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俳優の満島真之介さんアトリエに来訪。お姉さんの満島ひかりさんとぼくの個展を美術館に見にいって、作品を見て笑い過ぎて係りの人に追い出されたそーだ。それはよくないが、笑ってくれたのは嬉しい。これからも笑って、また追い出されて下さい。お姉さんによろしく。
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昔、TBSで「ムー一族」や「水曜劇場」のドラマで何本もタイトルバックを作りました。久世光彦さんとで。その頃のタイトルバックをもう一度観たいと思います。TBS関係者の方で、このことを実現するためにどなたかお力添えいただける方はいらっしゃいませんか。ご連絡下さい。
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要するに、絵は無茶苦茶に描こうとするしか、絵は乗り越えられない。用心深く、丁寧に、失敗しないよーに描こうとするから、絵が絵を乗り越えられないのだ。苦労しています。
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世間の眼に無頓着になれば、大抵面白い絵が描けるはずだ。絵でなくても面白いことができるはずだ。
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アホになるということは反知性と対峙しません。知性はアホを支持します。本当の知性こそアホです。だからアホになるのは秀才ではないのです。ひと握りの天才です。bit.ly/1Xgurj
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人間は猫のことがわかっていないけれど、猫の方はかなり、人間のことをわかっている。五感でわかるのではなくテレパシー(第六感)でわかっているということを人間側が理解しなければならない。
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絵は描けば描くほど上手になるのではなく、下手になっていく。下手に上達するのである。
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見えるものしか信じない。理にかなったことしか信じない。こういう発想が、現在の世の中でまかり通っている。そーでないものは全て無だという。
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どうやらぼくは世の中と逆の方向に生きているような気がする。その方が混雑していないで、歩き易い。bit.ly/1Xgurj
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画家は、本を読んだり、知識を身につけたり、理屈をこねたりしないで、絵描き馬鹿になって、純粋に絵のことだけを考えて、描くのが一番健康でいいし、この方が面白い絵が描ける。つまり世間から離脱した方がいい絵が描けると思う。
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絵を描く前には儀式がある。手を洗って水を飲んでチョコレートを齧ったり、トイレに行ったり、ひとことツイッターに何か書いてみたり、CDを掛けたり、結構大袈裟だ。絵を描くことは神との対話だから、本当は祝詞を上げるとか、バカ! そこまではやりまへん。
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あの世では全てが完結している。だからこの世では未完で結構。無理して仕上げなくてもいい。寿命を縮めたきゃ完璧なものを作ればいい。そんなもん最初からないけれどね。
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ツイッターも一種の儀式かストレッチみたいなものだ。他者へのメッセージのつもりで書いているのではなく、自分への奉納みたいなものだ。お供え物だ。
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物を持ちながら、物に執着しない方が、断捨離よりレベルが高いと思うよ。捨てることが修行になるというのは、ちょっと違うような気がする。
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断捨離の本でベストセラーになった人が、交通事故で死んだという記事を見た。なんでもかんでも捨てろ、捨てろと言っていた人が、とうとう自分を捨ててしまった。
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もう10才若けりゃいいのにと思うことがある。北斎は90才の時にもう10年生かされたいと願った。あと10年あれば宇宙の真理が描けるのにと。だめだったら5年でもいいと。結局1年後に亡くなったけれど。
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画家は長生きすればするほど、絵が面白くなると思う。体力が落ちて、手が震えたりすると、きっと面白い絵になるからだ。肉体は老いても絵は逆方向に向う。そして、自分のヘナヘナの絵を見てみたいものだ。
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嫌いな絵ってあるじゃない。その理由は?ぼくは単純に「生理的にイヤなんだ」がその理由。絵以外だって同じだね。身体が受けつけないというか本能が判断するわけ。芸術と整理は大いに関係あるはず。
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何もしないで1日が終ることがある。だけど何もしないことをしたわけだから、何もしなかったわけではない。
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絵は描き始めたら終りがない。きりがない。食欲と似ている。腹8分を通り過ぎて大抵過食になる。それを知っているので、腹7〜8分で終ろうとする。すると未完状態だ。絵は本当に難しい。
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だから、ぼくは興味のある人は出来るだけ本人に会うことにしている。ただ会うだけでいいんです。その人が発散しているエネルギーの場の中に包まれることが大事なんです。1分でも10分でも、そりゃ1時間以上もいれば充分。bit.ly/1Xgurj
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9月15日(土)−12月24日(月)「横尾忠則 在庫一掃大放出展」(神戸・横尾美術館)が開催されます。この展覧会の出品作品は全て未公開のもので、ぼくも見るのが初めて(?)のものばかりが展示されます。というわけで人に見せられない、見られたくない作品ばかりです。