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絵を描いても、誰も修正しろとはいわないけれど、デザイン的な仕事は必ず文句の一言、二言、注文をする。その注文も常識以下の常識の概念だ。一体何を怖がっているの、会社の上司の目だ。こういう上司のいる会社は社会悪だよな。
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政治的行為は毎日やってますよ。と答える。創作で毎日意識を新たにしています。これはぼくの革命です。芸術は社会を変える力があるから。
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考えた絵は、どうしても理屈っぽくなる。余計な計算や効果や他者を意識するからだ。
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たまの雨は嫌いじゃない。天から雨が降って自然が水で濡れるなんて素晴しいじゃないですか。これが水ではなく、天から石ころや砂や火が降ってくるんじゃなく、水とはよく考えたもんだね。
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今朝テレビでニュージーランドが感染者ゼロだったが一家4人が感染。それだけで都市封鎖。市民も受け入れている様子。日本の政府はこのニュージーランドの政策をどう見ているんですかね。やっぱり、お金儲けが一番と言うでしょうね。
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年と共に怠け者になっていきます。この方が健康です。怠けることは自由への入口です。
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絵と自分は別。以前は二つを同一化していたけれど。やっぱり自分を見せるのではなく、絵を見せなきゃいけない。
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桜が咲いていないのに、どこからか桜の花びらがアトリエのバルコニーに飛んでくる。そのひとひら、ひとひらがこのところ何人も死んでいった友人、知人に思える。
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だけど、今は何んでもコンセプトにしたがるアーティストがいる。コンセプトの枠の中で自由になれる? 確かに枠内では自由だろうが、枠の外には無限の自由がある。これじゃ広過ぎるので自己限定が必要なのかな? 限定はすでに自由を放棄したようなものだ。bit.ly/1Xgurj
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フェデリコ・フェリーニも50才になるまで本を読まない人だった。だから、あんな凄い映画が作れるんだよね。ぼくはフェリーニには負けるけれど45才頃まで、本はあまり読まなかったなあ。知性(本)に対して本能(肉体)ですよね。
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NHK大河ドラマ「いだてん」のポスター見てくれました? 放映は1月2日かな。どこで見れるのかな? 駅かな? まだ貼ってませんよね。2弾、3弾も期待して下さい。1弾目と違ってまた面白いですよ。かなり先きになりますけれど。でもすでに完成しています。
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わが家に一匹、事務所に2匹、それぞれ名があったけれど、今は3匹共「おでん」だ。わが家に来る野良も「おでん」。食べるおでんも当然「おでん」。その内、自分の名も「おでん」にしちゃおかな。すると道で会う人も「おでん」。安倍さんもトランプさんも「おでんさん」。
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絵を描き続けている時はいわゆる観念みたいなものは浮かばない。パッと映像のようなものが閃くだけです。だから制作中の脳はチンパンジー級です。絵はチンパンジーにならないと描けない。人間になっちゃ描けない。
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裕也さんとぼくは同じメーカーの赤い靴下を履いていたら、「交換してくれませんか」と言うので交換したけれど、ちびて薄くなっていた。最近も赤い靴下を履いていた。
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絵は描き始めたら終りがない。きりがない。食欲と似ている。腹8分を通り過ぎて大抵過食になる。それを知っているので、腹7〜8分で終ろうとする。すると未完状態だ。絵は本当に難しい。
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要するに、絵は無茶苦茶に描こうとするしか、絵は乗り越えられない。用心深く、丁寧に、失敗しないよーに描こうとするから、絵が絵を乗り越えられないのだ。苦労しています。
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最近は近視でもないのにボンヤリしてきました。このボンヤリがなかなか絵画的でいいのです。だから眼鏡は作ったけれど、なるべくボンヤリみたいので掛けません。もっと見えなくなるともっと素晴らしいと思います。見る、見えないよりは感じることです。風景を見るのではなく感じるのです。
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ここ2週間ばかりアトリエで籠城したままです。持病の喘息と高齢者なので「冬眠していて下さい」と医師から言われている。
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東京のコロナ感染者400人? 200人の時、倍の400人もそう遠くないと言ったけど、現実になりました。やがて500人、1000人が日常になるとも限りません。政治に振り回されないよう、自分には自分の政治に従った方がいいです。
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