発達障害の子どもの腸内細菌のデータがやっと返ってきました。ぱっと見だけでもめちゃ興味深い結果だし、料理のしかたによっては高めのジャーナルも狙えそう。研究嫌いだけど、ここまではなんとか解析や論文化、頑張らねば。誰かRとか解析強い人、一緒にやりませんか。。|д゚)
不登校は結果としておきる「現象」にすぎず、病気でもなんでもない。むしろ多くの場合は子ども自身が壊れそうな自分を守るための対処だったりする。「学校に戻る」という大人都合のゴールに飛びつかず、安心安全の確保をしつつ、学校で身につける「対人関係」と「学習」を切り分けて場の設定し直しを。
僕は自分の子どもの発達の偏りが強かろうが弱かろうが、今の崩壊しつつある日本の公教育には期待していないので(今の無理ゲー体制で心を燃やして頑張っている先生達には頭が上がらない)、学校が子どもの遊び場として合わないなら、早めに判断して仕事と収入減らしてでも家で一緒に学びを楽しみます。
お子さんが周りの子と比べて明らかに「興味や関心の幅がが狭い」と親御さん達はとても心配をされます。だけど実際は、その狭さを深めていく先に無限に広がる世界があったりするので、どうか安心して背中を押してください。小学校中学年以降はネットの世界でもいいから似てる子と繋いであげて欲しい。
よく療育や育児で言われる「本人の主体性を見守る」は「放置」と紙一重だし、「本人の頑張りを後押しする」は「強要」と紙一重なので、どっちがいいとかじゃない。僕ら自身がいつの間にか「子ども本人のペース」から「自分にとって都合のいいペース」になってしまっていないかを問い続けることがキモ。
HSPの捉え方、僕自身好きなんですが、クリニックが「HSP外来」とかやってるのは普通に引く。「HSPカウンセラー」は百歩譲ってOK。だけど僕がHSPかも?という人に相談して欲しいのは、医療ならHSP外来をやってないとこ、心理ならHSPカウンセラーを名乗ってない「臨床心理士」か「公認心理師」です。
児童手当の廃止で、やっとドクター含め、小金持ち層の与党への意識が変わってきた感じがする。どんな理由であれ、子どもを後回しにする選択をし続けている政党は支持できない。僕は子どもの福祉や教育や医療資源を拡充すると宣言し行動している政治家だけ支持します。子どもは国の明日そのものだから。
僕は初診で40分(児童は60分)、再診1人15分とれない職場は辞める派です。5分未満で話も聞かずに患者さんの心を見透かす魔術師的なスキルはないし、今後身につけたいとも思っていないからです。今の職場はありがたいことにその時間を取らせてもらえています。
これはASDやADHDあるあるの感覚鈍麻に関連するのかもしれませんが、重要なのは「疲れていることがわからない」だけで「疲れないわけではない」ということ。丈夫な体に産んでもらってしまった人はしんどい。極度に疲労をためてしまい、色んな自律神経症状をきたしてしまう。休むことを予定に入れよう。
同様に「自分がHSPであるがゆえに、他人にどう思われるかばかりを気にしすぎてしまう」と信じている人のなかには、「自分の人生に主体性がないがゆえに、他人にどう思われるかばかりを気にしすぎてしまう」という方がいるのかもしれない。
「好きを伸ばせば可能性は無限!」は「あなたは他に何もない」と紙一重なので要注意。僕は勉強も音楽も運動も全部自由にさせてもらった。それが好きで楽しくて一番になりたくて、泣きながら努力してる子が僕と他に999人いる中で、1人のバケモンが競争心も嫌味もなくぶっちぎっていく背中を何度も見た。
最近またメンタル不調者が増えている感じがする。コロナから日常の生活に戻りつつあるなかで、今まで「コロナだから世の中がおかしな状態なんだ」と思ってたけど、「本当はコロナなんかなくてもずっとおかしな状態だったし、これからももっとおかしなことになる予感しかしない。」という絶望が見える。
いまの政治が5年かけて目標にするのがこれ。まさに「これからも子どもや教育にはお金を出すつもりはありません」宣言。この痛み、俺は長男だけど我慢できない。
不登校は病気でも疾病でもない。不登校はただの状態であり、多くの場合、子どもが自分を守るために精一杯の勇気を振り絞って選択したものです。不登校を主語にしてそれを嘆いたり否定したり解消しようとすることは、子どもを否定し支配することと同じだと僕は思う。まずは子どもを主語にすることを。
講義で大学生に「みんなの兄妹がうつ病になったとして、精神科に連れて行くのに抵抗となる理由」を挙げられるだけ挙げてもらったら「親族や近所の偏見」「本人との関係が壊れる」「診断がつくことで余計悪化するかも」「医者が信用に値するかわからない」などリアルな不安が上がってきて勉強になった。
僕らは医師免許を厚労大臣の名前で交付してもらっているけど、反政府的な発言をしていたら医師免許も取り消されるかもしれない。もちろんそんなことあるわけないんだけど、「もしかするともしかするかもしれない」というのが頭の片隅にあるだけで、なんも言えなくなっちゃう。僕はそんな弱い人間だ。
発達障害について「理解のない人」には2種類いる。理解をする気はあるけどまだ理解に至っていない人と、最初から理解をする気がない人、です。後者に理解を求めることは莫大なエネルギーを要するわりに何の成果も得られず心を削るばかりなので、①他の人に相談、②距離取る、③環境を変えるがベター。
学校の先生は圧倒的慢性リソース不足、親御さん達は死ぬほど働かないと家計が成立しない、福祉も医療もじり貧だ。「こんなんで子どもの健やかな育ちを温かく見守れるわけがない」という前提を共有したい。この状況の大人達の対立は悲惨の極み。今問われているのは大人達のコミュ力なのかもしれません。
僕は「一度に頑張れることは2つまで」理論を信じてます。学生だったら勉強/部活/恋愛/バイト/就活/ゲームなど。社会人だったら仕事/家庭/恋愛/趣味/副業/ダイエット/資格など。このうち同時にちゃんと頑張れるのは2つまで。自分の中の出力バランスを数ヶ月単位で決め、他を手放す勇気を持ちましょう。
思春期の子には、将来「何の仕事をしたい」とか「何を成し遂げたいか」を話させるより「どんな人でありたいか」を考える支援をしてほしい。なぜならそれがあれば、今この瞬間からでも行動できて達成できることが見つかるから。正しさを押し付けるより、その子が信じるかっこよさの背中を押してあげよ。
専門家による詳細な聞き取りや検査による発達障害の診断は、すなわち平均的なお子さんと比べて、育てるのに沢山の時間や工夫や心のエネルギーを要するということのお墨付きでもある。だから、受けられる支援やお金はどうか堂々と受けて欲しい。逆にここに所得制限を設けるのは本当にナンセンスと思う。
①じっとしているのが生まれつき困難な「多動」の特性と、②自分が何もしていないことが心理的に耐えられない「過活動」、③誘引なく色々やりたくなりやれちゃう時期がくる「躁状態」って、似ているようで違う。自分がどの成分が強いか考えてみると役に立つかもしれません。僕は3:5:2くらいかなぁ〜。
これを「家族は助け合わなければならない」と堂々と憲法に盛り込み、今後さらに強要していくつもり満々の今の自民党さんはガチで国を壊しにきている(そしてQ&Aで質問に全く答えてない)。子どもの育ちを守らず、子どもに未来の責任だけ押し付けるような政治を僕は推せません。constitution.jimin.jp/document/draft/
自閉症や知的障害のお子さんで、電車を見たり決まったルートのウィンドーショッピングがルーチンの子が沢山いる。"普通の人"にとって、歯を磨くな・シャワー浴びるなってくらい気持ち悪くてしんどいことなんだと思う。そして彼らは自分が悪いことをして罰せられていると思い、暴れたり自分を傷つける。 twitter.com/2030mirai/stat…
僕らが泉市長から一番学ばないといけないのは、子ども達が安全に育つのが困難な社会で「子どもに申し訳ない気持ち」でいる姿勢だと思う。いい大人が「社会は厳しいぞ!頑張れ!強くなれ!」とか無責任なことを言ってる場合じゃない。明石市に引っ越すのは無理でも、この構えは今日から取り入れられる。