1960年代になってアメリカの貝類学者たちが検証し直し、伯爵夫人の歿後、博物館の後片付けに関与した僧侶ジョン・ライトフットこそ真の著者と結論づけました。この人は植物・貝類学者で、ソランデルの書き残したメモを整理していたことがわかっています。このため現在ではライトフットの著作と見なす…
本当の著者が誰かわからないという問題がありました。その著者は長い間、やはり伯爵夫人の生前に親交があり、リンネの弟子でクックの探検にも同行したダニエル・ソランデルだろうとされてきました。しかし彼はこの本の刊行の4年前(1782)に亡くなっており、著者となることは不可能です。その後、…
植物学者でもある彼はベンティンク夫人とガーデニングについて頻繁に情報交換していました。もう一人は世界一周に2回成功し、ハワイ諸島を発見した探検家ジェームス・クック船長です。伯爵夫人が持っていた標本の多くは、クックから貰ったとされています。ところが、この本は無記名で出版されたため…
マーガレット・ベンティンクという伯爵夫人が私設博物館を設けていたのですが、彼女が世を去ったあと閉館され、所蔵標本はオークションにかけられました。この本はその販売目録です。因みにこの人のお友達が凄いメンツで、一人はフランス革命の功績者ともいわれる哲学者ジャン・ジャック・ルソーで、..
台詞の蓋然性と妥当性を、貝類分類学の立場から検証すべく方針変更しました。そのためにはまず、サザエの学名 𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴 の原記載を見ておこうと考えました。それはカタログ・オブ・ポートランドという、ジョン・ライトフットが1786年に刊行したとされる本に含まれています。当時...
東條が交わしたサザエの激論は、紛れもない史実なのです。ならば天皇はその時、実際には何と答えたのでしょうか? 映画に現れたサザエの学名と命名者についての発言が、本当になされたのでしょうか? 一番知りたいのはそこですが、残念ながら私は明確な記録を見出せませんでした。そこで私は、その..
東條は陸軍をサザエの殻に喩え、殻を失ったサザエはその中身も死に至ると述べた、と確かに明記されています。このことは歴史学者保阪正康の著作でもやはり史実として言及されています。さらに映画の原作者半藤一利も「サザエの会話の記録が確かにある」と明言しています。したがって降伏を巡り天皇と..
日本貝類学史上最大の事件であることは間違いありません。私は、果たしてこれが実話だったのか気になって仕方がなく、映画は一応最後まで視終えたものの、急いで研究室に戻り、史料に当たってみました。するとすぐ出て来たのは、細川護貞という人による当時の日記です。問題の8月10日の部分を見ると..
いう、普通なら貝類分類学者しかしないような発言が飛び出たのです。叱られた東條は「しまった!」とばかり顔を顰めて「不適切でございました!」と詫び、退散します。映画では東條はこのせいで天皇の翻意に失敗し、日本の降伏への最後の大きな障壁の一つがクリアされたかのごとく展開します。つまり..
映画の通りなら、太平洋戦争を終結させて戦後日本への最後の扉を開いた鍵は、サザエの学名とその命名者を巡る議論だったとの解釈も可能です。一国の運命を左右するギリギリの局面で皇帝と軍のトップが、よりによって貝の学名の議論をしていたなど、世界史上でも類例のないことでしょう。少なくとも..
「サザエは学名をトゥルボ・コーニュトゥスといい、18世紀に英国のジョン・ライトフット尊師が命名したのだ。お前はチャーチル首相がサザエを食す姿を想像できるか。スターリン元帥もトルーマン大統領も、サザエは殻ごと捨てるだろう!」何と、サザエの学名と、それをいつ、どこの誰が命名したかと..
すっかりリラックスしていた私は「何?今サザエって言ったか?」と感覚のギアが俄かに上がり(職業病です)、本木雅弘が熱演する天皇が何と答えるか集中しました。ところが天皇の返答は、作中の東條にも私にとっても、想像の遥か斜め上をいく予測不能なものでした。天皇は激怒してこう言うのです。...
東条英機陸軍大将が、天皇に降伏を翻意させるべく宮中に単身乗り込み、反対意見を奏上します。その場面で東條が放った台詞は「陛下のお好きな生物学に喩えて言えば、軍はサザエの殻と申し上げてもいいのであります。殻を失ったサザエは、その中身も、死なないわけには参りませぬ!」でした。それまで..
物語の背景は画像に示した通り、日本人なら誰もが知る歴史です。映画では中盤で、連合国に降伏を迫られて極限状況に追い込まれた日本の首脳の描写がなされ、やがて8月9〜10日未明にかけての御前会議で、天皇がポツダム宣言受諾を決意する光景が現れます。その翌11日、その決定を不服として、…
番宣が現れたので、私は「なら視るか」と横になりました。始まった映画は、1945年春から8月15日の終戦まで、太平洋戦争末期の日本の軍部・政府そして昭和天皇の状況を史実に基づいて描いたものでした。私は作品の完成度の高さに引き込まれ、退屈せずに視続けました。.. eiga.com/movie/81487/
講義等では話していますが)、サザエが新種だと私が気づくに至った経緯をご披露します。これはまさに #新種発見のエピソード ですので、バブウンサイさん@Baboon_saiが考案されたこのタグを使用させていただきます。 2016年8月14日夜、文字通り盆も正月もない生活の私は、平常運転で研究室の標本や…
文献をいじった後、20時55分頃帰宅しました。時間を正確に覚えているのは、そのタイミングこそがサザエと私の運命を変えた要因の一つだからです。私はいつも通り、自室の灯りに続けてテレビを点けました。朝視ていた、テレ朝系のままになっていて、画面に映画「日本のいちばん長い日」この後すぐ!と..
サザエの話、いきます。4年前、「日本のサザエは新種」と報道されたことをご記憶の方もおられると思います。しかし、その話の元になった論文が、当会が発行に参画しているMRへ掲載されたことはあまり知られていないので、まずその宣伝を。 doi.org/10.1080/132358… 今日は、活字では未公表の(大学の..
このところ、当アカウントが「公式」であるにも関わらず、中の人(福田)の主張が目立つ、とのご意見が内外から伝わってきていますので、昨日(7日)、当会では会長以下役員会で今後の対応を協議・検討しました。この結果、①プロフィール欄の表記を実情に即して変更する、②分類学上の情報などは…
謎のまま、闇から闇へと消え去ってしまうかもしれません。ヒミツナメクジはとても愛らしい、小さなお化けの子どもみたいな外見を呈するものの、同時に、触れようとするとふっとかき消えてしまいそうな、言い知れぬ儚さを私は感じずにいられないのです。
今日はサザエのお話を書こうかと思ってましたが、一昨日のヒミツナメクジを「なにこれかわいい」とお絵描きして下さった方もおられ、マンボウ博士に至っては #ヒミツナメクジチャレンジ なんて妙なタグまで作ってくれて、折角なのでその発見の経緯などご披露します。時は29年前の1992年まで遡ります。
ヒミツナメクジ科は俗にいうカタツムリやナメクジ等を含む汎有肺類に属し、いわゆるウミウシとは一線を画すので、「陸ウミウシ」という呼称は不適切で混乱を招くだけです。ヒミツナメクジも私はうるさいよ、だって第一発見者&記載者(共著ですが)だもん。その発見の経緯もいずれここに書こうかな。 twitter.com/reraku/status/…
説明するのが面倒だったので、「我々は抜けます!」と言い切ったら、また場内全体に特大の爆笑が起こり、質問者も満面の笑みで、親指を真上に向けた腕をまっすぐ我々の方へ掲げてくれたのを今も鮮明に思い出します。 以上、肉抜き話あとがきでした(短く終わるつもりがまた長くなってしまった)。
ではなく、貝殻を集めて愛でる人だけだったことになります。ちなみに、上記の辛口査読コメントをくれた人は私も面識があり、対面では常に素晴らしく社交的で親切なことで世界中に知られています。ベルギーでの我々の発表の時もその場にいて、質疑応答の際に「僕の経験では新腹足類(バイ、ツブ等)を..
抜くのは難しいと思うけど、どう?」と質問してくれました。壇上でそれを聞いた私は、ツブはあまり得意でないので困って隣の芳賀君に「どう答える?」と聞いたら(その間も会場からは「あいつら何か相談してるぞ」と笑いが起きてました)、彼は「大丈夫ですよ、抜けますよ」と囁き、私も英語で細かく..