アメリカ人の友人が教えてくれた。「富裕層を裕福にすればお金が貧困層にも”滴る”ってずっと刷り込まれてきたけど、あれは一番お金が必要な層にお金を渡さずに裕福層に渡すための言い訳だと後で気づいたんだ」確かに相変わらずの格差社会。富裕層から貧困層に富が滴るルートがそもそも存在しないのだ…
繰り返しますが、毎年軍事費には国のお金を躊躇なくバンバン注ぎ込むのに、中では多くの市民が困窮している。多くの子供達が飢えている。世界にはそういう社会がいくつもありますね。「軍国主義」とも呼ばれますね。軍事力でなんでも解決できるはずだという昔からある考え方。(続)。
学校は社会の不条理さに耐える練習をする場所ではない。学校は不条理の残った社会の現状を打破できる才能を育てる場所であるべきだ。学校を不条理な社会の現状維持に使う社会はいずれ代償を払う。目まぐるしく変わる世界に対応できずにあっという間に時代の流れから転げ落ちてしまう危険がある。
弱者なら切り捨ててもいいなどと言う人は自分は生涯弱者にならないと思っているんでしょうか。生産性のない人間に価値はないなどと言う人は最後まで生産性を保てると思っているんでしょうか…いずれその残酷な言葉の矛先に自らが立つ時、一体何を思うのでしょうか……
史上最高額の五輪を開くことで特定の企業に莫大な資金が流れる一方で、炊き出しに並ぶ大勢の開催地の市民。フードバンクに殺到する若者たち。生活費を払うために政府からさらに借金をせざるを得ない大勢の市民。何度も言いますがお金や資源の使い方の優先順位を根本的に誤ってはいないでしょうか(続)。
とかねてから批判されてきた同システムをついに終結させる法案が提出され米両院で党の垣根を超えた圧倒的多数支持を受けて見事に可決。マジョリティリーダーのシューマー氏も(可決されるのが)遅過ぎるわ、とピシャリ。同法のもとセクハラなどの被害を受ければ自由に裁判を起こせるようになるとのこと。
いまの与党はもう憲法を守らなくてもよくなったのだろうか。戦争も武力も「永久に放棄」と記されているが。第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
多くの市民が、食べるのに困るほど困窮していると知っているのなら、市民が困窮しないようにお金を使うのが先ではないのですか。お金の使い方の優先順位を根本から誤ってはいないでしょうか。リーダーたちにはほんとうによく考えるようお願いしたいですね(続)。
この状態で五輪を開催することを心配する、過半数を超えるような市民をひとくくりにして「反日」と呼んでしまう日本の元リーダー。そんな先進国って他にいくつくらいあるんでしょうか。世界で高く評価されている国々のリーダーは滅多に口にしないセリフだと思いますが。外から見ていて本当に複雑です。
米新政権は30万人以上の障害を持った市民を対象に、学生ローンを取り消す(支払わなくていいように)と発表しました。今回取り消される額は58億ドル(6000億円以上)。社会保障制度で障害者手当てを受ける市民に対し自動的に学生ローンが取り消されます… CNBC google.com/amp/s/www.cnbc…
政治を司る側の人間が「自己責任」だの「自助」だのと国民に向けて恥ずかしげもなく連呼し始めたら即座に退場させてほしかった…。
繰り返すが、市民を黙らせるのに必死な政治よりも、市民の言葉に耳を傾けるのに必死な政治のほうこそ全力で支持したい…。
政治家は信用しないし政治には全く無関心だと誇らしげに語る人達は、自分や家族、友人らが将来戦地に送られるかもしれないことにも関心がないのだろうか。まさか、周りの人間が戦地に送られ始めてから初めて「何かおかしいなぁ」と気づく…そんなことがあるはずがないだろう、まさかそんなことが…。
普段から感じることなんですが、話し合いの席で黙っていたら勝手に「賛成」したことにされる状況というのが多々ありますね。必要な時にいつでも自分の意思を明確に説明できる能力というのは欠かせませんね。教育システムでたっぷり時間を割いて伝えても十分価値のある大切なスキルだと強く思います…。
ほんとうに、貧困層が拡大する社会で、市民の生活を犠牲にしてでも絶対に守りたい「国益」とは、いったい誰のための「利益」のことを話されているんでしょうか…
先月BBCが「Shukatsu性差別」といタイトルの記事で日本の就職活動の現状を伝えました。性別によって服装、髪型、面接中の座り方まで細かく決められている。性の多様性が当然になりつつある国々から見ると特異に映る日本のShukatsu文化。見直すべき時が来ていると思います…google.com/amp/s/www.bbc.…
私達は子供達に理不尽さを受け入れさせるのではなく、社会に放置されてきた人権の侵害と一緒に向き合い、なくす努力をしなければいけないんです。つまるところ、社会は決して理不尽である必要はないし、理不尽を受け入れる必要もないんです。
いつからだろう。都合の悪い書類を平気で捨ててよくなったのは。真っ黒に塗られた文書を公開してよくなったのは。記憶にありません、が普通の応答になったのは。国を動かす人が責任逃れに懸命になるのを見るのが普通になったのは。日々人の信用を失いながら一体どこへ向かっているのだろうか。
いまは世界から注目されているので、忖度しない海外メディアのニュースや中継が毎週のように簡単に見れますね。五輪騒動が終わっても海外メディアにはぜひ日本を注視し続けてほしいですね。今の社会状況で、権力側に萎縮しない国際メディアというのは本当に貴重な存在だと思います。
こんなことをお願いなければいけないこと自体悲しいが、国内の主要メディアはもう「忖度」しないでほしい。言うまでもなくジャーナリズムに「忖度」という言葉がいつまでも居座っていてはいけない。忖度をやめてジャーナリズムの信頼回復に努めて頂きたい。日本の未来の為にもお願いしたい…。
何度も何度も繰り返しますが、教育に進んで投資している国とそうでない国との差は、次の数十年でまたはっきりと現れるでしょうね。教育への投資というのは社会全体の未来への投資にほかならないからです…
ブログでアメリカ人の女性に対して”冗談で”「犯すぞ」と日本語で言った日本人男性のことを書いたことがあります。その記事を公開して以来、私も言われたことがあるという反響を複数の女性からいただきました。人に対して絶対に口にしてはいけない言葉。今変えなければ大変なことになると思います。
数々の被害を生んできた世界的一大教団のイベントに「うっかり」出席してしまったり祝電を送ってしまったり花を贈ってしまうなんていう信じ難いことが実際に起きるんだということを日本のニュースで学ぶ。しかも一国の政治家達がぞろぞろと。本当に大丈夫だろうか、この国の未来。
逆に言えば、社会は理不尽なものだと人々に受け入れさせることで、放置され、守られてしまう人権の軽視、侵害があるんです。そもそも「理不尽」というような曖昧な表現を使って問題の本質を隠す必要はないんです。理不尽さの正体はしばしば露骨な人権侵害です。
もう「偉くなる」まで先延ばしにする余裕なんかないんです。地位に関係なく、みんなで変えなければいけないんです。もう、みんなで声を上げないと、とてもじゃないけど変われないところまで来てしまっているんですから…。