けいきゅう~ん(@FUEL_CELL_BUS)さんの人気ツイート(古い順)

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1993年2月から約一年強、JR貨物富山機関区に転属して活躍した、JR貨物 門司区試験塗装のEF81 408。 1992年秋に転属後、車体再塗装やスノープロウ取付など整備を行ったものの、僅か1年ばかしでオリジナル色に戻され、門司区へ戻ってしまいました。 この富山駅、現在は全く跡形すら有りません。
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1991年2月20~22日。トワイライトエクスプレス編成を使用したスキー臨が黒姫折返しで運転され、初めてEF64 1000番台(1051号機)がトワイライト編成を牽引。 北陸本線はEF81 45(一般色)が牽引し、こちらも注目。 関東・関西の友人ら30人で寒い中撮った思い出。
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最近、新潟色115系が2編成復活して人気のようですが、私にとって新潟色はこのカラーリング。 一部は上越線高崎口まで運用に入り、5両編成という珍しい編成長で走る運用も有りました。 この日は「日立80周年記念号」撮影で、この写真は前座のオマケ撮影でした。
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昔のネガから。 日産の新車輸送で、東北本線を上る貨物列車。 仲間内によると、積載されているのはパルサーEXA 2ドアクーペのようです。 今見ると圧巻の輸送スタイル。中学生だった当時は何も考えず「ふ~ん」程度にシャッターを押しただけ。 そういえば西部警察の特車輸送も圧巻だったなあ~
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1991年9月1日の七尾線直流電化開業に向け、1991年春夏は113系改造種車・改造車配給が相次ぎました。 スーパー雷鳥も組成変更(9連→7+3連)とするため、クモハ485-200改造やクハ481-200のR編成仕様変更など、急ピッチで電化開業準備が進んでいましたね。 今庄で撮影後、先回りして加賀温泉で撮影。
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1989年、富山駅で並ぶ485系ボンネット「雷鳥」と「しらさぎ」。 当時はごく当たり前の光景でしたが、向日町車ボンネットのヘッドマーク直付けが終わる頃。 光線も悪く何かのついで程度に撮影したものですが、見返すと、何でもないような事が幸せだったと思う。
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北越急行開業日の1997年3月22日以降、復活した「特急 はくたか」は、上越・ほくほく・信越・北陸各線沿線へ撮りに行きました。 2000年頃までの臨時運転や代走時、ATS-P装備の489系白山編成が借り出され、越後湯沢界隈で撮るのは違和感でしたがヘッドマークはよく似合いました。
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短期間でしたが、485系3000番台R編成による「雷鳥」運用が有りました。「はくたか」R編成の上沼垂車交に絡む運用で、LED愛称幕の「雷鳥」は新鮮で、何よりLEDがアニメーションで動いて羽が動くのは驚きでした。 「北越」も日本海の波が横移動するなど、カヌ3000番台のLEDは小技が光っていましたね。
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1989年12月・北陸本線南今庄駅で撮影した普通列車。 当時、敦賀界隈の一部普通列車は475系・413系・419系を使わない気動車運用が有りました。敦賀色に塗り替えが進む中、国鉄カラー車が運用に入ることもあり、DCに興味が無かったのでついで撮影だった事が悔やまれます。
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当時、朝一番の北陸特急だった「スーパー雷鳥12号」。 朝の貨物やブルトレ狙いで新疋田直線へ行くと、7時43分に通過する派手なコイツも良い被写体でした。 秋以降は影が掛かれど、晴天なら空気も澄んで陽も綺麗。太陽が昇って背後の山から陽が射すと、一気に列車を照らす朝陽が綺麗でした。
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681系試作編成(プロト)が先日廃車に。 1992年7月27日の9連公式試運転後、9月6日に初の性能試験を6連で実施。 登場当時、公式試運転~各種性能試験~初営業運転を徹底して撮り続けた事もあり、今回の廃車は実に残念。 485系王国だった北陸に新星の如く現れ、当時の感動と衝撃は今も脳裏に鮮明です。
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1997年 北越急行ほくほく線まつだい駅。 開業間もない時の写真で、今は大きく景色が変化。 1997年3月開業日から2015年3月最終日まで、「特急はくたか」という一つの特急列車を追い掛けた。 誕生時・引退時の感動、18年間の成長過程は今も脳裏に強く残る。 疲れた時は、この景色・路線が癒しの素か。
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北陸新幹線E7系8本・W7系2本が長野で浸水。 首都圏 対北陸輸送。横軽経由・長岡経由・米原経由・北越急行経由。特にほくほく線は安定輸送でした。 この頃こそ、東京対北陸輸送の最盛期だった気がする。 明日から京都鉄道博物館で白山色489系がお披露目。 「はくたか」ヘッドマーク付きが見たかった。
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北陸新幹線が窮地の今、米原経由の北陸入り需要が高まり、連日「しらさぎ」は満席らしい。 その昔、東海道新幹線米原で接続する北陸特急といえば「加越」「スーパーきらめき」と、名古屋始発の「しらさぎ」。「きらめき」は「かがやき」と対照的に閑古鳥、末期は「加越」との差別化も無くなりました。
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北陸新幹線が不通になり、25日までJR東日本E653系使用の臨時快速を運転。 新幹線開業前、「はくたか」がほくほく線を通せない際は信越本線長岡経由で運転され、普段走ることの無い鯨波海岸をJR西日本・北越急行の681・683系が走っていました。 1997年迄の「あさひ・かがやき」リレーが懐かしい。
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本日の京急ダイヤ改正で、2100形快特「ウィングシート」誕生。ウイング?ウィング? 土休日に一部快特の2号車を300円で座席指定。駅で何これ?と知り観察。初日ゆえか混雑助長のお粗末感。 KQuick WEB限定販売&乗車可能駅限定。みさきまぐろきっぷに紐付けたら? 今後に期待し、風刺的に写真まとめ。
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京都鉄道博物館で展示中の489系白山色。 明後日11月7日から26日までは、第2期として「北越」のヘッドマークに変更。画像は30年前、倶利伽羅峠で撮影した写真です。 白山編成の「北越」「加越」は当時定期運用が有り、比較的馴染みのある異色な組み合わせで、「かがやき」代走は一度だけでした。
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金沢の489系 白山編成(白山色)といえば、車齢とは裏腹にATS-Pを取り付けてからというもの、東に西に北越急行に、とにかく運用範囲の広いマルチな編成でした。 TDL(東京ディズニーランド)臨で京葉線舞浜まで乗り入れ、回送で東京駅まで入線するなど、新たな活躍フィールドが見られたのも懐かしいです。
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本日から、京都鉄道博物館展示の489系白山色ヘッドマークが「北越」に。 北越は、3000番台R編成投入前、金沢O編成6連の国鉄特急色編成を有し、白山編成・かがやき/きらめき編成・上沼垂色編成・カヌ9連R1/R2編成も定期運用で使用、暫定でスーパー雷鳥編成も使用され、北陸特急で最も多彩でした。
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上沼垂色485系4連が使用されていた頃の特急「みのり」。高田駅へ回送後、折り返し幕回しで色々なコマが出てくるのですが、「はつかり」にはビックリしました。 「みのり」は短命な割に使用車種が多彩で、189系や485ボンネット・3000番台・特急色・勝田色混色などが有りましたね。
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白山編成(ボンネット組成)にATS-P取付が始まり、非貫通顔 白山色クハ489-300/700の両先頭車は金沢運転所K編成7連に組込。 まず米原方のみ白山色、追って直江津方も白山色の編成が誕生。しらさぎ・加越で運用し、七尾線和倉雷鳥と共通運用だった為、数回ながら珍編成7連雷鳥が走りました。
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2002年7月30日、上沼垂の485系3000番台 R2編成(はくたか編成9連)が団臨で初上京。ほくほく線対応でATS-P付の編成ゆえ、首都圏乗り入れが可能でした。 はくたかで北陸本線やほくほく線を疾走する姿に見慣れており、山手貨物線 品川付近を走る姿は新鮮。 後日、上野へも入線しています。
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東十条の線路沿いに高いフェンスが建てられ始め、いよいよお手軽撮影地も撮影不可か? 1980~90年代はEF58の回客や試客、手抜き撮影の団臨で重宝してよく通いました。 185系200番台フルフル色「草津」+「谷川」。フルフル塗装は1995年に4~5ヶ月程度で、うち新特急運用は2ヶ月程と狙うのが大変でした。
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489系 白山編成「能登」。早朝の高崎線・日の出直後の撮影。 1997年に特急「白山」が廃止されるまで「白山編成(白山色)」と呼ばれ、以後は「能登編成」と呼ばれるように。 京都鉄道博物館の白山色ヘッドマークは28日から「スーパー雷鳥」になりますが、馴染み有る「能登」を見たい方も多いでしょうね。
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京都鉄道博物館の白山色ボンネットは「スーパー雷鳥」のヘッドマークになりました。 ボンネット編成の代走は一定回数見られましたが、早々に消滅した非貫通クハ編成では私が知る限りこの時だけ。1992.4.24. 4009M 金沢駅21:48発。 当日は荒天で485系/489系運用が崩壊。電報手配で白山編成に差替え。