今のこの情況で、政府のやり方に追従して人々に耐え忍ぶように呼びかけている人を、僕は信用しません。今だからこそ、アカンものはアカンと言わないと。こうすべきだと主張しないと。今は世界的な緊急事態なんです。愛する人もそうでない人も、ともに守るために僕は引き続き声を上げます。バカヤロー。
ラグビー関係者にとっては驚きとよろこびが隠せない決定❗️45歳になったばかりの僕には最高のプレンゼントだ😁 ラグビー日本「ティア1」に アジア初、強豪国認定へ: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXMZO…
本日発売の週刊文春に掲載された、大阪日日新聞記者の相沢冬樹氏の記事。亡くなられた赤木俊夫さんの妻、雅子さんは、小泉今日子さんの発言に救われたという。検察幹部の「安倍官邸は黒川さんの定年延長で、検察の虎の尾を踏んだんだよ」という発言も見過ごせません。必読です。
現状を鑑みると中止しかありません。オリンピックはもはや「平和の祭典」ではない。強いて言えば「平時の祭典」であり、裏を返せば「緊急時の厄災」です。そして「東京五輪中止」という事実から、僕たちは近代オリンピックのあり方とスポーツそのものを、根底から考え直さなければならないと思います。 twitter.com/nikkei_sports/…
ペダルを漕ぐ脚の筋肉を鍛えるのではなく、空気抵抗を抑える体勢を作ることでパフォーマンスが飛躍的に上がる。爽快!この発想の転換こそが「脱・筋トレ思考」です。 twitter.com/st_phys_bot/st…
スポーツを語るときに頻用される『夢や感動を「与える」』という表現には、ずっと違和感があります。夢や感動は、それを感じる主体が能動的に抱き、感知するもので、あらかじめ用意されるべきものではないはずです。→
今や高校球児もインタビューなどで「感動を与える」という表現を使うようになった。感動なんて与えなくてもいいし、本物の感動なんて与えることなどできやしない。一所懸命に白球を追う姿を観た者が、あくまでも結果として感動するのであって、あらかじめパッケージされた感動なんて幻想に過ぎない。→
大坂なおみ選手の大会ボイコットを支持します。トップアスリートが社会的な発言に踏み切るためには、スポンサー離れなど今後の競技生活に支障をきたす恐れを払拭しなければなりません。とても勇気ある行動で、想像を絶します。僕もこの勇気に倣い、元アスリートの立場からこれからも発言を続けます。
冷静な政治判断ができないほど体調が悪いんとちゃうの?茶番もええとこやん。朝からホンマに腹が立つ。 首相、在任中に敵基地攻撃方向性 与党幹部へ伝達、9月前半NSC | 2020/8/31 - 共同通信 this.kiji.is/67313611974017…
ジワジワと侵害される前に現時点で手を打たないと大変なことになると僕は思います。ゴール前に攻め込まれてから対処するのでは遅いんです。そこに至るまでに攻め込まれる兆候を察知し、危機の芽を潰しておかなければ相手にトライを奪われてしまいます。 twitter.com/NOSUKE0607/sta…
「五輪神道」は言い得て妙だと僕も思います。オリンピックはもうスポーツではありません。アスリートや社会的弱者を置き去りにして、利権を貪る一部の人たちのためのビジネスでしかない。コロナ禍でそれがあぶり出され、それにたくさんの人たちが気づき始めた。ケリをつけましょう、この機会に❗️ twitter.com/mas__yamazaki/…
五輪を前提とした強化策も、もうやめましょう。各競技、五輪なしでも継続できる方策を考える。強化費に頼らずともやっていける道を模索する。つまりそれは子どもたちの気持ちをつかむことだと思う。「選別的指導」を排除し、健全なスポーツのあり方を構築すれば十分に命脈を保てると僕は考えます。
新型コロナ禍への対策はだれが講じても不十分に終わる。対自然なだけに、それは仕方がない。でもそこには誠実さがなければならない。ナイーヴなまでの誠実さだけが、ささやかな安心を生むのだから。でも今はそれが足りない。この現実に、どうしようもない憤りが湧いてくるのが「いま」なのだと思う。
コロナ禍という緊急事態が、はしなくも五輪の矛盾をありありと露呈している。大手メディアがこれまで取り繕ってきたベールがものの見事に引き剥がされつつあり、多くの人がようやくそれに気づき始めた。今こそ五輪を、スポーツの本質を、あらためて再考すべきときだと僕は思う。
参加することに意義があると謳いながらメダルの数を数え、各国の競争を煽ってきたこれまでを振り返っても、五輪憲章は名ばかりの理念だった。だから、このたびの発言や後任の人選にも今さら驚かない。もともと五輪とは、「平和の祭典」という建前で一部の人達が私腹を肥やしてきた商業イベントだった。
ここにきて、そのベールが剥がされた。新型コロナウイルスの蔓延という緊急事態下で、この事実にたくさんの人が気づいた。それに焦った関係者が自ら墓穴を掘るようにその実態を曝け出したのが、今回の一連の騒動だと思う。
今の私たちにはもう純粋に五輪を楽しめない。いやむしろ興醒めしているといってもいい。およそ8割が開催に否定的な世論の、この「興醒め」を、スポーツ関係者は真摯にとらえるべきだと思う。このままだとスポーツは終わる。僕は大真面目にそう感じている。
これを機に五輪と決別する。これ以上、五輪に振り回されないよう手を打つ。そうしなければスポーツは文化的な価値を失い、終焉を迎える。それを避けるためにもスポーツと五輪を切り離し、肥大化した五輪を適切に弔うことが今すべきことだと僕は思う。
日本でもここにきてようやく現役アスリートの声が聞こえ始めた。彼らの切実な訴えからは「ためらい」がみてとれる。これは、五輪が「平和の祭典」ではなく政争の具に、あるいは単なる商業イベントに過ぎなかった事実に気づいたがゆえの、素直な心持ちだと思う。
アスリートのセカンドキャリアに関する記事。まさかここまでの数字になるとは思わなかった。 サッカー選手“引退後”の現実とは イングランドでは40%が4年以内に破産、3分の1が1年以内に離婚(Number Web) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/2a6e4…
ちょっと言葉にならない。死者は誰の胸の中にも生きていて、その人の生を意味づけている。死者への冒涜は、そのまま死者を想う私たちにも返ってくる。これは僕も「絶対」に間違っていると思う。 twitter.com/ChooselifePj/s…
これはやっぱり許せない。ここまで国家が非人道的になっれるのか。いやそもそも国家はそういうものか。すっかり怒りキャラが定着しつつあるけれど、僕が怒りっぽいというよりも怒りが湧く事案が多すぎるのだ。僕だってできることなら平穏に過ごしたい。でも、こればかりは見過ごせない‼︎ twitter.com/ChooselifePj/s…
東京五輪がここまで歪になったのは、メディアがスポンサーになったことが元凶だとつくづく思う。薄膜を張るようにその実態が覆い隠され、その結果、市民が煙に巻かれた。報道すべきことを報道しないと、いとも簡単に社会は混乱する。それをまざまざと実感する3月11日の朝である。
オリンピックが開催されることで生じる歪みのひとつです。アスリートや観客がひと時の感動を得るために、人生を失う外国人がたくさんいるんです。人権もなにもあったもんじゃない。それでも開催するのはなぜなのかを、考えてほしい。僕はスポーツ経験者だからこそ、心が痛むんです。たまりません。 twitter.com/documeme/statu…