もしカルトとのつながりを知らずに講演をしたり祝辞を送ったとするなら、それを痛恨の極みとして受け止め、記者会見で謝罪して今後二度と関わらないと約束するのが「本当に知らなかった人」の態度だろう。それをしないということは推して知るべしで、つまり嘘をついているとみて差し支えないと思う。
アスリートが特別扱いされる今、これほど真摯な呼びかけはない。「特別扱い」とは、言い換えれば社会を生きるひとりの人間として十全に認められていないということです。無垢な存在として祭り上げられ、政治利用されていることにアスリート自身が気づかなければ、スポーツの未来はないと僕は思います。 twitter.com/emorikousuke/s…
Twitterは旧統一教会がらみのニュースで溢れているけど、テレビや新聞はそうではなく、だんだん沈静化しつつある空気が漂っていて、それが薄気味悪い。時間による風化は相手の思う壺。粘り強く批判を続けていかなければならない。どうにかして対話の道筋をつけなければ、分断は深まるばかりだ。
聖火リレーが始まりました。この期に及んでまだ開催するつもりでいることが僕には理解できません。世間のスポーツを見る目がさらに厳しくなることに、ますます気落ちします。当事者がこのまま黙認を続けることでスポーツの価値は底無しに下落し続ける。それをなんとか食い止めるために発信を続けます。
平尾剛氏「室伏長官、山下会長も不誠実だ」 拡大する東京五輪汚職…沈黙守るアスリートらに怒りの提言 tokyo-sports.co.jp/sports/4426976/
秩父宮ラグビー場の移転に異議を申し立てる署名を立ち上げました。まずは杜撰な計画を知って下さい。そして賛同いただけるのなら署名して欲しい。ラグビー場の建て替えはもちろんのこと、1000本の樹木を伐採する再開発そのものにも僕は反対です。 chng.it/qJNHZcYK
スポーツを語るときに頻用される『夢や感動を「与える」』という表現には、ずっと違和感があります。夢や感動は、それを感じる主体が能動的に抱き、感知するもので、あらかじめ用意されるべきものではないはずです。→
今のこの情況で、政府のやり方に追従して人々に耐え忍ぶように呼びかけている人を、僕は信用しません。今だからこそ、アカンものはアカンと言わないと。こうすべきだと主張しないと。今は世界的な緊急事態なんです。愛する人もそうでない人も、ともに守るために僕は引き続き声を上げます。バカヤロー。
思いっ切り水を差しますけれど、これは五輪憲章違反です。たぶんメディアもわかってやっているとは思いますが、競争を煽る報道はもうやめにしませんか?こういう積み重ねが勝利至上主義を加速させるんです。「競争」は丁寧に扱わないとスポーツの本質が損なわれます。 www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
元アスリートとしてのうしろめたさを抱えながら書きました。 ぜひご一読下さい。 president.jp/articles/-/500…
寂しいけど、これが現実なんだよな。社会と切り離されたところにスポーツはあって、それを自覚している関係者が絶望的に少ない。多様性とか調和とかの概念は、社会へのまなざしがあって、かろうじて実現の道が開かれるのに、そのまなざしが共有されていない。ここにもまた無力感が湧いてくる。 twitter.com/chihiro_nishi/…
防衛費の拡大とそれに伴う増税のニュースに触れるたびに、サッカーW杯へと思いが及ぶ。またしてもスポーツ・ウォッシングが行われつつある。祭りの華やかさの陰で私たちの生活が脅かされつつあることを、どれほどの人が自覚しているのか。ええ加減にせえよ、という怒りがいまは必要だ。
余計なことを考えずに競技に集中すればいい。おそらくほとんどの指導者は選手にそう話しているだろう。感受性が強い選手は、社会の動向を感知しつつもこの言葉にすがり、不安や困惑を抱え込んでいると想像する。
これだけの樹木を伐採してまで建てる必要があるとは、到底思えません。自然を破壊し、人々の暮らしを損なうことにラグビーが加担するのを、僕はよしとしません。 twitter.com/gaienfuture/st…
死を目前にした坂本龍一氏のこの声に応えずしてどうする、という気持ちがとめどなく湧いてきます。この再開発に反対せずして、この先ラグビーの魅力を語ることが、僕にはできません。ラグビー界、そしてスポーツ界にいるみなさん、そろそろ意を決しませんか? jisin.jp/domestic/21920…
またひとつ、大きななにかが失われてしまうことにため息が漏れる朝。この脱力感を振り解いて、またコツコツと積み上げていかねばなりません。反対デモに参加する人たちに敬意を払いつつ、今日という日を過ごします。 #国葬に反対します
今年が勝負なんです。 ぜひお読みください。 「東京五輪の失敗を繰り返してはいけない」2030年札幌五輪を阻止するために今やるべきこと 内定前の今ならまだ辞退できる #プレジデントオンライン president.jp/articles/-/543…
そして、こういう苦言を呈する元アスリートが増えなければ、この先もスポーツはいいように利用され続けます。社会から切り離され、一部のトップアスリートのみが賞賛される聖域は、ゆっくりと、でも確実にその裾野を狭めてゆく。それを僕は回避したい。ただそれだけなんです。
主に少年犯罪を扱う弁護士から、スポーツ推薦で進学した生徒や学生が挫折を機に犯罪に手を染めるケースが後を絶たないと聞いた。いとも簡単にアイデンティティが崩壊するその様を、とても心配しておられた。成長期の子どもに相応しいスポーツのあり方を、早急に模索しなければならないと思う。 twitter.com/rao_rug/status…
これが「スポーツウォッシング」です。ここまであからさまなのに憤りも危機感も感じないスポーツ関係者は、取り込まれてるんですよね、もう。スポーツを守ることより強者の側に立つことを選んだんです。 選手の活躍「政権に力」 五輪開催で自民河村氏 | 2021/7/31 nordot.app/79412748983987…
これを機に五輪と決別する。これ以上、五輪に振り回されないよう手を打つ。そうしなければスポーツは文化的な価値を失い、終焉を迎える。それを避けるためにもスポーツと五輪を切り離し、肥大化した五輪を適切に弔うことが今すべきことだと僕は思う。
「できるかできないか」ではなく「すべきかどうか」を考える人が、関係者のなかにいないのか。それこそが絶望的だ。 30年札幌五輪招致、関係者が絶望視「もうできないのではないか」…東京五輪汚職事件余波 招致活動に逆風(スポーツ報知) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/a447d…
あくまでも個人的な印象だが、分断を煽るようなことを平気で言い、非民主的な考え方をするこんな人がなぜ政治家なのか。なぜ要職に就けるのかがずっと不思議だったが、統一教会という補助線を引けばそれに得心がゆく。と同時に筆舌に尽くし難い危機感を覚えているのが今で、ずっとソワソワしている。
参加することに意義があると謳いながらメダルの数を数え、各国の競争を煽ってきたこれまでを振り返っても、五輪憲章は名ばかりの理念だった。だから、このたびの発言や後任の人選にも今さら驚かない。もともと五輪とは、「平和の祭典」という建前で一部の人達が私腹を肥やしてきた商業イベントだった。
オリンピックはもうスポーツではありません。スポーツという健全なイメージを盾にした、単なる巨大な商業イベントです。金儲けのための手段でしかない。それがはしなくもパンデミックで露呈した。ようやく多くの人がこの事実に気づいた。今こそ立ち止まって真剣に考えるときだと思います。