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#ガンダムを語る 3-⑥安彦さん離脱、放送打ち切り、更に緊急事態はセル泥棒!夏の後半位からスタジオの前に捨てたゴミ袋から、廃棄リテークセル画が盗まれる事態が頻発。近所から苦情、中身が分からない様に捨てても、破って持って行く。完全に切り刻んで廃棄した。すると、今度は何とスタジオに!
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久々の #ガンダムを語る 日本サンライズの旧本社ビルがとうとう解体され始めたらしい。1979年4月初めて面接を受けたビル。初めてガンダムのポスターを見たビル。サンライズの歴史を刻んだビル。エレベーターの無い5階建て。思い出は何百階も。本当にお疲れ様でした。
後は皆の素敵な思い出に。
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#サンライズを語る
既に30年近く経った。Vガンダムの放送中、Gガンダムの企画中に株譲渡は発表された。
今これまでの歴史を振り返ると、バンダイグループに入った事は成功だったのだろう。
しかしグループ入りしていなければ、Gガンダムはあそこまで振り切れなかっただろう。
まさに開き直りだった。
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1993年某日、サンライズがバンダイへの株譲渡をする話しを聞いたのは銀座の風月堂であった。
社長以下専務、常務の三人に呼び出され、傘下に入ると。
まさに、晴天の霹靂、玉音放送であった。
昨日までプロダクションは自立してこそ良い作品が生まれる。独立独歩の精神こそ根幹。
#サンライズを語る
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#劇場版シティーハンターカウントダウン ご免なさーい!
諏訪さん、北条さん、勝手に上げてしまいました!これまで待ってくれてたファンの皆さんが幸せな気持ちになれますように!いつまでも仲良しのリョウとカオリがいつか素敵な時を迎えますように!(諏訪さんの結婚式のお祝いカード)明日公開だー
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#独立プロサンライズを語る サンライズはしたたかな会社だった。1988年4月名古屋テレビ夕方枠でタカラがスポンサーの「サムライトルーパー」が始まった。1982年「ザブングル」から「ドラグナー」まで、 ガンダムZ、 Z Zを挟み6年間88年1月までバンダイがスポンサーだった。ライバル会社が3ヶ月後に
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#独立プロサンライズを語る 生き残る為には、何でもする。クローバーとガンダム、トミーとイデオン、タカラとダグラム、後にバンダイ、玩具メーカーと全方位に仕事をする。80年代はサンライズロボットアニメの絶頂期であった。
トヨタ、日産、ホンダの新車開発に全て関与する、常識ではあり得ない事
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ガンダムの名の下、原作者であるサンライズがノーコントロール状態のコンテンツが子供達の支持を得ていた。コンテンツの中心にいる出版社の編集長に、もうリアルGの時代では無いね、とまで言われ.この状況に対し色々議論したが、サンライズは関わらないと決めた。制作者としては敗北であった。そこでー
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#独立プロサンライズを語る 名古屋テレビの枠を死守したサンライズは、その後タカラと作品を送り出す。
1990年2 月 #勇者エクスカイザー に始まる「勇者シリーズ」は1998年1月 #勇者王ガオガイガー で終わりを告げるが、その勇者シリーズの最大の危機が、1994年のサンライズの株譲渡であったー
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#ターンエーガンダム
でお世話になりました。
歌うのは西城秀樹でどう?
と提案された時が忘れられません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
news.yahoo.co.jp/pickup/6396010
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#ガンダムを語る 2-⑨ガンダムの実質的なプロデューサーは山浦英二さん、サンライズのロボットアニメの父である。この方も皆んなに好かれる方で名言、エピソード数知れず。ガンダムでクリエーターをスターにするんだ!折からのアニメ誌創刊に合わせ安彦さん、大河原さんにどんどんイラストを描かせた
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泥棒がやって来た!金属バットをふりかざし板野君は叫んでた!泥棒は慌てて、逃げ出した!まさか遭遇するとは。翌朝、すみません逃がしてしまいました!悔しいと板野君。本人に何かあったら大変、泊まり込みは禁止させた。その後、セル画泥棒は捕まったが、別人だった。今からでも遅くない犯人は告白を
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朝スタジオは騒然としていた、夜中に窓ガラスが破られ撮影済みのセル画が盗まれていた。当時大変とは言え深夜スタジオは無人だった。その後も何度か泥棒に入られ、さすがに警備会社に手配を始めた。しかし、どうしても泥棒を捕まえる!と怒りに震えるスタッフがいた。アニメーターの板野一郎君だ!-続
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香港デモ半年、日本人写真家が見た若者たちの抗議 natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/sto…
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放送が決定するまで約二年かかった。
内容がハードなのもその理由だが、企画書の出来も良くなかった。製作費はバンダイビジュアルさん(当時)とでスキームの確認は出来ていた。某テレビ局、衛星放送会社、と断られ、テレビ東京の新谷枠の話しが来たが、現場のPが拒否した。この作品はその枠では嫌だ!
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最初は撮影済みのセル画だったが、ヒートアップした泥棒は撮影前のセル画や原画を盗んで行ったからだ。今や業界を背負う名アニメーター板野君は動画マンとしてスタジオで作業をしていた。ある日スタジオを真っ暗にして、動画机の中に身を潜め、金属バットを手にじっと息を潜め待ち構えていた、そこに❗️
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#ガンダムを語る ガンダムは私の人生を決めた。ガンダムでなかったら今は全く別な事してるだろう。40年前の偶然の出会いは必然だったのかも。自分にとって、関わった人達にとってガンダムとは?その原点に立ち返るのが20周年記念『GUNDAM BIGBANG PROJECT』だった。皆さんにとってガンダムとは?
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