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本日のいすみ鉄道、快速到着時の国吉駅では、タブレットを投げる懐かしのシーンが再現されました。特に今回はキャッチャーの横に「駅員」も立ち、さらにリアルな情景が再現されました。なお、これに合わせてか、キハ28にはヘッドマーク取付けは無く、前面幕も白幕となっていました。
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113系の越後湯沢行き?これは1992年、冷房工事や車両更新工事で不足する113系の補充に小山区から幕張区に貸し出された115系6連です。この115系貸出車は当時何度か車両の入替があり、この91編成は唯一の冷房車編成でした。写真はクハ115‐28で、幕張区の車庫内で整備中にこの幕が表示されていました。
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本日はいすみ鉄道国吉駅で、オーナー・サポーター向けのイベントが行われました。イベントの1つは、保存されているキハ30の体験乗車。白煙を上げて構内を数往復しました。また、幕を交換しての撮影回も実施され、初登場と思われる「千葉」「成田」「湊町-奈良」などを見ることが出来ました。
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なかなか見ることのできない、クハ183-0番代の貫通扉の奥。前面扉を左右に開けると、このような状態で貫通路がありました。この貫通路、「わかしお」「しおさい」のモノクラス9連の組成時に使用されました。1994年の幕張区公開時に撮影。
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復刻された一次新潟色の115系が出場したということで、現役当時の写真を。これは1995年4月に撮影した、115系一次新潟色の3連を3編成連結した9両編成。E127系が登場する直前の頃で、115系に混じって165系も普通列車で活躍していました。信越本線古津~矢代田間で撮影。
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キハ52が塗装変更中の、本日のいすみ鉄道大多喜駅の様子です。キハ52はクリーム色の塗装は終わっているようです。キハ28は車庫の外に置かれており、普段は見られない妻面が観察できました。そこには日本国有鉄道の銘板が。また、客用ドアの補修が行われているようです。
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2004年、成田線滑河~下総神崎間を走る、湘南色115系6連の普通列車です。黄色い編成番号札「115」が付けられたこの編成は、113系の故障による車両不足のため小山から借り入れられたもので、7連で幕張に到着後サハを抜き、総武・成田線限定で運用に入りました。ロングシート改造の編成でした。
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引退直前に黄緑色の等級帯が再現された、総武快速・横須賀線の113系サロ110-1254です。1999年11月23日の臨時列車「さようなら快速113系電車」に充当された際の写真ですが、この姿のまま定期列車にも充当されました。横に写る115系は「ホリデー快速鎌倉号」の送り込み回送と思われます。
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1991年の新鶴見区公開で展示された、JR貨物のED62 17です。通常は飯田線の貨物牽引が主な任務ですが、この時ははるばる新鶴見までやって来て展示されていました。この17号機はED62で唯一貨物色に塗られた車両ですが、更新工事は未施工でした。奥には同時に展示されたEF200やEF500の姿が見えます。
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本日はいすみ鉄道国吉駅で、キハ30を使用したオーナーおよびサポーター向けのイベントが行われました。まずはキハ30を走らせての撮影会。側線を2往復走行し、通常は見られないキハ30の走りを国吉の景色とともに撮ることが出来ました。
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総武緩行線を走る、試作車900番代を組み込んだ201系です。前から2両目は電装解除してパンタ2個を撤去したサハ201-901、3両目はパンタを1個撤去したモハ201-902と思われる車両で、屋根上が賑やかな車両が続きます。1992年の撮影で、まだスカートも取り付けられていません。
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1992年夏頃、非冷房の113系が幕張電車区の片隅に集結した際の写真です。この年、房総ローカルの113系は非冷房車を運用から外し、初めて夏場の冷房化100%を達成しました。デカ目・グロベンなど懐かしい車両の姿が見られます。
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1995年に撮影した、松戸電車区(現:松戸車両センター)に留置中の103系と203系です。写真中央はクハ103-519で、京葉区から転入した車両ですが、京葉区時代にAU712+SC24の組合せで冷房改造を受けており、その装備のまま引退まで松戸区で活躍しました。手前の103系は訓練車編成です。
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外房線、茂原〜八積間の東茂原踏切で倒木が発生しています。踏切横の大きな杉の木が電線にもたれかかっています。
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北斗星の運行初期の頃、青森までを担当したEF81は昼間も休むことなく、当時東北線に残っていた普通列車牽引に活躍していました。星のマークの入ったEF81が12系や50系を牽く姿が見られたのは、北斗星の歴史の中のエピソードの1つです。
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20年前の今日、1996年1月1日に運転された快速外房初日の出号です。新宿から外房線経由で太海まで運転されました。使用車両は幕張に残っていた貴重な急行型の165系+169系6連。当時の外房線の初日の出号は特急ではなく快速でした。
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1995年12月31日の品川駅で撮影した、京急1500形の京成金町行きです。この頃は京急車の4連が大晦日の終夜臨で京成金町まで運転されていました。京成金町の幕がないため、行先のプレートをぶら下げています。戸袋窓のある1500形が地下鉄を走る姿は、かなりの違和感を感じました。
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前回ご紹介したスラント先頭・寝台組込みのキハ183系特急オホーツクで、中間に組み込まれていたグリーン車がこのキロ182-901でした。量産車とは異なり、乗降ドアが車端部に寄っていたのが特徴でした。撮影した1993年は、0番代だけでなく900番代もまだまだ活躍していた時代でした。
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1992年の新鶴見機関区一般公開で展示された、試作機関車ED500-901です。日立で製造された交直両用機関車で、JRの在籍期間は非常に短いものでした。左側に側面が見えるのはEF500-901で、こちらも試作のみで終わった機関車です。
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過去の成田臨から、JR東海の113系8連で運転された成田臨です。ほとんどが特急型や急行型で運転される成田臨ですが、これは珍しく近郊形で運転された「遜色成田臨」。かつてはJR東海車も成田臨に使用されておりました。1997年1月撮影。
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本日のいすみ鉄道、急行2号のキハ28は「いすみ鉄道マルちゃん列車」として運転。これはリーグ優勝した広島カープで勝浦市出身の丸選手を応援する企画で、東洋水産とのコラボで実現したもの。乗客には千葉では貴重な赤いきつね関西バージョンがプレゼントされ、国吉駅ホームでは熱湯のサービスも。
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JR西日本の広島地区で活躍したキハ58・28改造のジョイフルトレイン、リゾートサルーン・フェスタです。写真はJR東海エリアまで大遠征した時のもので、参宮線多気~外城田間で撮影しています。前面の口を動かして音声を出す異色の車両でした。
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先日ツイートしたクハ111-106の、快速アクティー充当時の写真です。横浜駅でのアクティー同士の並びで、0or2000番代のクハとの並びです。この一風変わった顔にグロベンというあたり、とても東海道線東京口の列車とは思えません。
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2004年1月30日の営業を最後に、東急東横線桜木町駅が廃止されてから11年が経過。写真は1993年に撮影した桜木町駅と2000系です。桜木町駅は高架上の駅でした。2000系は当時の東横線に1本だけ在籍しておりました。
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1995年、試運転で新子安付近を走行するJR東海の373系です。特急東海や快速ムーンライトながらとして営業運転を開始する直前の試運転ですが、営業運転では東京までは6両や9両で運転されたものの、試運転では3両単独での運転がありました。