国民に残りの人生を97条なしで生きてゆけというのか。この殺伐とした社会風潮を本当に97条なしで生きていくことになるのか?いや、そもそも国民にとってこんなに大事なものをどうして憲法から抜かなければいけないんだ。いったいこれは、誰のための「改憲」なんだ…。
「ネットで批判相次ぐ」と報じるメディア。どうしてメディアでは批判が相次がないんだろうか…。
何度も繰り返しますが、これから40年、50年経って振り返った時に、あぁ、やっぱりあの時、あれだけの事があったんだからみんな投票に行くはずだろうなんて決めつけずに、みんなでもっと声を上げて、国の運命がかかっていると思って誘い合ってでも選挙に行くべきだったなぁ……というのが今年だと思う。
改憲草案でことごとく改正対象になった箇所を見れば、どれだけ憲法が国民を守ってくれているのかとてもよく分かる…。
すぐに「効果が出ない」ものや、すぐに「儲けが出ない」ものを片っ端から削り落として行った先に見えるのはどんな未来だろう…。
繰り返しますが、いま教育に十分投資している国と、そうでない国との差は、次の数十年でまたはっきりと現れるでしょうね。教育への投資というのは、社会全体の未来への投資そのものですから…
何度も言いますが、一度でいいから、リーダーが損得勘定よりも人道的、倫理的観点を最優先して政治的決断をするところを見てみたい…一度でいいから。
何度も言うようですが、教育に十分投資している国とそうでない国の差は、数十年後にまたはっきりと現れるでしょうね。教育への投資というのは、社会全体の未来への投資に他ならないからです。
「老人くらい切り捨てていいやろ」って、自分は老いないみたいなスタンスで話してるの、どうしてだろうな。
繰り返しますが、特定のマイノリティの人権ならおろそかにしてもいいと考えてしまう社会では、実はみんなの人権が危ないんです。社会の根底に人権意識が欠けてしまっているからです。理由があれば人権を侵してもいいと考えてしまうからです。それがどういう意味なのかよく考えなければいけません。(続)
もう一度言うが、これから若者の数がますます激減し未曾有の危機を迎える世界有数の超高齢化国家が失われた30年の最後に改憲して戦争、ってどういう流れだろう…。
繰り返しますが、搾取する側の人生にもつらいことがあると言う事実は、これからも搾取を続けていい理由にはなりません…
さんざん検査は必要ないと言っておきながら、いざ五輪アスリートが到着すると”バブル”の中だけ世界基準に習ってせっせと検査、隔離を徹底。一方、バブルの外は感染拡大しようが、医療が逼迫しようが放ったらかし…露骨に命の区別をしてしまっている。これでは市民が怒らないほうがおかしいと思います…
繰り返すが、自由に声を上げられる未来になるかどうかは、今日声を上げているかどうかにすべてかかっている…。
繰り返しますが、すぐに「効果の出ない」ものや、すぐに「儲けの出ない」ものを片っ端から削り落として行った先に見えるのは一体どんな未来だろう…。
繰り返すが、黙っていたら凄い速さで状況が悪化する世界に私達は生きているが、声を上げる勇気を絞り出すだけで何かが変わり始める可能性を含んだ世界でもある…。
お願いですから「改ざんとか隠ぺいとかはおやめ下さい」「後世にちゃんと文書を残しましょう」と国の主権者が政治家に懇願しなければいけないような政治風潮、本当にどうかしてるよな。切ないなぁ。
繰り返すが、日本の国民に基本的人権が初めて保障されるようになったのは終戦後だった。戦前に「回帰」するということは国民にまだ基本的人権が保障されていなかった時代の価値観や思想に戻るということ。本当にそれで国民は幸せになれるのか。生きやすい社会になるのか。どうかよく考えてほしい…。
確かに声を上げるのは怖いが、声を上げない結果やって来る未来のほうがずっと怖い。やり方は様々でも私達一人一人が今いる場所から今日声を上げることで社会の未来は変わり始める。おかしいことははっきりおかしいと言うのを当たり前にしよう。理不尽さを黙認するのをやめよう。みんなで声を上げよう。
何度も、何度も繰り返し言われている事だと思うが、「声を上げたって何も変わらない」と本気で信じていたら、あれだけ必死に黙らせに来ない…。
もう「偉くなる」まで先延ばしにする余裕なんてないんです。地位に関係なく、みんなで変えなければいけないんです。もう、みんなで声を上げないと、とてもじゃないけど変われないところまで来てしまっているんですから…
改憲草案でしれっと全文削除されていた憲法97条。実は[最高法規]の章という、憲法はこの国の最高法規だぞと位置付ける、滅茶苦茶大事な章(第10条)に記されていたんだよな。それがどういう意味なのか皆んなでしっかり考えていこうな。本当に、本当に大事なことだから。日本国憲法第97条「この憲法が(続)
いま起きている問題の多くは人権意識の欠落という点で繋がっていますね。それが教育のせいだとは言いませんが、今後、教育で大きく変えられるものだと私は思います。ここまで来たら、道徳よりも、何よりもまず人権教育です。私達大人も子供も人権教育です(続)。
繰り返しますが、誰かの人権が侵されている時に、たとえ声を上げたとしてもすぐに状況は変わらないかもしれませんが、誰かの人権が侵されてると分かっているのに皆が当たり前のように傍観する「現実」はすぐにでも変えることができます…
ここにいられる間は繰り返したいと思いますが、「基本的人権は永久に侵してはならない」と言わしめる為に、幾つの人生が犠牲になったのか、今日を生きる私達は絶対に忘れてはいけないでしょう…。