MobaryHills(@MobaryHills)さんの人気ツイート(リツイート順)

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塗装変更を終えたキハ52 125が、その姿を現わしました。大多喜は強い雨が降っています。
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JR東日本は、将来どのような層を鉄道に乗ってもらおうと考えているのでしょうか。私はいつも言っているのですが、鉄道に乗る楽しさを知らない若い人や子供達は、将来大きくなった時に、鉄道という交通手段を移動の選択肢に加えることは無いでしょう。このあたりについて私は非常に危惧しています。
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1998年の京葉電車区の一般公開で展示された、京葉線の205系です。安房鴨川の行先を表示していますが、205系の運用は上総一ノ宮まででした。ただその先の行先も幕には入っていたようです。赤い種別表示も晩年は使用されなくなりました。
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幕張電車区から前面「普通」表示で出区してきた、165系+169系6連です。1992年に撮影したもので、この頃113系が冷房化や更新工事で車両不足となり、限定運用で総武・成田線の普通列車として使用された時のもの。写真は千葉駅15時半過ぎの総武線普通列車充当のため出区したところです。
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1996年に撮影した宇部線の105系、3両編成全車がパンタ付。これは、クモハを方向転換してクモハ同士の2連を組み、さらに増結のクモハも付いたもので、オールクモハの強力編成に。手前が方向転換したクモハ105-27です。 #105系の日
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外房線・内房線には1991年春の改正で千葉始発・終点の快速列車が設定され、これにはローカル用113系4・6連が充当されたのですが、写真は当時借り入れていた115系90編成が充当された時のもの。1年後には全て普通に格下げされました。
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1989年に「SLコニカ号」の車内から撮影した、現在の京葉車両センターです。当時は習志野電車の派出扱いだったと思われ、所属車両はすべて103系、それも非冷房車が大多数で、デカ目車両も確認できます。167系のメルヘン号も入庫しています。
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大船駅に入線する、新前橋のモントレー色165系11連を使用した集約臨時列車です。学生輸送の列車で、「かながわ」のヘッドマークを掲げていました。目的地への路線の有効長の関係か、クハ1両が減車された11連となっています。1994年撮影。
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京成3408Fが運用を離脱したようですので、この編成の登場当初の写真を。前面にはスカートが無かったほか、種別幕は白地に赤い文字で、さらに太いフォントのものが使用されておりました。また、パンタグラフは菱形のものを搭載していましたが、後にシングルアームに交換されています。1995年撮影。
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E5系はやぶさ、新青森でオーバーランして脱線。係員が周りを取り囲み、周囲は騒然とした雰囲気…ではなく、和やか。本日の京葉車両センター一般公開でのひとこまです。
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1994年、京浜東北線103系の中間に組み込まれるAU712冷房のユニット、M85+M’109です。非冷房で残っていた最初期のMM'も一部がAU712冷房により冷房化されましたが、古さが目立つ車体に新しい冷房装置だけが異彩を放っていました。ほとんどが延命工事も施されず、冷房改造後は数年の活躍で終わりました。
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今夜の京葉~外房・東金線直通通勤快速、始発時点では成東・上総一ノ宮行として走ったようです。この列車の運転開始時の行先がまさにこれで、一夜限りの復活となりました。当時は103系での運転でした。(写真は土休日の快速マリンドリーム・再掲)
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中線で待機する田町の167系アコモ車の隣に、信州色の169系が到着。この並び、一体どこかというと、なんと内房線の木更津駅。どちらも団臨でやってきたもので、信州色の169系は千葉ではめったに見かけない車両でした。2001年撮影。
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運用開始から半年近く経過した頃、1990年夏に撮影した、朝の外房線を上る京葉線205系です。当時はスカートが無く、前面右上の快速幕も使用されていました。最近、伊豆急に譲渡された209系の一部車体がきれいになったと話題になりましたが、こちらも現在の姿とは違うきれいな車体は白っぽく見えます。
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引退直前に黄緑色の等級帯が再現された、総武快速・横須賀線の113系サロ110-1254です。1999年11月23日の臨時列車「さようなら快速113系電車」に充当された際の写真ですが、この姿のまま定期列車にも充当されました。横に写る115系は「ホリデー快速鎌倉号」の送り込み回送と思われます。
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113系の越後湯沢行き?これは1992年、冷房工事や車両更新工事で不足する113系の補充に小山区から幕張区に貸し出された115系6連です。この115系貸出車は当時何度か車両の入替があり、この91編成は唯一の冷房車編成でした。写真はクハ115‐28で、幕張区の車庫内で整備中にこの幕が表示されていました。
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1995年に撮影した、松戸電車区(現:松戸車両センター)に留置中の103系と203系です。写真中央はクハ103-519で、京葉区から転入した車両ですが、京葉区時代にAU712+SC24の組合せで冷房改造を受けており、その装備のまま引退まで松戸区で活躍しました。手前の103系は訓練車編成です。
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小湊鉄道でトロッコ列車「マロンドリーム号」を運転するそうです。このネーミング、かつての京葉線「マリンドリーム」の名前を知っている方が付けたんでしょうね。写真は1990年に外房線で撮影した103系の同列車。平日は通勤快速となる列車ですが、休日は快速マリンドリームとして運転されていました。
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キッズフェスタの会場では電車が5本、AEと3500形が3本の3000形を挟むように並べられておりました。3000形の3本は行先と種別が何度か変更され、特にこれら3500形の6連ではありえない種別や行先の表示も見られました。
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いすみ鉄道のキハ20 1303、運用開始6日目となった本日は乗務員訓練列車に充当され、「試運転」の幕を掲げて午前中に大多喜~大原間を走行しました。昨日は新米列車として運転され大勢の乗客で賑わった同車、今日は乗客を乗せずに快走です。
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キハ52が塗装変更中の、本日のいすみ鉄道大多喜駅の様子です。キハ52はクリーム色の塗装は終わっているようです。キハ28は車庫の外に置かれており、普段は見られない妻面が観察できました。そこには日本国有鉄道の銘板が。また、客用ドアの補修が行われているようです。
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いすみ鉄道のキハ52+28の運用が削減されます。isumirail.co.jp/4261
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房総の113系の末期に、湘南色に塗り替えられた編成が活躍しましたが、以前にもJR化後に湘南色が走った事例があり、1993年に4連1本が湘南色のまま転入し活躍。車両不足のためと思われます。Tc'575は簡易シールドビーム化でこんな顔。
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冷房車が不足していた房総の113系。車両更新車を中心にAU712冷房による冷房改造が推進されましたが、中にはこんな白ゴムの特別保全車も。写真の57編成、中間のモハはグロベンの初期車で、先頭はデカ目。さすがに冷房車としては短命でした。
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前回ご紹介したスラント先頭・寝台組込みのキハ183系特急オホーツクで、中間に組み込まれていたグリーン車がこのキロ182-901でした。量産車とは異なり、乗降ドアが車端部に寄っていたのが特徴でした。撮影した1993年は、0番代だけでなく900番代もまだまだ活躍していた時代でした。