連鎖の上にようやく見出され、関わった全ての人それぞれの努力の積み重ねや邂逅によって、初めて記載命名が成就するのかもしれません。 #新種発見のエピソード
𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴の原記載を見ようなどとは思わなかったに違いありません。相互にまるで無関係で、時代も場所も関与する人物も異なる様々な出来事が、まるで惑星直列並みの奇蹟で連なったことで初めてサザエは学名を獲得しました。しかし考えてみれば、あらゆる新種は、様々な奇蹟の…
思います。 最後に。終戦間際の東條英機が天皇の前でサザエの名を口走らなければ、それが映画に描写されることもありませんでした。そして5年前のお盆に、その映画がテレビ放映される直前に帰宅しなければ、多分私は今も視聴の機会がないままだった可能性が大です。その場合、わざわざ…
の名前と所属を決定し、他者へ伝えて情報共有することは決して容易でなく、むしろ様々な困難を伴います。サザエを巡る混乱はその好例です。したがって生物に関する我々の知識は今なお甚だしく不完全で、偏見や錯誤も多く混入していることを、多少とも自覚した上で自然界に臨む方がよいだろうと私は..
サザエは、日本ではあれほど広く知られているにも関わらず未記載種であり、新種として記載命名する必要があると判明しました。そこで私は2017年5月16日付で公表された論文で𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘴𝘢𝘻𝘢𝘦と命名し、これでようやくサザエは有効な学名を獲得したことになりました。私たちが毎週日曜夕方の..
アニメでその名を聞いているはずのサザエすら、つい最近までアイデンティティを把握し切れていなかったのです。しかし同様の例は他の分類群でも少なくはありません。誰かの命名や同定が、多数の人を介して伝えられる間に、思い込みや勘違いが混入して伝言ゲーム化することもあります。目の前の生物…
その後の、近年までに刊行された関係文献を徹底的に調べたところ、サザエまたはナンカイサザエを指す学名は全部で8つ存在し、そのうち2つはサザエを指しているものの、それぞれ異なる理由で有効名とはなり得ません。結局、サザエに対して使用可能な学名は存在しないことが明確化されました。つまり…
できなくなりました。さらにその後、𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴は実はインド洋のモーリシャス周辺の固有種と判明しています。しかしいくら名前が実態にそぐわないとしても変更の理由にはなりません。結局𝘛. 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴はモーリシャスの種の学名であり、日本のサザエには使えません。…
同じ学名を同時に与えてしまったわけです。複数の別種に対する同じ学名、つまりホモニムです。また、同一文献で複数の名が同時に記載された場合どちらが優先されるかは、その後に刊行された文献のうち、最初にどちらかを選んだ著者の決定に基づく、と国際動物命名規約で定められています。それに相当…
𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴という学名とともに2つの図があり、その一方(左下、fig. 33b)は日本のサザエの無棘型で、シーボルト採集と記されています。ところがもう一つの図(左上、fig. 33)は似ても似つかぬもので、日本のどこを探してもこんな種はいません。つまりReeveは、異なる2種に…
サザエが現れたのはイギリス人Reeveの1848年の図譜(右)であり、その図は紛れもなく我々がよく知るサザエですが、学名は𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴とされており、これこそが最近まで連綿と続いてきた誤同定の源泉でした。ところがこのReeveの本には、更に奇怪な図と記述が掲載されています。…
何なのでしょうか? 私は18世紀後半以降の𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴が登場する全文献の見直しを余儀なくされました。しかし、その時代のどの文献を見ても、肩の棘が短くて複数列あり、中国産であると記されています。つまり例外なくナンカイサザエで、サザエは登場しません。初めて西洋の文献に..
ないことで、上記2文献は日本にない稀覯本です。2010年代になってネット上のデジタルアーカイヴが発達し、誰でも簡単に電子ファイルを閲覧できるようになるまでは、内容の確認は極めて困難だったのです。ともかく、従来のサザエの学名は誤りであることが判明しました。ではサザエの適切な学名は..
しかもその本文には「中国産」と明記されています。驚くべきことに、従来ずっとサザエの学名とされてきた𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴は、実は別種ナンカイサザエを指していたのです。私以前には誰も原記載を再確認した人がいなかったために、この混乱が生じてしまったようです。しかしそれは無理も...
(Davila, 1867: pl. 5, fig. I)で、この図(画像左:原図を左右反転)に対して𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴の名が与えられたことになります。しかし、私はこれを見たとき我が目を疑いました。なぜなら棘は狭くて間隔が狭く、肩に2列描かれており、明らかにサザエではありません。...
両種の分布は、サザエは北海道南部〜九州(岩手県を除く)と韓国南部に固有で、ナンカイサザエは中国南部と台湾に限って産出します。その間の南西諸島や、黄海・渤海にはどちらも見られません。両種はDNAの解析の結果、互いに姉妹種(共通祖先から分かれた2種)の関係にあると判明しています。…
サザエ後篇。さて、せっかく原記載まで見たので、この機会に私はサザエの分類の歴史を回顧してみようと思い立ちました。画像は私の論文が公刊された時点(2017年5月)までの、サザエとその姉妹種ナンカイサザエの分類上の扱いです。リュウテン科リュウテン属サザエ亜属に.. doi.org/10.1080/132358…
しまった、原記載の書名を間違えていました。正しくは「カタログ・オブ・ポートランド・ミュージアム」でした。訂正してお詫びします(他にも誤字脱字はありそうですが)。
不思議はないのです。その点で映画「日本のいちばん長い日」は、時代考証を僅かに誤ったとはいえ、貝人昭和天皇のリアルな姿を描き出すことには成功したと言えるでしょう。これでひとまず、当初の私の疑問は解決しました。しかし、本当の衝撃の展開は、ここからだったのです。(次のスレッドに続く)
途切れることなく崩御まで続き、貝に関する記述はこの実録の中に381回も登場します。つまり昭和天皇の生涯は常に貝類学とともにあったと言えます。このような天皇ですから、東條がサザエを比喩として持ち出した時、「サザエの学名も命名者も知らんやつが下らんことを言うな!」と激怒したとしても、…
される」、「分類を試みられる」とあり、これが最初の記述だそうです。そして明治44年11歳の時には益々貝にのめりこみ、朝も夕も寝る時も食事の間も貝のことが頭から離れないようだとか、貝に熱中しすぎて困るのでブレーキをかけねばならぬ、とまで書いてあります。天皇の貝類学への情熱はその後も…
リアリティがあるのです。なぜなら、昭和天皇は実際に、熱狂的な貝人だったからです。2015年から宮内庁による「昭和天皇実録」が発刊されましたが、知野光雄氏がこれを精査し、天皇と貝類学の関わりに関する記述を調べ上げた報告があります。それを見ると、明治39年、天皇5歳の時に、「貝拾いを…
つまり映画での台詞は原田眞人監督(脚本も担当)が時代考証を誤ったわけで、図らずもそれが創作であることの動かぬ証拠になっています。私が一瞬夢見た「サザエの学名の議論が、日本の戦後への道を開いた」という物語は、残念ながら空想の産物でした。しかしそれでもなお、映画の天皇の台詞は一定の…
きました。一方、1967年以降はライトフット説が優勢です。重要なのは、命名者をライトフットと見なすようになったのは1960年代以降に限られる点です。ここで、映画の天皇と東條の場面を思い出して下さい。あれは1945年の設定です。当時の天皇がライトフットという名を口にする可能性はありえません。..
のが通説です。つまりこの本は、時代によって誰が書いたかの解釈が変化したわけです。画像は Ozawa & Tomida (1996) によるサザエの論文にある学名の異名表で、歴代の文献がサザエの学名と命名者をいかに表記していたかをまとめたものです。1934年以後、戦後しばらくはソランデルが命名者とされて…