SUGIZOさんによるデヴィッド・ボウイの仮装、圧倒的なクオリティですね!グレイト(^^) ♬Ashes to ashes, funk to funky… #ハッピーハロウィン #HappyHalloween twitter.com/SUGIZOofficial…
僕は小さい頃、本当に内気だった。そんな自分が人前で歌うことなんてできないと思った。だからこそ、僕は変装することにしたんだ。 #ハッピーハロウィン⁠ ⁠ #HappyHalloween⁠ ⁠
好きな本や音楽を見つけると、誰かに知らせたくなる。でも、もっと好きなやつになると、今度は逆になる。誰にも知らせたくない、と感じるんだ。「こんな凄い、素晴らしいものを、自分以外の誰かが分かるはずない」ってね(笑)。
子供の頃からやってみたいと思うことがたくさんあった。アイディアの源泉は書物からだった。 ✳︎画像:ボウイ自身がセレクトした愛読書リスト100冊 #読書の日 #読書週間
(1990年デヴィッド・ボウイ「SOUND+VISION TOUR」東京ドーム公演にて) 映ってしまった。 --今井寿(BUCK-TICK) ✳︎動画:カメラに映り込む今井氏。ご本人が認定▷youtu.be/ra6dgG4YcY4
知らない街を知りたい時は、手持ちの小銭を数えて地下鉄に乗る。そして、その小銭で、行ける所までいくんだ。これが一番の方法だね。そして、到着地の辺りを散策するんだ。この前、2004年に最後に東京へ行った時に、僕はこれを何度かやったよ。
(04年来日記者会見より) 僕から聞いていいかい? 地下鉄の1日共通券を買ったら全部の地下鉄に乗れるの??重要なことなんだ(笑)!! #鉄道の日
デヴィット・ボウイは僕にとってはロックスターというより父親。彼の猿真似をしようと思ってイエローモンキーって付けたくらいだからね。 --吉井和哉(ザ・イエローモンキー)
僕はデヴィッド・ボウイになりたかった。 もっと言えばデヴィッド・ボウイになるために、僕は「THE YELLOW MONKEY」を結成したと言っても過言ではない。 --吉井和哉
(少年時代に受けた影響源について) デヴィッド・ボウイの「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」は、それまで観た中で最もイカれたビデオだった。他の子たちはみんな「気持ち悪い」って言ってたけど、それこそが僕がやりたいことだった。 ーートム・ヨーク(レディオヘッド)
僕も僕の友達も長髪ですよ。ええ、そんな悪いものじゃないでしょう、実際。僕自身は長髪が好きだし、僕の仲間もみんなそうです。それが原因で迫害されなきゃいけないなんて、僕には理解できません。(64年)
何しろ、私は彼の大ファン。「ジギー・スターダスト」を何度も聴いていました。-普段の彼はステージとはまるで違って、男らしい男、真面目で、頭の良い大人の男という印象です。 --山口小夜子(ファッションモデル)
(2001年9月11日米国同時多発テロに際して) みんな、怒りには気をつけて欲しい。僕らが贖罪を求めるのは、テロリストであって無実のイスラムの人々では無い。ビン・ラディンは政治犯であって、イスラム教徒の代表では無い事は皆覚えているだろう。
失敗してこそ強くなる。1週間に良い失敗を3回しなかったら、僕には価値がない。人は失敗から学ぶものなんだよ。
ボウイが僕らのスタジオにやってきた時は、特に何をするでも無い感じだったんだけど、そのうちこっちから何か一緒にやろうと持ちかけたんだ。演奏するうちにだんだんノってきて「アンダー・プレッシャー」が出来たんだよ。 --フレディ・マーキュリー(クイーン)
派手なパフォーマーはたくさんいるけど、その中でもフレディ・マーキュリーは群を抜いていた。彼はまさしくオーディエンスを自分の掌中に握ることが出来る男だったんだ。
自分のやっていることを絶えず再検証し、本当に、本当に心から自分のやりたいものなのか -惰性でやってるんじゃないか?誰かが期待しているからやってるんじゃないか?- って事を確認する。それが僕の人生に対する処し方なんだ。
(ボウイ53歳からボウイ23歳へ) これだけは言っておく。仕事にこだわりすぎて、実生活の質を落とすような真似だけはよせ。君は熱中しやすいタチだから、仕事に負けてしまうんだよ。
(パントマイムの師匠リンゼイ・ケンプについて) 彼は生きたピエロだった。彼はピエロのように振る舞い、生きた。悲劇的でドラマティックで、生活そのものが舞台だった。彼がステージでやる事は、生活の延長そのものなんだ。 #RIPLindsayKemp
(パントマイムの師匠リンゼイ・ケンプについて) 化粧から衣装に至るまで、彼の現実を崇高に表現する発想や、ステージの外と内の境界を壊そうとする試みは、僕の魂にしっかり刻まれている。 ✳︎写真:72年ステージで共演するボウイ&リンゼイ #RIPLindsayKemp
私とデヴィッド・ボウイの出会いは中学生の頃でした。ーデビュー初期もグラム・ロック時代もアメリカ時代もベルリン時代もその後の時代も全部好きで、デヴィッド・ボウイのファンの多くがそうであるように、私もまた彼の音楽だけでなく彼のアート、彼の存在そのもののファンでした。 ーー北川景子
(ボウイとの対談での印象的な内容) 強く仰っていたのが、自分は「レッツ・ダンス」で破格の成功を収めたけど、それにより逆に満たされないものも増えた、という事でした。ー売れる事によって失くすものも多いという事、自分を見失わない事の重要さについて、切々と語ってくれましたね。 ー吉川晃司
(75年グラミー賞 最優秀女性R&Bボーカル賞のプレゼンターを務めたボウイ) ボウイ:受賞者はアレサ・フランクリン! -壇上にてキス- アレサ:デヴィッド・ボウイとキスしちゃった!今のシーン、サマになってるといいんだけど! #RIPAretha
僕には3歳になる娘がいる。だから、今の社会状況を見て「未来に不運な出来事が起こるかも」なんて考えは僕には許されない。でも、単純に未来は明るいと言い切るわけにもいかないわけで。僕らは希望という解決策を見つけなくてはいけない。(03年)
全世界の人々の思いやりと平和に対する意思が必要なんだ。-もし世界中の人の力で戦争を止められなければ、何も生まれない。そして、平和になれば何でも出来るんだ。