MobaryHills(@MobaryHills)さんの人気ツイート(古い順)

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タラコ色になったいすみ鉄道キハ52、予定どおり本日から運用を開始しました。かなり印象が変わりました。写真は1番列車となった快速、国吉にて。
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冷房車が不足していた房総の113系。車両更新車を中心にAU712冷房による冷房改造が推進されましたが、中にはこんな白ゴムの特別保全車も。写真の57編成、中間のモハはグロベンの初期車で、先頭はデカ目。さすがに冷房車としては短命でした。
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JR化後、首都圏に残っていたデカ目の近郊形に、簡易な工事でシールドビーム化する工事が行われました。従来のライト回りを残し、中心にシールドビームを埋め込んだ結果、こんなインパクトのある面白い顔に。写真は小山区の115系です。
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東急2000系は田園都市線で活躍する3編成の少数派。このうち2003Fの1本だけは落成後東横線で運用を開始。その後サハ2両が製造され10連化されて田園都市線へと移動し、東横線での活躍はわずか1年足らずで終了しました。写真は東白楽にて。
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先日ツイートしたクハ111-106の、快速アクティー充当時の写真です。横浜駅でのアクティー同士の並びで、0or2000番代のクハとの並びです。この一風変わった顔にグロベンというあたり、とても東海道線東京口の列車とは思えません。
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平成7年の京急川崎駅、古巣に乗り入れた元京急1000形の北総7150形8連が、京急1500形と並ぶシーンです。かつて北総・公団車は平日に新逗子まで乗り入れる運用があり、バラエティに富んだ北総・公団車を川崎や横浜で見る機会がありました。
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1991年、外房線太東~長者町間にある旧線の橋梁上に、突如現れた黄色い101系。横風試験のために置かれたようです。編成は南武線を最後に引退した6連から1両を抜いた5連。外房線の車窓からもよく見え、非常に目を引くものでした。
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川越線の川越以西は、かつて103系3000番代の3連が活躍していましたが、車両不足の際に他区の103系一般形を借り入れて運用したことがありました。写真は1994年の撮影で、低窓・AU75冷房にウグイス色という珍しい編成が見られました。
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外房線・内房線には1991年春の改正で千葉始発・終点の快速列車が設定され、これにはローカル用113系4・6連が充当されたのですが、写真は当時借り入れていた115系90編成が充当された時のもの。1年後には全て普通に格下げされました。
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1989年に「SLコニカ号」の車内から撮影した、現在の京葉車両センターです。当時は習志野電車の派出扱いだったと思われ、所属車両はすべて103系、それも非冷房車が大多数で、デカ目車両も確認できます。167系のメルヘン号も入庫しています。
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京葉線の1灯ライトの先頭車、クハ103-562。通常は中間に挟まれていましたが、引退直前に習志野区へ移動し編成をばらされた結果、最後の最後でこの貴重な1灯を見ることが出来ました。最後まで1灯で残れたのは、先頭に出なかったからこそ?
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1996年に撮影した宇部線の105系、3両編成全車がパンタ付。これは、クモハを方向転換してクモハ同士の2連を組み、さらに増結のクモハも付いたもので、オールクモハの強力編成に。手前が方向転換したクモハ105-27です。 #105系の日
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京浜東北・根岸線で活躍した205系です。僅か10連6本の投入にとどまり、さらに短期間で転出して姿を消しました。90番代の編成番号から、メインの形式ではなかったことがうかがえます。既に20年前、1994年の撮影です。
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機関車に引っ張られるロボット?これは逗子駅で発車を待つ、南海ラピートの甲種輸送です。牽引機は更新色EF65で、その後ろに先頭車が顔合わせに連結。インパクトのある車両ですが、この顔同士の顔合わせでさらにすごい感じに。1994年撮影。
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京成の特急上野行きに、京急600形が!?これは1998年に新設の羽田空港~成田空港間のエアポート快特が、成田空港到着後折返し特急上野行きで運転されていたもの。エアポート快特に接続する上野~高砂間の特急に都営5300形も見られました。
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サロ183から格下げされ、総武快速・横須賀線で活躍したサロ110-1302です。外観はドアの増設と方向幕撤去などが行われた以外は、ほぼ特急車そのままという珍車。座席も特急グリーン車のままという豪華仕様でした。1998年撮影。
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1992年夏頃、非冷房の113系が幕張電車区の片隅に集結した際の写真です。この年、房総ローカルの113系は非冷房車を運用から外し、初めて夏場の冷房化100%を達成しました。デカ目・グロベンなど懐かしい車両の姿が見られます。
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過去の成田臨から、JR東海の113系8連で運転された成田臨です。ほとんどが特急型や急行型で運転される成田臨ですが、これは珍しく近郊形で運転された「遜色成田臨」。かつてはJR東海車も成田臨に使用されておりました。1997年1月撮影。
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2004年1月30日の営業を最後に、東急東横線桜木町駅が廃止されてから11年が経過。写真は1993年に撮影した桜木町駅と2000系です。桜木町駅は高架上の駅でした。2000系は当時の東横線に1本だけ在籍しておりました。
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品川駅で発車を待つ、185系200番代フルフル編成です。シュプール号運転開始10周年を記念してスキーヤーの絵が描かれたもので、地味な印象のあった185系の中で一躍注目の編成となりましたが、短期間で消滅しました。1995年撮影。
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北斗星の運行初期の頃、青森までを担当したEF81は昼間も休むことなく、当時東北線に残っていた普通列車牽引に活躍していました。星のマークの入ったEF81が12系や50系を牽く姿が見られたのは、北斗星の歴史の中のエピソードの1つです。
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1992年の新鶴見機関区一般公開で展示された、試作機関車ED500-901です。日立で製造された交直両用機関車で、JRの在籍期間は非常に短いものでした。左側に側面が見えるのはEF500-901で、こちらも試作のみで終わった機関車です。
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非電化の小海線で電車を使った珍しい臨時列車。これは幕張区の165系シャトルマイハマで運転された、臨時快速信州循環列車です。新宿から小淵沢までは自走し、小海線内では電源車スハフ12を連結しDD16のプッシュプルで運転。1995年撮影。
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房総の113系の末期に、湘南色に塗り替えられた編成が活躍しましたが、以前にもJR化後に湘南色が走った事例があり、1993年に4連1本が湘南色のまま転入し活躍。車両不足のためと思われます。Tc'575は簡易シールドビーム化でこんな顔。
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京葉~外房・東金線直通の103系快速マリンドリーム成東・上総一ノ宮行です。現在は後部6連は勝浦行きですが、設置当初は上総一ノ宮行で、車両も当初は103系でした。京葉線の休日快速は、マリンドリームの名称がありました。1999年撮影。