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「こんばんわ、徳川家康です」かなり強烈なフレーズですよねw #青天を衝け
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なお高島秋帆の逮捕は、別に思想犯とかそういうわけではなく、少なくとも表向きは、幕府の貿易機関である長崎会所の長年に渡る杜撰な経理の責任を取らされてのものです #青天を衝け
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えっ…
ええ…?
>捕らえられ、身体改造の末、全身からローションが出続ける体になってしまった信長。
そこに脱出の好機が訪れる!しかし、ローションのヌメりにより歩くこともできない...
壁を蹴ることで逆にヌメりを活かして滑り、敵の攻撃をかいくぐり、出口へ向かえ!
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なにげに、幕府がオランダを通してペリー艦隊がアメリカから出港したという情報を事前に得ていたことがきちんと反映されておりまるね #青天を衝け
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実は「ペリー来航」について、イメージと異なり幕府側は充分に相手を調査し準備をした上で対応しており、ペリーはほとんど得るものの無いまま返されました #青天を衝け
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家康は「忍耐の人」と言われがちですが、それはあくまで家康側の主観、或いはそう受け取って欲しいイメージに過ぎず、武田など敵対した側からすれば、自分の優位な点を常に計算しつつ陰に陽に弱点をネチネチと攻め続け音を上げれば一気に食らいつく恐ろしい相手なのであり
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ここでは藤田東湖の死が特に強調されていますが、この時東湖と共に『水戸の両田』と呼ばれた戸田忠太夫も亡くなっています。本当に斉彬はこの地震で自らを支える両腕を失ったわけですね
#青天を衝け
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#意外と知られていないこと
大坂の陣の結果「豊臣家は滅亡した」とされがちだが、実は江戸時代も、備中足守木下家や豊後日出木下家などは豊臣氏を称しており、幕府も別にそれらを禁止すること無く(旗本にも居た)、明治まで至っていること。大坂の陣で滅びたのは実際には「羽柴氏」であること。
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たった今「あえぎ声と天城越えは一文字違いである」という天啓が降ってきたがきっと疲れているのだろう。
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桜田門外の変、幕府の公式の記録だと井伊直弼は『急病のため急遽幕府に相続願いを出し、それが受理された後病死』となっていたりします。井伊家を断絶させないための措置ですね
#青天を衝け
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水戸浪士たちも「斉昭様のため」と桜田門外の変を起こしたが、当の斉昭はそれを全く望んでいなかったという #青天を衝け
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「開国」が強烈なインフレを起こしたことを理解しないと幕末の「攘夷」が何故あんなに盛り上り、広範な支持があったのかわからないですね #青天を衝け
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坂下門外の変で安藤信正は生き延びますが「背中に傷を受けるというのは、武士の風上にも置けぬ」などと批判され、結果的に老中を罷免されました。武士とは老中でもそういうものだったわけですね #青天を衝け
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江戸後期、末期の日本の自然環境って調べれば調べるほど、崩壊寸前か既に崩壊しかけていますね。近代化による石炭へのエネルギーの転換ででぎりぎり救われた、という感が。
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そういえば、中世に於いて五月はべつに飢饉や疫病がなくても、未だ新しい作物が実らない内に、前年に確保しておいた食料が尽きて餓死者が増加する「死の季節」だったとか。
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「関ヶ原で西軍が勝つにはどうしたら良いか」に対して、「三成たちが家康より東で挙兵する」は、今でも心に残る名回答だと思ってる。
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そもそもの話、戦国期は百姓などであっても、基本的に竹槍より実際の槍で武装しており(刀狩りの時刀ほどではないが提出させられている)、竹槍で武装した百姓が多数出現するのは、実は明治期の地租改正や徴兵反対の暴動などの時だったり twitter.com/yggryojo/statu…
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この記事だとさも昔はマナーを守っていたように書かれていますが、罵声大会なんて10年以上前からあったし撮り鉄の線路内や私有地への侵入で何なら人身事故も起こってたし、歴史改変もいいところ
撮り鉄 ホームで「罵声大会」、注意されると「逆ギレ」も マナー崩壊の背景 dot.asahi.com/aera/202105120…
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この時渋沢栄一は太り気味で、走るのが大変辛かったと後に回想しています #青天を衝け
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「中立な(客観的な)意見を聞きたい」という言葉の99%は「自分と同じ考えでそれを保証する意見を聞きたい」って事だよなあ、とか思う昨今。
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戦国時代を「下剋上の世」という考え方はまだまだ根強いですが、同時代的にはどうも「下剋上」は恐ろしく反社会的な行為として認識されていたらしく、故に「下剋上をした」と認識されると、社会的信頼が喪失するような状況になったらしいのですね。なので、例え実質的な下剋上であっても、それを
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する側はそれが「下剋上である」と見られないよう非常に注意し、様々に配慮したことが伺えます。「露骨な下剋上と認識された」例としては斎藤道三が居ますが、彼はそのため周辺大名から強く警戒され、また国内も上手く纏めることは出来ませんでした。その位「下剋上」にはデメリットが有ったわけです
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この内ゲバと報復の応酬が、勤王の先駆であったはずの水戸藩を幕末維新期に完全に機能不全にさせるわけで #青天を衝け
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最近知ったこと。「大航海時代」「西部開拓時代」など、時代のある区分をそれを象徴する言葉で表す事がありますが、17世紀のフランスが「浣腸時代」と呼ばれていること。国王から庶民まで、1日数回浣腸をしていたこと。自分に似合いの色や香りの浣腸液で浣腸を楽しんでいたこと。香水か