51
孤独感っていうのは、一人でいるときよりもむしろ、「心を通わせていない他者」とともにいるときに際立つものだとおもう。
表面的に言葉を交わしていても
「ああ、本当のことがなにひとつ言えていないな」
「心が通じ合っていないな」
と感じるときに、寂しさをより深く感じたりするよね。
52
他者への期待値というのは無言のうちにどんどん高まっていくのだけどさ、その大きな原因のひとつに
「要求をじぶんの口で伝えていない」
というのがあるね。
言わないで全部わかってもらおうなんてムシがよすぎるはなしだ。
「要求を伝える」のはそこそこに勇気と技術が必要なことではあるけれど。
53
「適応力が高い」というのは能力として素晴らしいことなんだけど危険もある。
自分に本当はフィットしていないものに対しても適応しようとし続けてしまって、心身の不調が起こるまでになってしまう。
ミスマッチはミスマッチとして判別できたほうが絶対いいと思うし、それが判別できるのは別の能力。
54
「やる気が出ない」「思ったように動けない」とき、人は自分のことを責めてしまいがちになる。
でも、「動けない」ということには何かしらの自己防衛的な意味があることがほとんどなので、ただ自分を責めるのではなくて、自分が何をおそれて何を必要としているのかを考えるきっかけにしてほしいよね。
55
もちろん個人差もあるとは思うのだけど
「しんどくなった時には、自分に流れこんでくる情報の量を落とす」
というのはかなり有用な対策になるとおもうよ。
56
【謝罪について】
謝罪の目的は、許してもらうことではなく、「関係を改善すること」だとあるひとに教えられた。
相手に与えた損害を認めてその痛みを真剣に慮ること。さらにその局面から、どのような態度でどのように行動すれば、お互いにとってよりよい状況になるのかを対話の上で考え尽くすこと。
57
「孤独への耐性」には遺伝的な要因があるんだって。
人間にとって「つながり」は水のようなもの。
孤独を感じやすいのは、より多くのつながり実感が必要な体質ってだけだから、「寂しがり」だとか「弱い」なんて卑下しなくてもいい。
サボテンとマリモみたいに、必要とする水の量がただ違うだけよ。
58
心がしんどくて休んでいるときは、「あそぶこと」が大事だよ、と伝える。
「あそび」とは余白のことであり、「あそぶこと」の本質は「自発的に、失敗の過程を楽しむこと」である。
効率を追い、失敗を避け、無駄をとことん切り詰めると、息苦しくなって余裕がなくなり、結果「効率」が悪くなるのね。
59
「弱さを見せられるつよさ」というのがある。
とても誠実で、勇気が必要な行為。
もしもそれを拒絶されてしまったとしても、あなたの見せた「弱さ」や、「弱いじぶん」を否定することはない。
相手にそれを受け容れるだけの器がなかっただけ。
ただ、見せる相手が間違っていただけ。
60
あなたのことを大事にしてくれないひとたちのことを、そこまで気にして頑張りすぎなくてもいいとおもうのよね。
61
なんとなく「生きたくない」感じのひとが、お気に入りのバンドを見つけて一人でライブに行って、泣くほど癒されたって話をきいた。
たぶん、その「好き」は他の誰のためでもない、じぶんだけに向けられた感情で、それに浸ることは、普段誰かの感情を優先しているひとにとってものすごく尊いんだろう。
62
じぶんの「毒」の部分を隠して愛されたとしても、存在レベルでの不安は消えない。
「いてもいいんだ」って心からおもえないし、癒されないんだよね。
その毒は誰かにとっての薬になるかもしれない。
そういうミラクルみたいなことがある。
他者と生きることの醍醐味ってそういうことなんじゃないか。
63
愛情に恵まれなかったひとほど、すごく印象的な笑顔を放つ。
それを「モンロースマイル」といったりするのだけど、それは根源的な安心が得られにくい環境の中で生きる術として磨き上げてきた尊いものなんだよね。
64
じぶんの感情や考えを、安心して打ち明けることができる他者が、そのひとにとっての「安全基地」になる。
「安全基地」に受容されることでもって、じぶんの人生を主体性をもって探求できるようになる。
探求には拠点が必要だから。
大切にされるということを知ってはじめて、じぶんを大切にできる。
65
ひとの欠損がなぜチャーミングかというと、そこに「手をさしのべたい」「埋めたい」という関わりの欲求が生まれるからだとおもうのよね。
同情とかそういう次元ではなくて、くぼみがあったら、なんか埋めたくなるでしょ。
そういうテトリスみたいな気持ちよさは、人間の本能に基づいてるとおもう。
66
「相談したい」の目的はたぶん大きく2つあって
①ぐちゃぐちゃしたものをただ吐き出して心の圧を解放しラクになりたい(リラクゼーション)
②事態をより良い方向に向かわせるため思考を整理したり打開策を探りたい(ソリューション)
相手がいまどちらを求めているかを聴く側が判別できると親切。
67
ごく限られた一部の恵まれた環境に居続けた善良な方々が主張する「普通」というものが、いかに残酷に色々なものを切り捨てていることか。
「普通」を笠に着た人の主張の圧力は凄まじいものがあるな。
68
「自分を肯定しよう」「自分らしさを持とう」という話がむずかしいのは、それらがほとんどにおいて、自分らしさを持つことがそもそも許されないような環境に苦しんできたり、「自分を持ってはいけない」「自分を出すことは危険だ」と思わされてきた人たちの話でもあるから。
69
人間だから、意味もなく気分が落ちることもある。
そんなとき「これのせいで落ちてる」という理由を無理に探さなくていい。
特に「過去の失敗」とか「未来の不安」とかと結びつけると長引いてさあ大変。
「落ちてるなあ」で済んだらいいし、それが難しかったら、できる気晴らしを淡々としたらいい。
70
「自責が強すぎるひと」というのは、野球に例えるとショートを守っているのに、右中間にボールが落ちた責任を感じて凹んでいるようなもので、それでは神経が擦り切れてしまう。
まずは二塁と三塁の間をしっかり守る、というだけで精一杯だし、それでも十分に難易度高いことなんだとおもうのです。
71
「共感」ってなんだろうねというのを看護師さんと話しながら帰ってたんだけど、その根っこにあるのは「わたしとあなたは地続きである」という感覚ではないか。
わたしとあなたは違うけど、わたしがあなたであったかもしれないよねという感覚。
72
対人関係に不安が強くて過敏になっているひとに必要なのは「どっしりとした相手」なのだよね。
ちょっとやそっとのことでは動じないし、離れてもいかない。
それでいて、嫌なことは嫌という。
「他者」としてのリスペクトをもって、適度な距離で自然に接するスタンスは、安心の関係性の見本となる。
73
かなしみは「乗り越えるもの」というよりも、ゆっくり「消化するもの」だというように教わった。
かなしみは、こころの栄養になる。
かなしみを健全に味わうことによって、人間として成熟し、他人に対してやさしくなることができたり、気づかなかった豊かさを得ることができたりするのだよね。
74
天気が悪くて気圧がやばい日は「重力5倍デー」なので、今日やれそうなことの期待値を5分の1から10分の1くらいに設定しなおすといいね。やれやれ。
75
きょう話したある患者さんの印象的なことば。
「自分は一枚の板だと思っていて、一度割れて折れてしまったらおしまいだとおもっていた」
「でも、本当はジグソーパズルのようなものだった。崩れたら、またひとつずつピースを組み直せばいいんだということがわかった」
今までで一番良い表情だった。