1
大切なひととの「ズレ」は放置しないほうがいい。
毎回顔を合わせるごとに「このズレはどうすることもできない」という絶望感や無力感に常に直面しないといけない。
そのストレスや傷つきの蓄積は耐えがたいものだから。
と、水島先生の本の内容を復習しています。
2
知ってほしい。
"義務教育の「義務」は、子どもの学ぶ権利を保障するおとなの側の義務の意味であって、子どもが学校に行く義務ではありません。
子どもの学ぶ権利を親として援助する義務であり、登校を強制することが子どもの心を傷つけるような場合に、むりやり学校へ行かせる義務ではありません。" twitter.com/koko_kaku/stat…
3
愛情に恵まれなかったひとほど、すごく印象的な笑顔を放つ。
それを「モンロースマイル」といったりするのだけど、それは根源的な安心が得られにくい環境の中で生きる術として磨き上げてきた尊いものなんだよね。
4
「わたしが頑張れば、いつかあのひとは、この家族は、変わるかもしれない」
そんな想いで、必死につながりを保とうボロボロになって支えている子がいる。とても尊い。
でもね、それはたぶんうまくいかない。
あなたの大切なひとが抱える問題は、あなた一人で解決できる範疇を大きく超えているから。
5
ふつうに生きてたら
「ああー気力が湧かずに動けねー」
ってことはあるんですよ。
「動くべきじゃないときはとにかく動かない」っていうのはものすごく大事なことなので、そこは自信を持って何もせず寝込んでていいよ。
「なにもしないことをがんばる」という時間が必要なときもあるんですよね。
6
ガマンがよくないのは、ガマンしている状態に慣れすぎると他人にもそれを要求しちゃうことなんだよね。
「そのくらい普通でしょ」って。
いやいや、「必要のないガマン」に慣れすぎたせいでお主の「普通」のラインがこじ上がってるだけだから、それを他人に求めるのって違くない?案件が多発してる。
7
意思決定力が大事ってことは誰もが言っていることなんだけど、重大なものごとを「決めるべきではない」タイミングってのもあるんだよね。
(例: 心が弱ってる時とか)
そういうタイミングを見極めて、「今は決めないほうがいい」と自信をもって棚上げするのもひとつの技術。
健全に棚上げする力ね。
8
「欠損している部分」を愛された経験があるかどうかが、「ひと」として純粋に愛された実感に直結する。
「欠損している」とは、言い換えると「ポンコツな部分」とか「いびつな部分」のこと。
美や優秀さと違って、他人との競争の対象にならない部分でもある。
ひとのほんとうの魅力はそこにあるよ。
9
ひとと本気で向き合うのは超絶にコストがかかることなんだけど、そのコストをかけてもいいとおもえるひとに出会えたということは、ものすごく尊いことだからな。
ほんとに豊かなものは、時間と手間がかかるし、簡単にはうまくいかないし、適度にめんどくさいのよね。
農業みたいなもんかね。
10
ぼくが「生き方が美しいな」とおもうひとの特徴に、「純粋さ」がある。
純粋さとは、けがれていない、ということではない。
どれだけの不幸や失敗があっても、ひとの本性や欲に負けたり溺れることがあっても、「ひととしてよくありたい」という意志が決して折れない。
そこが本当に美しいとおもう。
11
人間関係のつくりかたにおける、安心とはなにか。
「ひとは間違う」
「間違っても、ちゃんとやりなおしの機会がある」
この2点を、お互いがしっかりと共有できてさえいれば、きっとすごく正直で、建設的で、発展的になれる。
大切な存在であるほど、失敗が怖すぎて本当のことがいえなくなるのね。
12
なんとなく「生きたくない」感じのひとが、お気に入りのバンドを見つけて一人でライブに行って、泣くほど癒されたって話をきいた。
たぶん、その「好き」は他の誰のためでもない、じぶんだけに向けられた感情で、それに浸ることは、普段誰かの感情を優先しているひとにとってものすごく尊いんだろう。
13
「孤独への耐性」には遺伝的な要因があるんだって。
人間にとって「つながり」は水のようなもの。
孤独を感じやすいのは、より多くのつながり実感が必要な体質ってだけだから、「寂しがり」だとか「弱い」なんて卑下しなくてもいい。
サボテンとマリモみたいに、必要とする水の量がただ違うだけよ。
14
じぶんがこれまで生きてきた悲劇のストーリーと決別し、新しいストーリーに身を委ねようとするとき、いちばん大きな葛藤がある。
これに身を投じれば、じぶんは悲劇から別の物語にジャンプできるかもしれない。
そのタイミングで来る自己否定の波は尋常ではなく、まさに「ラスボス」と呼べるものだ。
15
じぶんの「毒」の部分を隠して愛されたとしても、存在レベルでの不安は消えない。
「いてもいいんだ」って心からおもえないし、癒されないんだよね。
その毒は誰かにとっての薬になるかもしれない。
そういうミラクルみたいなことがある。
他者と生きることの醍醐味ってそういうことなんじゃないか。
16
「ひとを信じる力」について。
ひとは、相手が信頼に足るかどうかを過去の経験に基づいて判断する。
助けてほしいときに助けてもらえなかったり、裏切られたりする経験が多いと
「このひとはじぶんを助けないだろう」と判断し、ひとりで解決しようとする。
壁をつくり、他人と距離をとろうとする。
17
会話がうまくいかなかったとき、自動的に
「私のやりかたがよくなかった、どうすればよかったのか」
とへこんでしまう真面目なひとがいますが、コミュニケーションがうまくいかなかった原因が100%あなたにあることなんて滅多にないよ。
そもそも会話のゴールは「相手を不快にしないこと」じゃない。
18
そういうひとは、技術うんぬんの話の前に
「じぶんはこの会話を心から楽しめなかった」
という事実のほうを重くみるべきであって、それはあなたの応対のせいではなく、単に会話相手と感性や知性が合わないだけだったりするのよね。
19
「弱さを見せられるつよさ」というのがある。
とても誠実で、勇気が必要な行為。
もしもそれを拒絶されてしまったとしても、あなたの見せた「弱さ」や、「弱いじぶん」を否定することはない。
相手にそれを受け容れるだけの器がなかっただけ。
ただ、見せる相手が間違っていただけ。
20
じぶんの人生を生きなおしているひとたちを見渡すと、だいたい「友だち」の数が減っていることが多い。
本質的な豊かさや暖かさを与えてくれる人間関係は実はそんなに多くはないことに気づくし、そういう大切な関係をそんなに数多く維持することはできないんだよね。
まずは太字の登場人物を大切に。
21
「気にしすぎだよ」
「考えすぎだよ」
こうした言葉は、やさしさから来ているけど、残酷でもある。
受けた側は、今の苦しみは気にしすぎてしまう「わたし」に原因があるんだという自責の感情と、この苦悩は誰からも理解されないんだという孤立感が深まる。
22
「わたしは見捨てられる」という不安がとても強いパートナーには
・あなたのことが大切である
・あなたから離れるつもりはない
・あなたのためにできるだけのことはしたいとおもっている
・ただ、それには限界がある
これを繰り返し繰り返し伝えることで、関係の安定をはかることが大切。
23
ひとの欠損がなぜチャーミングかというと、そこに「手をさしのべたい」「埋めたい」という関わりの欲求が生まれるからだとおもうのよね。
同情とかそういう次元ではなくて、くぼみがあったら、なんか埋めたくなるでしょ。
そういうテトリスみたいな気持ちよさは、人間の本能に基づいてるとおもう。
24
「求めても無視されて、何も応えてもらえない」という状況を何度も何度も経験すると、「求めない」という態度が自然に定着する。
それどころか、求めていたものが得られる場面になったときに、遠ざかることを選択するようになる。
25
じぶんの感情や考えを、安心して打ち明けることができる他者が、そのひとにとっての「安全基地」になる。
「安全基地」に受容されることでもって、じぶんの人生を主体性をもって探求できるようになる。
探求には拠点が必要だから。
大切にされるということを知ってはじめて、じぶんを大切にできる。