もちろん人数以外の要因も色々あるけど、人数の影響はでかい。僕は特別支援教育が早く標準になってほしい。国は今のところ国民の差別意識におんぶに抱っこで「なるべく受けさせたくないもの」という認識にさせてるけど、あれ?そっちの方がよくね?って気づいて流れが変わるタイミングが来ると思う。
僕は今、育児のうまくいかなさと慢性的疲れで「愛情」と「怒りと拒絶」の相反するぐちゃぐちゃの感情に絶賛戸惑い中です。そしてこの感覚は親としてめちゃ良いことだと思うんですよ。元論文も読んだけど、そういう考察が全然なかったのが逆に興味深い。子育て=ただ楽しいものと思ってる人が書いてる?
発達障害についてメディアが美談ばかり偏向して発信するから、一般の人の多くが「初期ステータスの割り振り方が偏ってるだけで、何かが苦手ならそのぶん他の能力に特化してるんでしょ?」と理解している。その根底にあるのは「みんな同じ」と「生産性がなければ存在してはいけない」という危険な思想。
これを聞くといつも胸が痛くなる。社会に適応するための苦手を克服する訓練は大切だし有効だが、彼らは既に精一杯努力しており、寝ている時間以外は心も体も緊張しっぱなしなのだ。「頑張る」一択から解いてあげることが支援のはず。メガネをするの同じように、様々な特性配慮の理解が進むことを願う。
「プレミアム分は洗って出す予算があるけど普通席分は無理」はわかる。だけど元々あったサービスの、一般の人のマイナスを、プレミアムのプラスみたいに、わざわざ一言添えて特権感を出すのをマニュアル的?にやって、客が喜ぶと思ってるとしたら、僕は不快。上級国民ってそういうのが嬉しいの?
育てにくい子の親に「もっと愛情を」って言ってしまう支援者は、多分漫画やドラマの観すぎか30年前からタイムスリップしてる。話を聞いたら親達に愛情があることくらいすぐわかる。生きるために働いてたら、愛情を注ぐための時間が圧倒的にないんだよ。育てにくい子じゃなく、ただの育てられない社会。
友達作りのスキルは「友達ができること」だけがゴールで正解ではない。「友達を作らないスキル」も身につけられる。面倒なことに巻き込まれず、利用されず、自分を大切にし、自分を助けてくれる人だけを友達に選ぶこと。そういった「守りのスキル」を育むことはどんな人にとっても大切だと思ってます。
生まれたばかりの赤ちゃんは、憎いくらいに「助けて」と周りに伝えるのが上手なのに、大きくなるにつれて僕らはこの生きるために一番大事なことができなくなっていく。悲しいですね。これは自分の教育理念の一つにしようかな。『助けての才能を伸ばす』。みなさん教育理念があったら教えてください!
「父親の育児うつ」も、これまで母親達が何十年も押しつけられて見過ごされた現象が自分事になっただけ。女性は育児フルコミットしながら働きに出て、今度は男性がくっそ働きながらさらに育児進出を求められてる。力を合わせても無理ゲーでしかないという前提から入り、使える資源全て使いましょう。
小6で英国から帰ってきたとき、日本と比べて英国の女性の方がなんか強くて男らしかったなぁとずっと思ってた。でも自分が女性とお付き合いしたりで内面を知る過程で、日本の女性が女性らしさを過度に強いられているだけだったと理解した。「普遍なのは個人で、性別は役割」と気づくまで随分かかった。
いやな時に「イヤ」と言えること、困った時に「助けて」と言えること。これらって生きてく上で、他のどんな勉強やスキルより大事な必須コマンドなはずなんだけど、学校の集団教育じゃあまり教えられないよう。学校の先生方は教室をなるべく滞りなく「回す」のが精一杯なのも知ってるので責められない。
幼少期から僕は「疲れ」を感じにくく、友達と遊ぶ日や旅行ではひたすらはしゃいで、次の日に必ずと言っていいほど発熱し学校を休んだ。僕が運が良かったのは、母が①いつも熱を出す前提で予定を組んでくれたこと、②学校を休ませてくれたこと、そしてなにより③発熱しやすい弱い体に産んでくれたこと。
え、まじで学徒動員する気やん。81万人の観戦には81万の移動も宿泊も飲食も伴うし、引率する大人(ワクチン未接種)もいる。国の中枢、全員金の亡者なの?会場でマスクした子ども達が1席ずつあけて小さい旗振ってる姿想像したら、えぐすぎて泣いた。news.yahoo.co.jp/articles/bf543…
75歳以降はいつでも10万円もらって安楽死を選べるという制度ができた世界を描いた映画PLAN75。死ぬことの選ばざるを得なくなった高齢者やそれを導く若者達の葛藤や苦悩をあえて言葉にさせてないのが秀逸で、日本の優しく冷たい同調圧力と抑圧の文化がリアルそのもの。胸くそ悪さを感じ続ける勇気を。
今でもたまにモヤモヤするのが、どこかの偉いおじいさん精神科医の先生がスピーチで「わたしが唯一誇れるのは、自分が診た患者に一人も自殺者を出さなかったことです。」と言ったこと。研修医からやり直してほしいと思った。
そういう意味では、僕にとっては仕事をしてる方が100倍楽で、もう既に早く仕事に逃げたくなっている。一方で、今の日本の制度や文化だと、多くの女性は「母親だから」と、例え仕事に戻ったとしても、それは育児に+アルファでやることで、「主たる責任」からは逃げられない。こんなん地獄でしかない。
優秀ってなあに
「フットワークの軽さ」「高い集中力」「ここぞというときに爆発的な力を発揮する」はおれらADHDの強み。裏を返すと「プランニング(少し先の目標に対して計画的に道筋を立てる)が弱い」「疲れに気づかず集中しすぎて、反動でどっと落ちる」「爆発力に頼ってしまい、ついなまけがち」が致命的になる。
これ、頑張ってる父親同志達に届いてくれているのが嬉しい反面「仕事のドロドロを妻も担え」「妻は何をして欲しいか言え」とか的外れな反応もかなり多く、正直絶望してます。子育てをする(doing)の前に、親である(being)のだから、自分ごととして捉えましょうよということです。仕事は全く関係ない。 twitter.com/shunya5/status…
子育て無理ゲー時代だからこそ「保育園をもっと増やせよ!」「もっと遅くまで預かってくれよ!」っていう声に戸惑ってしまう。もちろん仕事がしたくてたまらん人はいいんだけど、僕は子どもと居たい人が子どもと居る時間を極端に削られなくても暮らしていけるような社会にしていく方向で声を上げたい。
逆説的に聞こえるけど、自立するための最初の一歩は「助けて」と言えることなんだよなぁ。そこさえクリアしてしまえば8割だん。
子どもができてから、午後のみ時短の夫+専業主婦の妻でも、日々余裕がなくてバチバチだってのに、共働きしながら子育てしてたら夫婦生活が破綻しないほうが無理じゃねって思ってしまう。それで児童手当もなくすっていうんだから…。この国で夫婦は仲良くなくても敵対してないってだけですごいこと。
正直なことを言うと、僕は事件そのものよりもその後のメディアのふるまいのほうが怖かった。同じように感じた方がいるかわかりませんが、どうか必ず選挙に行ってください。
だから色んな形があっていいけど「仕事も育児のうち」という男の主張は本質的じゃない気がする。僕は仕事に逃げたい自分と、逃げない人間でありたい自分を自覚し続けながら、少しずつ時短の仕事と育児のバランスを探りたい。今後の仕事では、自分が親達の逃げ場のハブになれるよう、改めて頑張ります。
子ども家庭庁に名称変更、赤木さんの裁判を金で解決、統計不正、これらの昨日の3つのニュースが地味に扱われていること自体がもうこの国の未来のやばさを派手に物語っている。どうやって子ども達の育ちを守っていけばいいんですかね。派手派手かよ。