松本創(@MatsumotohaJimu)さんの人気ツイート(新しい順)

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聞いているというか、自分も世代的に、それが色濃く残っていた時代の新聞の社会部文化を経験しているので、自身の実感でもある。そして、新聞への疑問や違和感を持ち続け、結局なじめずに辞めた一因にもなっている。
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自分はいくつかの記事で「大阪ジャーナリズム」を懐旧するような記述をしているが、別にそれが素晴らしいものばかりだったとは思っていないので、念のため。事件報道偏重は多くの報道被害や人権侵害を生んだであろうことは容易に想像できるし、いわゆるホモソーシャルな世界であったことも聞いている。
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というわけで、新聞社における「政治部文化」の浸食、テレビ局における「政治報道のバラエティ化」が、大阪マスメディアにかつて存在した社会部主導の「大阪ジャーナリズム」を変質…というか、事実上消滅させたことが、維新首長に極端に甘い報道の構造的要因だと思う。
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バラエティ番組というのは、コロナ対策の追及や首長批判の視点は基本的になく、ゲストに招いて気持ちよくしゃべらせ、「場を回す」ことを重視する。芸人をコメンテーターに置き、日々「頑張ってくれてはる」首長からちょっと面白い発言や庶民的なキャラを引き出すことができれば成功だ、ぐらいの認識。
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これが今も続き、コロナ禍以降の吉村知事の異常な頻度のテレビ出演、無批判・無検証な発言垂れ流しにつながっている。ただ、制作者側に強い意志や明確な方針があるわけではなく、「彼を出しておけば番組が成立する」「視聴率もそこそこ取れる」という程度の、いわば「惰性」に流されている感がある。
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そこには、橋下氏がバラエティ番組のタレントだったがゆえの「身内意識」があることは、だれはしで指摘した。また、別の証言者が語ったように「縁遠かった政治取材をやってみたら、案外『できてしまった』。視聴率も上がった。それで自分たちにもできると単純に盛り上がった」というのもあるだろう。
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一方のテレビは、だれはしの証言者が語った状況に近い。報道局ではなく、バラエティ番組を作る制作局や制作会社が、それまで縁遠かった「政治」をさわり始め、政治家を「庶民の人気者」という感覚で、自分たちの番組や時間枠に出演させた。批判的視点はなく、「頑張ってくれてはる」と持ち上げ続けた。
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実際、大阪の府政・市政担当の新聞記者は、政治部出身や大阪から政治部へ行って戻ってきた人が少なくない。彼らの中には現在のこのような感染拡大状況においても「吉村知事は頑張っている」と考える人がいると聞く。「突き放し、冷めた目で見る」なんてことはなく、一体化してしまう「政治部しぐさ」。
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取材の視点が固定化され、情報の出所が「上から」に一元化されてしまった。これは『世界』のルポやHBO対談で言及した三点のうちの「現場がない」問題。先の証言者は「政治部の記者は政治家を突き放し、冷めた目で見る」と言うが、そうだろうか。政治部の方が情報源である権力と一体化しているだろう。
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橋下知事誕生以降、在阪メディアにもたらされた一番大きな変化はむしろ、東京にしかなかった「政治部文化」が持ち込まれたことだと思う。権力者や政界の実力者に日々ぶら下がり、その声を聞くことがメインの仕事になってしまった。役所の廊下が「現場」になり、市井の声や生活を丁寧に追わなくなった。
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「大阪には政治部がなく、社会部が政治取材をするから政治家を相対化できない。庶民の人気者を追いかけ、社会現象として報じるからメディアの熱狂が生じた」という趣旨の証言がだれはしの中にあるが、これは橋下府知事誕生直後の一時期もしくは現象の一面しか説明していないと自分は考えている。
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前RT>民放各局とNHKに出るのは「公務」だけど、DHCテレビに出るのは「政務」だから、という理屈なんだろうね。そりゃ政治家個人としての思想信条や主張は自由だが、札付きのヘイト企業がオーナーのネトウヨ番組に出るような人間が行政の長=知事をやっているということは、もっと認識されてもいい。
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連日、権力者に「密着」しながら(それができる労働環境を与えられていながら)、その主張や政治手法への評価も、分析や見解を示すことも一切なく、結果として生じた「分断」を嘆くだけ…みたいな誰でも言える内容を署名の総括記事でよく書くな、と。だからあの新聞の部数が減り続けるのだと思う。
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「現場がない・時間がない」中で一生懸命、取材対象の権力者に「密着」するものの、「思想がない」ために結局、権力者を軸とした「傍観並立」の記述となり、せいぜい「分断」を憂えてみせるのが精一杯…みたいな記事を読んだが、バカらしいので貼らない。
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あの理不尽さ、危うさを経験的に知っているから権力者が敵視し攻撃を煽る先にいる人、マスメディアぐるみで作られる世論に飲み込まれる人の側にできるだけ立ち、その声を聞き、実情を伝えることをしたいと思っています。おわり。
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「敵認定」された側にすれば訳がわからない。急に引きずり出され、敵だ悪者だと指弾され、それに同調する世論が大津波のように押し寄せてくる。先の記事を書いた2011年当時、たまたま平松氏に近い所にいた自分は、あの理不尽さ、何を言っても届かない無力感、波に飲まれる恐怖の感覚が忘れられない。
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最近で言えば、維新の「ファクトチェッカー」も似たような手法。大阪府市のコロナ対応に批判的な府民・市民のツイートを晒し、「ファクトチェック」と称して「維新の敵」認定と責任回避を図ろうとした。これは『世界』にルポに書いたように、大失敗しているが。
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「敵を作って攻撃する」とは、橋下氏が府知事就任時から散々言われてきたが、なぜそうするかというと、問題の責任を一カ所に押し付け、悪いのは公務員だ労組だ教委だ文化団体だ生活保護受給者だ大阪市役所だと「既得権益」を指弾し、対立の構図を作れば耳目を引き、多くの人が同調する社会だから。
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そして、これは自己弁護や正当化だけでは不十分で、「敵」を設定し攻撃する物言いとセットになって、より耳目を集め、アピールできる。「前任者が膨らませた負の遺産を自分は払拭する」「〇〇党にはできないが、自分たちにはできる」「こんな改革や政策を考えているが、反対者がいてできない」など。
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嘘でも詭弁でも、すり替えや責任逃れでも、前言撤回や約束違反でも、恬として恥じることなく、非は決して認めず、自信満々に強弁すれば、なんとなく通ってしまう。メディアによっては、これが「論破」したり、「追及を交わした」り、「議論は平行線」ということになってしまう「最凶の言論術」。
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繰り返されているというより、彼がマスメディアやSNSを通じて蒔いた種が政界や社会に根を張り、定着したというか。
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10年前のその記事。彼が府知事から市長に鞍替えする選挙前に書いた一本で、後にだれはしの一部となった。全文読むには有料登録が必要だが、冒頭だけ読み返しても、この「最強(凶)の言論術」は今も繰り返されていると感じる。gendai.ismedia.jp/articles/-/273…
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前RT>「権利の前に義務を果たせ」「文句言うな、批判するな」「周囲に迷惑かけるな」「空気を読んで全体に従え」「目上の言うことに逆らうな」「個人の自由より社会の秩序」「おまえの困窮は自己責任」「苦しいのはみんな同じ」「少々苦しくても我慢しろ」みたいなことかな、本邦の道徳教育。
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「すり替え、詭弁、責任転嫁」とは、彼の師で同番組の「総合解説」を務める橋下氏について10年前に書いた記事の見出し。彼らに一貫する悪質な〝言論術〟も問題だが、権力者をテレビに出しまくり、記者や専門家も置かず、ノーチェックでペラペラしゃべらせるばかりだと、どんどんこうなっていくよね。
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昨日のテレビ発言に、こういう指摘も既に出ていた。設置期間「2年間」て書いたある。 twitter.com/k1225jp/status…