を背負わなければならないからです。そうすることで「終わりにする」ことができるんです。一種の社会的発明ですね。
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体罰を容認するのは戦争を容認するのと同じだと思ってます。言葉の力が弱い人はいつも暴力に頼ろうとする。これは教養の問題です。
法律で体罰禁止」に納得できない日本の親、世界の常識との深刻なズレ diamond.jp/articles/-/223…
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「美の競争優位」を高めるために「感性を鍛えるのが重要だ」と言われますが、感性なんて既にみんな持ってます。ただ「好きなモノ・コト」を堂々と「好き」と言えてないんです。元より自分の本音を口に出して言えない人が感性を高めたって意味がありません。どうせ周りに付和雷同するだけなんだから。
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なぜ「逃げる」のが大事かというと「逃げない人」の多くは「適当にやり過ごす」ようになるからです。結果は無残としか言いようがありません。そのような人ばかりになった組織は不活性状態に陥って企業価値を失い、所属する個人は無為な「消化試合人生」を送って市場価値を爆減させることになります。
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いわゆる「ムーアの法則」は人にも当てはまります。毎年少しずつでも良くしていけば、年数の複利で効くのでやがて大きな変化になります。語学とか楽器が典型ですね。一年やっても大して成長実感は得られないけど地道に十年続けてるととんでもない高度に至る。「手っ取り早さ」は谷底への道です。
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三日坊主でいい、と自分にいつも言っています。三日坊主を責めてるとそもそも自己嫌悪で「始めること」そのものが嫌になってしまいます。三日坊主でいい、それを何度もくりし返してればいつかは高いところに登れる、と思っていて良いと思います。
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子供がクレヨンで好きな絵を描くように、大人たちもビジネスをするようになれば、もっと世の中は瑞々しい多様性に満ちたものになると思うんです。いま見習うべきなのは子供です。ニーチェも言ってますね、「超人とは幼児だ」って。
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世の中の変化を天気みたいに思ってる人がいるけどそれは間違いです。天気は自然に変わるけど、世の中は自然には変わりません。世の中の変化は必ず「変化を起こそうとする人」によって引っ張られています。世の中の変化を引っ張るか、世の中の変化に引きずられるか。両者には天地の開きが生まれます。
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これは自戒を込めて書きますけど、年末になると「来年はあれしよう、これしよう」といろいろ考えますが、やりたいことと同じ数の「止めること」も決めないといけません。資源には限りがありますから「選択」と「捨象」は一体でやらないと結局は今年と同じ一年を送ることになります。
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チャンスに恵まれない、とボヤいてる人が居ますけど、チャンスって後から振り返った時に初めて「チャンスだった」ということがわかるんです。だいたいそん時は「すげえタイヘンな仕事」「すげえメンドーな仕事」でしかないので、それを避けてるとチャンスは絶対にやってきません。
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論理では勝てない、正解には価値がないと指摘すると「ではどうすればいいんですか?」という質問をする人がいます。その質問への「正解」にまさに価値がないと言ってるのに、なぜそんな質問をするのかな、と。正解を外に探しちゃうことを止められない。一種の病気ですね。
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まずは事例を見せてくださいオジサンというのが企業社会には大量に観察されます。事例があるということは、すでにそれをやっても優位性に繋がらないということですが、どうもそういう風には考えず、上司に「みんなやってるんです」と説明したいようです。ウチの小学生の子供と似てます。
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「真面目さ」には二つのレイヤーがあります。社会や組織から与えられる規範を疑わずに従って生きていくというのは「真面目さレイヤー1」。自己の内面に湧き上がる喜怒哀楽に従って生きていくのが「真面目さレイヤー2」です。これは一般にワガママと言われますが実はレベルの高い「真面目さ」なんです。
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哲学は役にたつのか?答えは「その人次第」です。「自分で考えて生きる」こと目指す人であれば必ず役に立ちます。しかし組織や社会のルールを所与のものとして、そのルールの中で勝ちたいと思う人にとってはあまり役に立ちません。
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この多様性の時代に「男系後継者に限定する」のは時代遅れだ、という意見がありますね。ではこういう反論はどうでしょうか。この多様性の時代に「男系後継者に限定する」という独自文化を否定し、グローバルの価値観を一方的に押し付けることこそ画一的であり、まさに多様性の否定ではないか、と。
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Leicaとコンデジ。エアコンと暖炉。クオーツと機械式。ミニコンポと真空管アンプ。共通項は「便利なモノほど安い」ということ。「便利さ」で競争優位を作ろうとする企業が日本には多いけど「便利さの追求は利益ゼロに至る袋小路への道」です。「便利さから豊かさ」へのシフトが必要。
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身分制度廃止も国民皆教育も女性参政権も150年前には「無理、不可能、あり得ない」ことでした。これから150年後、いま「無理、不可能、あり得ない」と言われて実現してるのは何かを考える、実現するために社会に働きかける、ということをしていきたい。