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『吾妻鏡』建保5年(1217)4月17日条
唐船が完成し、由比ヶ浜から曳かせるが、船は海に浮かぶ事無く、砂浜に朽ち損じたという、「午の刻から申の刻まで(正午から午後4時ころまで)」もちゃんと書いてあります。
#鎌倉殿の13人
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主人公がメタメタにやられてカタルシスが得られる大河なんて初めてではなかろうか #鎌倉殿の13人
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しかし鎌倉がこれだけグチャグチャなら後鳥羽院じゃなくても早々滅びると思っちゃいますね、鎌倉幕府
#鎌倉殿の13人
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実は鎌倉幕府って「公儀」と呼ばれていないんですよね。武家政権が「公儀」と呼ばれるようになったのは室町幕府から。鎌倉幕府は良くも悪くも「公(おおやけ)」の権力とは認識されていなかった。
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初期キリスト教がヨーロッパの非キリスト教圏にも広まった要因の一つとして、「教会を作れば作るほど有力者や領主にカネが入ってくる仕組み(「教会税」の分配)」が有ったらしいという話を知り、何というかどんな教説や思想史を聞いたときよりも腑に落ちるなど。
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なるほど、キリスト教は現実的に(有力者や地域領主にとっては)儲かったのだ。そりゃあ信心も積極的になりますね。僕だってそうするw
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ちなみに公暁は園城寺で修行していましたが、園城寺と言えば記録に残る歴史上初めての「寺社焼き討ち」は延暦寺vs園城寺だとか
#鎌倉殿の13人
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うわー、これはまさか全部義時の罠か? #鎌倉殿の13人
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三浦義村はたしかに義時を裏切ることは出来ないのだな…
#鎌倉殿の13人
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#鎌倉殿の13人 は、初期鎌倉幕府というものが、同じ源氏で武士である武田信義が「お前たちは狂ってる」と評するほど「こんなにもやゔぁい組織だったのか」と言うことを歴オタ以外の人たちに強く認識させただけでも、歴史ドラマとして高く評価出来ますね。
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#どうする家康 について、ドラマとしては期待したいと思っていますが、近年大きく進んだ家康や戦国時代に対する研究成果が反映されるかどうかについては、正直な話全く期待しないという防御姿勢で視聴する所存。
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武家政権というものも、それぞれテーゼみたいなものがあって、鎌倉幕府は「御家人のための権力」、室町幕府は「北朝の守護者」だと考えているのですが、では江戸幕府は何かというと、端的に「元和偃武」、つまり日本における武力紛争の停止、であったと思っております
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江戸幕府という権力は家康の段階で既に「国内の平和」の実現を強く意図しており、それは勿論、権力の正当化のためでもあり、また大坂の陣のように、自らに歯向かう者を容赦なく武力で殲滅する「平和」ではありましたが、しかし武力紛争の停止をほぼ実現した事については、やはり高い評価があるべきかと
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徳川家とは、今川、武田、北条という、「織豊」の東方の負け組を取り込み巨大化、強大化した存在であり、徳川家による天下統一とは、それら負け組の壮大な復活劇でもあったわけで。
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今川、武田、北条は、織豊に確かに敗北したが、だからといって織豊に劣る者達ではなかった事を、「江戸幕府」の成立は顕している、とも思うのだ。
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「近世」を基準とした場合、今川、北条、武田の東国三家が戦国期における最先端集団だった、という事は歴オタ層にはほぼ常識なのだけれど、一般層にそんな認識は殆ど無い、という事をふと思い知らされた
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すごいなw
江戸時代より難しいとも言われる、明治~昭和初期の手書き文字を解読できる日本初のAI-OCR、凸版印刷が開発 - INTERNET Watch internet.watch.impress.co.jp/docs/news/1456… @internet_watchから
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とりあえず読了!大変面白かったです。とにかく「中世」の人々の意識というものが濃厚に詰まっており、興味の有る方には本当にお勧め。巻末のこんな一覧や年表も素晴らしいですw
戎光祥選書ソレイユ010 寺社焼き討ち 狙われた聖域・神々・本尊 ebisukosyo.co.jp/item/650/
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中世という時代はやっぱり、どの階層の人々も常に切羽詰まっている、という感を抱かざるをえないですね。自力救済社会というものの、あらゆる意味での余裕の無さが、間接的にも溢れ出してきます。
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よく、一神教に比して「多神教の寛容さ」なんて根拠なく言われがちですが、これを読むと「多神教」社会の怖さも見えてきますね。「神様、どうか私の願いを叶えてください!だけど叶えなかったら焼き討ちしてお前を全否定してやる!お前の代わりの神様は幾らでもおるんや!!!」という
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「自力救済社会」の中では、神様仏様ですら、現世利益につながる霊験を見せつける事で「自力救済」しないといけなかったわけです。良く言えば「自由競争」と言えるかもしれませんが、極端に即物的であるのは、それだけ祈る側に余裕が無かった故とも言えるでしょう。
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「キリシタン大名」という言葉があり、これは中世末、近世初期にキリスト教を信仰した大名を指すのですが、この言葉のイメージと異なり、実は「キリシタン大名」と呼ばれる人たちの殆どは、キリスト教と並行して、仏教や神道の信仰も継続しており、決してキリスト教だけを信じていた訳では無いのですね
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そもそも中世においては有力な武士などが、仏教でも複数の宗派に帰依している事が普通にあり、中世末期に、そういった選択肢の中にキリスト教も入ってきたのだ、と見たほうがいいかとも。