251
アメリカだけの話ではないですね、これも。
「労働者が不足しているんじゃないんです。
普通に生活できるだけの賃金(リビング・ウェイジ)を払う仕事が不足しているんです。」
ロバート・ライシュ教授
252
学生の頃は日本が素晴らしいと聞くたびに嬉しかった。尊敬されたのは経済だけでなく精神的なものもあった。ある日、黒塗りの文書をメディアで見て言葉を失った。文書の改ざん、廃棄、隠蔽のニュースが止まらなくなった。心の支えが崩れるようで辛かった。その時はまだ何が起こったのか分からなかった…
253
繰り返しますが、絶対に嘘をついてはいけないぞ、と子供たちには教える社会の先頭で、大人たちが嘘を突き倒している社会の現実。
254
「億万長者より教師や看護師のほうが税金を多く払うなどということがあってはいけないんです。」
バーニー・サンダース氏
255
繰り返しますが、たとえ誰かが虐げられているときに声を上げたとしても、すぐには何も変わらないかもしれませんが、誰かが虐げられているのに誰も声を上げない、皆が当然のように傍観する「現実」だけはすぐにでも変えることができます。
256
もう一度繰り返しますが、差別する側の人生にも辛いことがあるという事実は、これからも差別構造をそのまま放置していい理由、にはなりません。
257
自己責任や自助という言葉が当然のように飛び交う状態を見ると、学生時に学んだ被害者批判、ビクティム・ブレーミングを思い出しますね。加害側にはノータッチで被害者だけを責める脳の傾向…脳のエラーだと学びましたが、まるで「政策」のように利用されることがあるとは当時は思いませんでした…。
258
繰り返しますが、子供たちが将来武器を持って戦線に送られるかどうか、という文字通り生死にかかわる極めて重要な議論を、自らは死んでも絶対に戦線には行かない大人たちが勝手に進めてしまう社会の残酷な現実。
259
これは子供たちへのメッセージです。
人をいじめるのは「強さ」などではなく、人間としての弱さです。強くなるには人を助ける、守る、ということを学ばなければいけません。もし人をいじめるようなエネルギーがあるならば、どうか人を助けることに使って下さい。(続)
260
子供達に同じ髪型をさせ、同じ意見に同調させ、大人には逆らわないよう学ばせ、国内でしか通用しない無数の校則に従わせ、自由な議論は極力控えさせ、受験で受かる事を最優先した勉強に貴重な人生を捧げさせる。本当にこれで教育の未来は安泰だろうか。一体私達の社会は何処に向かっているのだろうか。
261
繰り返しますが、いじめっ子は一人でいじめを続けられない。上司は一人でパワハラを続けられない。差別者は一人で差別を続けられない。必ず周りで傍観している人間がいる。人権が侵されている時の沈黙は決して「中立」などではありません。周りが傍観しなければ成り立たないからです。(続)
262
人権の侵害に加担すると分かっているなら、決して沈黙してはいけないんです。
263
凄いですね…
これを世界中の人が見ている。「改ざん」という言葉をNetflixで聞くとは思いませんでした。このガーディアンの記事もフィクションの批評をしているようには聞こえませんね。
「日本のドラマの政府はわれわれのそれ(英国ドラマの政府)より腐敗しているのか?」
amp.theguardian.com/tv-and-radio/2…
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君たちが偉くなったら変えたらいい、ではないんです。早く出世しなくてはいけないね、ではないんです。繰り返すようですが、「偉く」なるまでみんな黙った結果、今の社会の姿があるんです。いろんな理由をつけては黙らせた結果、現状があるんです。出る杭を叩く風潮を許してきたのは私達自身です(続)。
265
もう「偉くなる」まで先延ばしにする余裕なんてないんです。地位に関係なく、みんなで変えなければいけないんです。もう、みんなで声を上げないと、とてもじゃないけど変われないところまで来てしまっているんですから…
266
社会は理不尽なものだから。学校で理不尽さに慣れる練習をしないといけないんだよ。繰り返しそう言われると「理不尽さ」というのは理由もなく存在し、受け入れるしかないというふうに聞こえるかもしれません。しかし違うんですね。理不尽さの中身は搾取であり、ハラスメントであり、虐待でもある。(続)
267
逆に言えば、社会は理不尽なものだと人々に受け入れさせることで、放置され、守られてしまう人権の軽視、侵害があるんです。そもそも「理不尽」というような曖昧な表現を使って問題の本質を隠す必要はないんです。理不尽さの正体はしばしば露骨な人権侵害です。(続)
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私達は子供達に理不尽さを受け入れさせるのではなく、社会に放置されてきた人権の侵害と一緒に向き合い、なくす努力をしなければいけないんです。つまるところ、社会は決して理不尽である必要はないし、理不尽を受け入れる必要もないんです。
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繰り返しますが、特定のマイノリティの人権ならおろそかにしてもいいと考えてしまう社会では、実はみんなの人権が危ないんです。社会の根底に人権意識が欠けてしまっているからです。理由があれば人権を侵してもいいと考えてしまうからです。それがどういう意味なのかよく考えなければいけません。(続)
270
ほんとうに、いつからでしょうか。被害者が「去る」のが当たり前になったのは。いじめと呼ばれる暴力、虐待を受ければクラスを去り、学校を去る。セクハラ、パワハラにあえば職場を去り、会社を去る。痴漢にあえば時間をずらし違う電車に乗る…。(続)
271
守られるべき人たちが去り、加害が当然のように居座る。被害を生む原因が放置されれば、当然、新しい被害者が生まれ続ける。そして被害者は去るのをやめない。彼らがほんとうに守ろうとしているのは誰なのか、痛感しながら…。
272
繰り返しますが、いま社会で起きている問題の多くは人権意識の欠落という点で根底で繋がっていますね。それが教育のせいだとは言いませんが、今後、教育で大きく変えられるものだと思います。ここまで来たら「道徳」よりも何よりもまず人権教育だと思います(続)。
273
もう何度も繰り返していることですが、犯罪が起きたときに加害側にはノータッチで被害者ばかり責めてしまう脳の傾向を「被害者批判」、ビクティムブレイミングと呼びます。脳がおかしてしまうエラーの一つです。加害側に立ち向かう勇気はとてもないので、そばにいる被害者を責めてしまう。(続)
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もともと被害者を守り、加害側と向き合うべきところを、すでに傷ついている無抵抗な被害者をさらに追いつめる、という深刻なエラーをおかしてしまう。向き合わずに放置することで加害を守ってしまう。当然、加害の根源を放置してしまえばまた新しい被害が生まれ続ける。(続)
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守らなければならないのは被害者です。私たちは気が付かないうちに「被害者批判」におちいっていないかどうか、自分の思考を常にチェックしておかなければいけません。