児童精神科医だけど、以前は子どもがいなかったから、外来で子育ての助言には気を遣った。今はもっと気を遣う。自分の子がたまたま育てやすい子であると知っているから。偏食も寝ないも抱っこ嫌もアレルギーも癇癪も、あるなしで大変さが何人分にもなる。自分の実力と勘違いした助言は毒にしかならん。
我が子が早期から診断を受けて特別な支援を受けることを選んだら、あとで本人が社会に出て苦労するんじゃないか、という親御さんの不安はよくわかる。でも実は逆で、あとで社会に出たときに、うつや不安などの二次障害をきたさないために、特性に合わせた教育をし、安定した心の土台を作る場なのです。
「あそこは不登校だった子にミラクルが起こる」と児童精神科医や心理士さんから聞いてた立花高校。開かれた教員室には卒業生が来て話し込んでいたり、教室を抜けてクールダウンするスペースがそこら中に。学校に向かう坂道を歩くペースが生徒それぞれだったのがとても印象的でした。個と主体性の尊重。
子どもが他の子に興味を示さないことで保護者が心配してても「座っていられる」「集団指示に従える」「学習の理解も問題ない」等を理由に支援に繋がらない子は多い。「大丈夫、心配しすぎですよ」と言われるとき、先生の言う「大丈夫」とはその子の将来ではなく教室運営のこと。親子を孤立させないで。
緊急事態宣言の要請を検討⇒緊急事態宣言の要請を決定⇒緊急事態宣言の要請⇒緊急事態宣言の発令を検討⇒緊急事態宣言の発令を決定⇒緊急事態宣言の発令 うん、ながい。緊急事態とは。
心理士や精神科医の先生方、「傾聴が上手な芸能人」って誰だと思いますか?僕最近気づいちゃったんですけど、オードリーの春日さんが意外にすごい!相槌のタイミング、言い換え、判断しない態度、声のトーンやテンポがとても自然で心地よい。これから目指す人はぜひ二人のラジオ聞いてみてください。
自分勝手な子を「自分を持っている子」に、負けず嫌いな子を「向上心の高い子」に、融通が利かない子を「計画的な子」に、いきあたりばったりな子を「臨機応変な子」に、投げやりな子を「執着しない子」に、人まかせな子を「頼り上手な子」に。 短所を長所に変えてあげられるのは僕ら周りの大人たち。
発達障害にしてもうつ病にしても「病気なら頑張って治していきましょう」「治らないならそもそも病気じゃなく甘えでは」みたいなマインドの人がまだまだ教育者や支援者のなかにもいる。でも本当はその「自分の理解の範囲を超えることが受け入れられない姿勢」こそが甘え。
「子どもを褒めよう」と、あらゆる育児本に書いてある気がするけど、褒め(praise)は失敗への恐れに繋がるから時に危険。100倍大事なのはまずはその子を唯一無二として認証する(validate)こと。「そう思うんだね」「いつも見てるよ」「いい子、できる子かどうかなんか関係なく存在していいんだよ」と。
心に傷を負った人への「だから謝ってるじゃん」というセリフは、そのあとに「(だからいい加減許せよ)」という心の声が必ずくっついている。これほど誠意がなく、傷に塩を塗る言葉はない。学校現場でも「ほら、○○君も謝ってるし」と先生が言って解決したことになっていないかと、心配しています。
『空気が読めない子』が身近にいる人は、その子の真っすぐな視点に、はっとさせられた経験が何度でもあるはず。僕はその瞬間が大好きで、毎回尊敬の念しかわかない。空気が読める人は、報道や情報に踊らされ、表情や言葉に騙される。空気が読めない子は『現実をありのまま捉える力に長けている子』。
双子育児3日目。めちゃかわいいけど、今までのどの仕事よりも寝れないし、自分のペースで何もできないし、毎晩話し合って準備してきたのに全く想定通り行かず3日で半年分くらいの夫婦喧嘩もしたし、「育自」とはまさに。短いけど3週間の育休全力でコミットして一緒にバランス探してくぞ。心が燃える!
今の厳しい時代に、苦しくて壊れそうになりながらも頑張っている人達の声を、半沢直樹が代弁してくれている気がして、とにかく涙が止まらなかった。そして花ちゃんの「仕事なんか無くなったって、生きていれば何とかなる。生きていれば…なんとかね。」も。 誰もがそう思える社会になれ。頼む。
「素直な子」とは「大人が言うことをなんでも素直に聞く子」ではない。僕の思う素直な子とは、嫌な時は嫌と言えて、右向けと指示されても納得しなければ左を向き、疑問に思ったことを顔色を窺わずに聞くことができる、真っ直ぐな子です。そんな子はもちろん手もかかる。どっちの素直が誇らしいですか?
水島広子 先生の『大人のための「困った感情」のトリセツ』 (大和出版)より引用です。おすすめです~
今回の一件はつらすぎる。僕の仕事の半分は、子育ては家庭だけで抱えないで、医療、福祉、地域のみんなで子育てしよう、と言って支援に繋ぐこと。いま自分が親になってみて、安心して頼れる先が見つかりにくい現実もすごくわかってきた。本当にガタガタ。根本は国が子どもにお金をかけなすぎなんです。
子が「いじめられるから学校に行きたくない」と家で泣いている。親は一度休ませると行けなくなってしまいそうだから学校は行かせている。学校の先生は「楽しそうで問題ない。嫌なら本人が直接伝えないとこの先の人生でずっと苦労する。心配しすぎでは?」と言う。本人を見ている大人はそこにいない。
効果があるかどうかは別として、感染対策のゆるさはプレミアムで差別化するところじゃないでしょ。こういう特権意識みたいなのが根強いからうまくいかないんじゃん。ウイルスは忖度しないんだよ。って言いたかったけど言えなかったよ。毛布ぬくぬくして寝たよ。ここで言うのが一番ダサいね。知ってる。
発達検査のグレーな結果に対して、親御さんが「この子は普通なのか障害なのか」で悩んでいるとしたら、その間は何も進まない。視力だけで「目が悪いと言えるかどうか」で悩まないですよね。「大体は見えるけど本を読む時だけ不便だからメガネを持っておこう」、診断にもこの感覚が広まってほしい。
発達障害の「グレーゾーン」って便利な言葉だと思う。診断がついて欲しくないと思っている保護者にとっても、診断をつけたくない医療者にとっても。だけど本当は、子ども本人が困っているかどうかに、グレーなんてない。この魔法の言葉でいつも置いてけぼりにされているのは子どもたちだと感じている。
パラリンピックの医療ボランティア辞退しました。自分はその時間に医師として他にやれることがあると判断しました。パラも応援したいですが、医療を受けられなかった新生児など、人が次々と亡くなってる中で、子どもを観戦させリスクにさらすのは無理。個人のことで所属する組織は一切関係ありません。
物価が上がっているということは、給料も貯金も減っているということです。子育て世代はますます働く時間を増やさなければなりません。子ども達は親とすごす時間が圧倒的に足りてないにも関わらずです。
小さい頃、家にお客さんがくるたびにバイオリンを弾かされ、すごいと褒められ、両親が満足した。10歳頃に「おれはパパとママの道具じゃない!」と泣いてやめた。大学に入って久しぶりに楽器を触った時、ひどい音だったけど、その音は愛せた。下手でもそういう僕にしか出せない音はあるのかもしれない。
僕は適応障害とうつ病の説明には、よくこれを使わせてもらっています。簡略ですが直感的でわかりやすい。大事なのは①ストレスの重さだけじゃない②バネの性質も関係あるかも③ストレスと症状の因果関係④同じストレスでも時間が長いと伸びきっちゃう。そして初回受診でうつ病と診断する医者は怪しい。
例えばベビーシッターさんに1日4時間来てもらったら、1回8000円で約22万円/月かかるわけで。それでも当たり前だけど残りの20時間は夫婦で見なきゃなわけで。もう自分の仕事できる頃にはHPが0なわけで。10万円のクーポン1回とか、まじで勾配きちーぞ。保健師さんの寄り添いじゃなくて手が必要なんや。