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体力のあった50〜60歳で年間30数点だったが、今86歳で100点の大量生産しました。そこでアーティストを止めてアスリートになってスピードを上げて描きました。1年で100点完成!老体にムチ打ってー。
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死が無だとか虚無だと言って逃げたり否定しないで、死を探訪する好奇心を燃やして死を楽しみのひとつにした方が、うんと生きがいというか死にがいがあっていいと思うんだけどなあ。bit.ly/1Xgurj
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とにかく老齢生活は目まぐるしくサプライズの連続で面白い。死という最大のサプライズのために、小さいサプライズで慣らされていくのかもしれない。
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その時、皆さんが見ている絵は何光年も前の失くなった星を見ているそんな感じだと思いますね。作家は描いている時のみ、絵の前にいるけれど、描き終った時は、すでにない星の存在と同じです。
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この度、日本芸術院会員に選出されたことで、大勢の方々から、祝電、祝メール、お花を頂き、心からお礼申し上げます。今年度からは従来の選出法がかなり大きく変り、その変り目に私も選出されました。命の尽きるまで、これからが本番だと思って頑張らないでほどほどにガンバリます。
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人間は成長するに従って軽くなる。作品も同様。苦悩から生まれる作品は見る者の心を重くする。重い作品を好む者は、その者の苦悩と比例する。bit.ly/1Xgurj
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ピカソ、キリコ、マチス、デュシャン、ウォーホルは皆軽い。社会が重苦しくなると絵も重苦しくなって重いのを好む。人生は軽やかでなければいけない。そして単純でなければいけない。絵も同じ。
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重っ苦しい絵は疲れる。絵は軽くなきゃいけない。精神が苦しむと重くなる。心が軽やかになって描く絵は軽い。
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考えた絵は、どうしても理屈っぽくなる。余計な計算や効果や他者を意識するからだ。
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念願というか、自分に約束した「寒山拾得」の100点がやっと完成というか、未完のまま完成する。発表は9月。場所は上野の東京国立博物館。全作描き下ろし、もちろん未発表作品。
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新年おめでとうございます。
今日の読売新聞で新作100点「横尾忠則 寒山百得」展が東京国立博物館で開催(9月)が発表されました。全作描き下ろしの未発表作品です。まだ9月までちょい先ですが、記憶しておいて下さい。
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今は余生だと思って絵を描いている。初めて絵の自由がわかったような気がする。今回の大病はいい経験をさせられたと思う。野望も野心も欲望もどこかに忘れてしまった。さあこれからが本番!
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人はいづれ死ぬ。それまでの身体の異変は、死ぬための予行練習だと思った。全ての生き物は必ず死ぬ。だからバタバタするなと言いきかす。
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寝台で運ばれる時、妻が顔を寄せて、思いっ切り笑顔でバイバイと手を振った。永遠の別れのバイバイか、see you againのバイバイかわからないが、涙が流れた。
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年内に100点仕上げる予定です。あと10数点、この100点新作は来秋に発表します。人生最後の100点描き下しです。bit.ly/1Xgurj
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ごぶさたです。いやーこの1年は大病したわりには100号、150号の絵を100枚近く描きました。コロナと病気のパワーですかね。老年になると、色々ハンディキャップがありますが、それをハンディと思わずに自然体と思えばいいということがわかりました。
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芸術家にとって年齢は意識外です。芸術は年を取ることを忘れています。だから勇気があるのです。bit.ly/1Xgurj
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もう、この間からというか10日ほどの間に友人、知人が3人も亡くなりました。僕の年齢の前後の人達ばかりで、自分が生きているのが奇跡か何かのように思います。
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最も長い友人のひとりだった三宅一生さんが、僕を追い越して先きに逝ってしまいました。死ぬために生まれてくるこの理不尽さにどう対峙すればいいんでしょうね。
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絵を描くのも面倒臭いけど、生きる方がもっと面倒臭いことが今度でよくわかりました。