#アニメカウボーイビバップを語る 実写配信が決まったようなので思い出話を。 サンライズ時代自分が一番放送枠を取るのに苦労した作品。 #エスカフローネ を制作した第三スタジオは、サンライズでは最強のチームだった。その歴史は #ボンズ に引き継がれ、後に生み出される作品を見れば明らか。
#サンライズを語る #ガンダムを語る  1stガンダム以降、Z.、Z Z、逆シャア、0080、F91、0083、とリアルガンダムを制作してきたが、往時の売り上げには中々届かない中、SDガンダムと言うある種際物が市場を賑わせるようになった。瞬間リアルプラモの4倍もの売り上げにサンライズは恐怖した
#ガンダムを語る 3-⑥安彦さん離脱、放送打ち切り、更に緊急事態はセル泥棒!夏の後半位からスタジオの前に捨てたゴミ袋から、廃棄リテークセル画が盗まれる事態が頻発。近所から苦情、中身が分からない様に捨てても、破って持って行く。完全に切り刻んで廃棄した。すると、今度は何とスタジオに!
久々の #ガンダムを語る 日本サンライズの旧本社ビルがとうとう解体され始めたらしい。1979年4月初めて面接を受けたビル。初めてガンダムのポスターを見たビル。サンライズの歴史を刻んだビル。エレベーターの無い5階建て。思い出は何百階も。本当にお疲れ様でした。 後は皆の素敵な思い出に。
1993年某日、サンライズがバンダイへの株譲渡をする話しを聞いたのは銀座の風月堂であった。 社長以下専務、常務の三人に呼び出され、傘下に入ると。 まさに、晴天の霹靂、玉音放送であった。 昨日までプロダクションは自立してこそ良い作品が生まれる。独立独歩の精神こそ根幹。 #サンライズを語る
#サンライズを語る 既に30年近く経った。Vガンダムの放送中、Gガンダムの企画中に株譲渡は発表された。 今これまでの歴史を振り返ると、バンダイグループに入った事は成功だったのだろう。 しかしグループ入りしていなければ、Gガンダムはあそこまで振り切れなかっただろう。 まさに開き直りだった。
#サンライズを語る #ガンダムを語る 今は無き九州スペースワールドでのVガンダムのイベント。5mのガンダム像が出来ただけでも喜んでいた。 今は動くリアル等身のガンダムがあるらしい(笑) 新たにスタートするTVシリーズガンダムは、枠取りの為選ばれた代理店電通はアニメが初めてだった。
あまり知られてませんが、このビルの一階で「ファイブスター物語」のアニメが制作されました。夜中に原作者の永野さんがスタジオに忍び混み、こっそりレイアウトに修正を乗っけてました(笑)何と迷惑な!(爆笑)
香港デモ半年、日本人写真家が見た若者たちの抗議 natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/sto…
#劇場版シティーハンターカウントダウン ご免なさーい! 諏訪さん、北条さん、勝手に上げてしまいました!これまで待ってくれてたファンの皆さんが幸せな気持ちになれますように!いつまでも仲良しのリョウとカオリがいつか素敵な時を迎えますように!(諏訪さんの結婚式のお祝いカード)明日公開だー
#独立プロサンライズを語る  サンライズはしたたかな会社だった。1988年4月名古屋テレビ夕方枠でタカラがスポンサーの「サムライトルーパー」が始まった。1982年「ザブングル」から「ドラグナー」まで、 ガンダムZ、 Z Zを挟み6年間88年1月までバンダイがスポンサーだった。ライバル会社が3ヶ月後に
#ターンエーガンダム でお世話になりました。 歌うのは西城秀樹でどう? と提案された時が忘れられません。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 news.yahoo.co.jp/pickup/6396010
【拡散超希望】とうとう発表いたしました。シドミード展開催告知です! 一人でも多くの方に見て頂きたい天才の筆さばきを生で! #シドミード展 #ターンエーガンダム #マスホガ #スカイフォール sydmead.skyfall.me
ガンダムの名の下、原作者であるサンライズがノーコントロール状態のコンテンツが子供達の支持を得ていた。コンテンツの中心にいる出版社の編集長に、もうリアルGの時代では無いね、とまで言われ.この状況に対し色々議論したが、サンライズは関わらないと決めた。制作者としては敗北であった。そこでー
#独立プロサンライズを語る 名古屋テレビの枠を死守したサンライズは、その後タカラと作品を送り出す。 1990年2 月 #勇者エクスカイザー に始まる「勇者シリーズ」は1998年1月 #勇者王ガオガイガー で終わりを告げるが、その勇者シリーズの最大の危機が、1994年のサンライズの株譲渡であったー
朝スタジオは騒然としていた、夜中に窓ガラスが破られ撮影済みのセル画が盗まれていた。当時大変とは言え深夜スタジオは無人だった。その後も何度か泥棒に入られ、さすがに警備会社に手配を始めた。しかし、どうしても泥棒を捕まえる!と怒りに震えるスタッフがいた。アニメーターの板野一郎君だ!-続
泥棒がやって来た!金属バットをふりかざし板野君は叫んでた!泥棒は慌てて、逃げ出した!まさか遭遇するとは。翌朝、すみません逃がしてしまいました!悔しいと板野君。本人に何かあったら大変、泊まり込みは禁止させた。その後、セル画泥棒は捕まったが、別人だった。今からでも遅くない犯人は告白を
最初は撮影済みのセル画だったが、ヒートアップした泥棒は撮影前のセル画や原画を盗んで行ったからだ。今や業界を背負う名アニメーター板野君は動画マンとしてスタジオで作業をしていた。ある日スタジオを真っ暗にして、動画机の中に身を潜め、金属バットを手にじっと息を潜め待ち構えていた、そこに❗️
#サンライズを語る #ガンダムを語る 0083の制作も目処がついた辺りだったか、役員会議で次のガンダムをどうするかが議題に上がった。 会社の経営状態は順調だった。ガンダムのロイヤリティは入ってくるし、タカラやトミーの作品、シティーも好調だった。 なのに会議は重い空気に包まれていたー
#独立プロサンライズを語る 生き残る為には、何でもする。クローバーとガンダム、トミーとイデオン、タカラとダグラム、後にバンダイ、玩具メーカーと全方位に仕事をする。80年代はサンライズロボットアニメの絶頂期であった。 トヨタ、日産、ホンダの新車開発に全て関与する、常識ではあり得ない事
#サンライズを語る #シティーハンター 1986年1月、本社ビル5階の応接間で、エピックソニーの丸山部長(後のSME社長)とCHの主題歌歌手の最終決定会談があり、小比類巻かほるか、TMかと悩む丸山さんに、両方行きましょう!と「いいんですか?」「一粒で二度美味しいで!」#GETWILD の伝説の始まり
#シティーハンター 公開まであと51日 #祝モッコリカウントダウン 究極の選択、主題歌のアーチストを決定する会議は、当時エピックソニーの制作部長丸山さん(後のSME社長)と二人 きり。サンライズの5階応接室で。諸条件の確認後、候補は小比類巻かほるか、TM Network、どちらでも結構です。さて困った
放送が決定するまで約二年かかった。 内容がハードなのもその理由だが、企画書の出来も良くなかった。製作費はバンダイビジュアルさん(当時)とでスキームの確認は出来ていた。某テレビ局、衛星放送会社、と断られ、テレビ東京の新谷枠の話しが来たが、現場のPが拒否した。この作品はその枠では嫌だ!
ある日、何日もかけて描いた横長の背景。回収に来た進行さんが、ありがとうございます!と言った後に、その背景の上りを折りたたんでしまった! 何すんだお前!畳んだら、撮影出来ないだろう!全部やり直しじゃねーか!進行は蹴飛ばされた。スペースコロニーの全景は、殆ど背景描き。好きな絵です。
進んでると思いますよ(笑) どんな感じか、というのはアニメプロデューサー塾で2ヶ月前にやった諏訪プロデューサーとのトークで言及していますので、アーカイブもみていただければと思います。 早く進めるためには…アニプレックスに要望送って下さい(笑)