パラ観戦中止、職員室は拍手 行政に振り回された学校:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASP8T…
中田翔選手のトレードに関して、ようやく納得できる記事を読めた気がする。東京五輪を契機に生じたスポーツ再考の流れは、この先も続くに違いない。 twitter.com/K_for_Sports/s…
グッときた。ムロタマユさんが音楽そのものに抱いている危機感と、僕がスポーツに抱いているそれとは、重なる部分が多い。とても。 フジロック2021に、音楽ファンはもっと怒っていい|ムロタマユ @yumataromu #note note.com/murotamayu/n/n…
どうしても東京五輪は楽しめなかった。あるいは楽しんだけど、どこか心のうちが釈然としない。そんな方々を想定読者にして書きました。心当たる人もそうじゃない人にも、読んでいただければと思います。 スポーツ「と」オリンピック  | みんなのミシマガジン mishimaga.com/books/sportsko…
2017年の記事ですが、パラリンピックの意義について考えさせられる内容です。障害者を「能力に劣っていてかわいそう」と「特別な能力がある」とする見方が広がって二極化し、努力しない障害者を怠け者だと考える人が増える可能性があるという指摘は、心に留めておきたい。 asahi.com/articles/ASK8S…
パラリンピックだけ中止となれば障害者差別になるのではないか。漠然とですがそう考えていました。中止すべきだと断言できない自分がいた。ですが、この映像を観てこの葛藤にも終止符が打たれたような気がします。医療崩壊の現状も鑑みれば、やはりパラも中止すべきだと思います。 twitter.com/ChooselifePj/s…
「そもそも在留資格がないのだから…」。そう考える人は安田菜津紀さんのこのテクストを読んでください。これは「人として」の問題です。遺族の前でも表情を変えずに淡々と話す入管職員の冷め切った目に、僕は表現し難い恐ろしさを感じます。 #日経COMEMO comemo.nikkei.com/n/nc5aaa8a95c68
もし自分の家族がこんな目にあったら。そう思うとたまりません。映像が見られるのは29日までです。僕たちが住むいまの日本で行われたこの「事件」から、目を背けてはならないと思います。ぜひご視聴ください。 twitter.com/tbs_houtoku/st…
「怒り」というのは、現実・現象への異議申し立てなんだよな。湧き上がる情念に流されず、でもその主体としての自己を省みて踏みとどまらずに、「対象」へと向かわなければならない。なにに自分は怒っているのか。それを明らかにするためには徹底した観察が必要なんだと思う。まったくしんどい作業だ。
お手隙のときに読んでいただければと。 元ラグビー日本代表・平尾剛氏が語ったオリンピック報道への違和感 | FRIDAYデジタル friday.kodansha.co.jp/article/199971 #アスリート #テレビ
いまの段階で五輪開催と感染拡大が「関係している」とは断言できない。反対に「関係していない」というのもそう。なのに関係していないとだけ断じるのはおかしい。不明なのであれば「関係しているかもしれない」と、その蓋然性を調べるのがとるべき態度なはずです。→
僕も引退後しばらくはラグビーを観るのが苦痛でした。益子さんのように嫌いになっていた。この引き裂かれた胸の内は、学問をすることでなんとかやり過ごしていたような気がします。競争がもたらすプレッシャーは想像以上に心身を蝕む。それを見据えたスポーツ教育がこれからの課題だと思います。 twitter.com/fujinkoron/sta…
うまくリンクできていませんでした。すみません。再投稿しておきます。 sisterleemag.medium.com/%E3%82%A2%E3%8…
東京五輪失敗の根本原因はコロナではない 経済思想家・斎藤幸平 dot.asahi.com/aera/202108060… @dot_asahi_pubより
そして、こういう苦言を呈する元アスリートが増えなければ、この先もスポーツはいいように利用され続けます。社会から切り離され、一部のトップアスリートのみが賞賛される聖域は、ゆっくりと、でも確実にその裾野を狭めてゆく。それを僕は回避したい。ただそれだけなんです。
アスリートが特別扱いされる今、これほど真摯な呼びかけはない。「特別扱い」とは、言い換えれば社会を生きるひとりの人間として十全に認められていないということです。無垢な存在として祭り上げられ、政治利用されていることにアスリート自身が気づかなければ、スポーツの未来はないと僕は思います。 twitter.com/emorikousuke/s…
「問題を再陳列して問う」のはとても大切だし、この作業は根気強く続けていかなければなりません。感動したからええやん、成功やん、とするのは、物事を振り返らない反知性的な振る舞いだと思います。 twitter.com/takedasatetsu/…
「スポーツ」を楽しみたいのに楽しめない、まるで水中にいるような息苦しさを覚える17日間だった。どこでなにをしていても、テレビやスマホの画面から「オリンピック」がふと意識に入り込み、知らず知らずのうちに思考に耽っていた。→
感情に流されないようブレーキを踏みながらの思考は、とかく心身を疲弊させる。研究者だからそれが仕事とはいえ、元アスリートとしての思いが冷静さを失わそうとするから、ある種の混乱を招いていたのだ思う。→
生きるということは忘却への抗いだと思う。繰り返し思い出すことで、かろうじて忘却を免れることができる。言い換えればこれは「死者との対話」を続けること。亡き者との対話は決して疎かにしてはならないと思う。 twitter.com/mitsuhiro411/s…
医療崩壊を招いた要因が五輪であることは論を俟たない。スポーツの祭典たる五輪の開催がこれほど多大な社会不安をもたらした。スポーツ経験者としてとても心苦しい。これがスポーツというのなら、解体されてもいいとさえいまは思える。スポーツを再構築するために、僕は批判をし続ける。 twitter.com/chooselifepj/s…
「スポーツマンシップ」という言葉は、このままだと死語になってしまいそうで怖い。少なくとも空語にはなるだろう。いや、すでにそうなりつつある。とくにその道の研究者は、あらためて問い直す必要があるとは思うのだが、そうした論考は寡聞にして知らない。もし知っている人がいたら教えて欲しい。→
「スポーツには人命を救う力はない」医師が五輪礼賛ムードに抱く底知れぬ怒り 医療現場からはまるで異次元の世界 #プレジデントオンライン president.jp/articles/-/484…
スポーツ選手に「五輪問題」を問うのは“誹謗中傷”ではない! 五輪開催に異を唱えた有森裕子、平尾剛が語る「アスリートと社会」 lite-ra.com/2021/08/post-5… @litera_webより
「選手への誹謗中傷」と「五輪反対への意思表明」は明確に異なります。感情に流される一部を除いた反対論者のほとんどは、コロナ禍の社会を慮って、あるいはこれまで蓄積された研究を論拠に節度を保って為されています。ここをごちゃ混ぜにしてはなりません。