まとめ管理人(@1059kanri)さんの人気ツイート(リツイート順)

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朝倉義景と信長の違いというのは、能力の差云々以前に、その置かれた環境の違いが大きいとも思う #どうする家康
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じゃあ何で本願寺退去という結果に至ったのか、というと、当時の瀬戸内の航行は基本的に沿岸沿いに沿って進むしか無かったのですが、秀吉の毛利勢力圏への侵攻が進み、また宇喜田を寝返らせたことで、毛利勢力圏から大阪への船舶交通が非常に困難になった事が大きいのですね。
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『保暦間記』に先立つ『吾妻鏡』が、源範頼が曽我事件の黒幕だったと察せられる記述をしていて、保暦間記もその影響を受けた表現と考えたほうが自然かなあとも
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足利義稙(義材、義尹)は、波乱万丈でドラマチックな活躍がありながら、いまいち世間的評価が低くなってしまうのは、知名度という以上に彼が征夷大将軍として君臨したい以外に、何をしたかったのか正直良くわからないという点の影響が強い気がする。
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これはいい記事だなー 「鎌倉殿の13人」で最高で最悪の別れを演じた横田栄司と柿澤勇人…3年前の舞台でまかれていた三谷マジックの種(スポーツ報知) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/7835e…
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今川、武田、北条は、織豊に確かに敗北したが、だからといって織豊に劣る者達ではなかった事を、「江戸幕府」の成立は顕している、とも思うのだ。
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だからこそ信長は、強制滞在や楽市楽座での誘致など、権力を使って民間人を集める必要があったという事でもありますね。
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戦国武将の「異名」は近現代に成立したものも含めて山のようにあるのだけれど、おそらく同時代でもそう呼ばれていたであろう「お館様」で即座に通じてしまう武田信玄は強い。
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へええー。というか、どんな感想だw 「奥州の竜」 伊達政宗 最後の戦国大名、天下人への野望と忠誠 store.kadokawa.co.jp/shop/g/g322002…
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鎌倉幕府は後醍醐天皇らによる元弘の乱で、江戸幕府は長州征伐でそれぞれ『武威』の限界が露呈した瞬間に配下勢力への統制が崩れ滅亡に至るわけで、軍事的覇権こそが存在の基盤であった辺り、実に武家政権らしいと言えます。え?室町幕府?うーん…。
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まもなく訪れる新年はうさぎ年ですが、うさぎといえば古来より縁起のいい動物と考えられていたようで、武将の兜の意匠にもよく用いられていたりします。有名武将のものだと、伝上杉謙信所有・銀箔押張懸兎耳形冑がありますが、今度の大河ではうさぎ年だけに、謙信公これを被ってくれるかなあw
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個人的に織田信長は本能寺の変が無かった場合でも、それまで徐々に進めていた近江の織田直轄領化を為した辺りで個人としてはタイムアップだったと思う。
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本能寺の変で、秀吉が「見事な中国大返し」を成したのは、本能寺の変が起こることを予め知っていたからだ、なんて話を今もしている人多いですが、冷静に見れば、仮に秀吉が知っていたとしたら、備中からの撤退のあり方はあまりにも不出来ですね。所領の播磨にも予備兵をほぼ残してないし
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「鎌倉武士」に対する伝統的な評価は、それこそ畠山重忠を代表とした「気は優しくて力持ち」「勇猛でありつつ純朴」というような、「健全性」の代表のようなものであり、そういった感覚は例えば司馬遼太郎の鎌倉武士に関する文章などを見てもありありと感じることが出来るわけでして。
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こちらの本で印象的だったのは元亀元年、近江国野洲郡の所領を信長が、柴田勝家と中川重政の両人に朱印状を与えたため両家の紛争となり、ついに重政の弟の左馬允が勝家の派遣した代官を襲撃、殺傷するという事態に至た事件についてで、結果として重政兄弟は改易されたものの chuko.co.jp/shinsho/2023/0…
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戦国大名の「改姓(改名字)」といえば、伊勢→北条、長尾→上杉、松平→徳川、斎藤→一色、なんかがありますが、斎藤→一色からだけは家格上昇のポジティブさよりも、ネガティブな要素をどうにか覆い隠したいという意図を感じなくもない。
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和田合戦が、ある種の終着であり起点にも成っていましたね #鎌倉殿の13人
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江戸期の武士、少なくとも「職業倫理」という面では現代人の足元にも及びませんねw幕末の代表的「雄藩」、長州にあってもこの有様だったのである 武士という身分 yoshikawa-k.co.jp/book/b101510.h…
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何故か最初に、諏訪法性兜を被ったイエス・キリストという感想が脳裏に twitter.com/nhk_koufu/stat…
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同じ歴史上の有名人物でも、世間一般的なイメージと、歴ヲタ層が認識しているイメージは、殆どの場合ほぼ別人だったりする。真逆な事すら多々ある。
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正直、実質的には藤原道長の大河になるのだろうな。それもまた今まで描かれたことがないから楽しみですが #光る君へ
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というか、関ヶ原のような政権傘下の大名同士の大規模で全国的な衝突に対して傍観しか出来なかった時点で豊臣体制、豊臣公儀というものは実質的に崩壊しているわけですよ。応仁の乱で曲がりなりにも東軍西軍に対し主体的に交渉し和平までもっていった当時の室町幕府より終わっているわけですよ。
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大坂の陣で滅びたのは、実際には「豊臣家」ではなく「羽柴家」なんですよね。「羽柴」は本当に名乗る者がいなくなる。
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二日戦って義盛の頸を取った。彼に同調していた児玉、横山といった武士たちも皆失せた。 その後、源頼家の子で、十四歳の僧となっていた子があったが、この子の元に義盛方の残党が集まり彼を立てて挙兵しようとしたため、彼らも皆討たれた。十四歳の禅師が自害するなど恐ろしいことだ。 #鎌倉殿の13人
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『甲陽軍鑑』には間々、「とにかく長くてクドくて前後の整合性もあまり考えていないように見える」文章があり、そういった部分は高坂(香坂)弾正の口述をかなり正確に記述したのだろうなあと感じる。 twitter.com/ujito2020/stat…