176
上岡龍太郎さんといえば引き際の美しさだろう。55歳のときに「2000年4月に芸能界を引退する」と宣言し、それまでは「冗談だった」「誰も止めてくれない」と照れからぼやいていたが、いざその日を迎えると、表舞台には一切出てこなくなった。その徹底ぶりは見事としか言いようがなかった。
177
「お前もあのとき頼朝を殺しておけば、そう思うときが……」
大庭景親のこの言葉、上総広常だけでなく、何人の豪族、御家人が思い出して歯噛みすることになることやら。
#鎌倉殿の13人
178
公暁は通称「悪別当」。「悪」は「悪い」ではなく「強い」の意味があったことは、ご存知の通り。公暁が自ら「悪僧」と言っていたが、相当強かったのね。
#鎌倉殿の13人
179
180
「頼朝が落馬するとき木が倒れる音がした」というツイートをみて、後漢の武将 馮異(ふうい)の故事(諸将が論功を競うなか、馮異は大樹の下に引いて加わらなかったため「大樹将軍」とよばれた)より近衛大将あるいは征夷大将軍の別名が「大樹」であることを思い出した。今、大樹が倒れる。
#鎌倉殿の13人
181
団子を二つ出されて、「駿河は武田が、遠江は徳川が」と言われて同意する。だが、家康は団子のひとつをひとくち食べるだけで、その食い残しは信玄が全て食べてしまう。これも「駿遠分割」の今後を象徴的に表しているな。
#どうする家康
182
曾我兄弟の目的は父の仇討ちであり、工藤祐経殺害の先に頼朝の暗殺があった。ところが #鎌倉殿の13人 では本来の目的と結果が転倒する。真の目的は頼朝の暗殺にあり、父の仇討ちはそのカムフラージュとなっている。結果として祐経を殺害したことで『曾我物語』で語られる仇討ちが成立したことになる。
183
酒造りは長年の経験に裏付けされたものであるから、そこには科学とまで言えないものの、それなりの理由があって「女性は入ってはならない」が言い伝えられてきたのだと思う。台所仕事をしているから、様々な発酵食品を扱って、その菌を持ち込んでしまうとか(納豆は厳禁とされる)。
#朝ドラらんまん
184
『吾妻鏡』では病としか書いていないが頼家は頼朝と同じ病としたのか。「飲水の病」は今でいう糖尿病とされる。日常的に大量に水を飲みたがるためこのように呼ばれた。糖尿病に罹ってから適切な治療を行わないと、脳梗塞や心筋梗塞、腎症や網膜症などの合併症が起こる可能性がある。
#鎌倉殿の13人
185
#ちむどんどん では、沖縄のトウガンやイモが存外軽く扱われているような気がする。ウリミバエやミカンコミバエ、アリモドキゾウムシといった害虫との戦いが沖縄の農業にはつきまとった。生産しても出荷には制限がかけられ、苦しい状況が続くなか、根絶まで漕ぎつけた歴史は重視してほしいな。
188
「これじゃ茄子はならない」と植え方を義時ら子どもたちに教える。「千に一つの無駄がない」といわれるように、茄子は花が咲けば必ずや実がなる。しかし、そのためには花を咲かさなければならない。この先、北条一族が実を成すために時政が我が身を切って、災いを退けようというのか。
#鎌倉殿の13人
189
#鎌倉殿の13人 で三谷幸喜さんは、散々悪役として語られた梶原景時ではなく、「よしそれ故に世に疎まれ、佞人讒者と指さされ死後の悪名受けるとも、いつかないとわぬわが所存」と後世の悪評も厭わず、信念を貫き通す覚悟ある男として描いた『石切梶原』の景時として描きたかったんだろうな。
190
「赤がよく似合う」と言われた実衣が、全成を失ってから普段の衣服には赤を入れなくなる。赤は愛する人のためにつける色となったのだろう。その実衣が千幡の元服の儀には赤をまとう。晴れの舞台、乳母として千幡のために、またここにいたはずの全成のために、「勝負」の色で参列する。
#鎌倉殿の13人
191
「(北条と畠山)どちらに味方する?」と時政に聞かれて、「決まってるでしょう。」と答える三浦義村。どちらに味方するとも言わない。こういうところがお上手ですな!
#鎌倉殿の13人
192
皆さん仰っているが、日本のテレビ局はなんでこんな重大局面を迎えているロシア情勢を報道しないのか。特にNHK、何やってんだよ。「皆様の受信料」でやっているんだから、ちゃんと情勢収集して解説しなさいよ!遠い国の話なんて高を括ってんじゃないわよ、ロシアは「隣国」なのよ!
193
梶原景時を糾弾する連判状。『吾妻鏡』の正治元年十月廿八日条に66人中31人の名が記されている。畠山重忠、和田義盛、比企能員、安達盛長ら13人の宿老や、千葉常胤、三浦義澄、結城朝光、山内首藤経俊、宇都宮頼綱らの有力御家人の名があるのに、なぜか北条時政の名はないのよね。
#鎌倉殿の13人
194
万太郎、大畑夫婦に仲人を頼む。この大畑義平のモデルとされる太田義二は神田錦町で石版印刷所を営んでおり、牧野富太郎博士に1年間、石版印刷のいろはを教えた人物。『牧野富太郎自叙伝』には奥さんとの馴れ初めが書かれていて、「仲人は石版印刷屋の親父」との記述がある。
#朝ドラらんまん
195
「船でも作って唐にでも渡り、どこぞの入道のように」
これって平清盛のことを指しているんだろうけど、この後に大船を作り外洋に漕ぎ出そうとした方がいましてね。源実朝っていうんですがね。
#鎌倉殿の13人
196
実衣が比企一族絶許なのに対し、今度は頼家が北条一族絶許になってしまった。因果は廻る糸車。
#鎌倉殿の13人
197
笠やんの講義の受講者が増えてゆく。働いているから作業とかは分かっていても、理論とか、工程の意味とかって知らなかったりするのよ。講義を聴いて、改めて作業の意味を知ると、自らの仕事の重要さや改善改良の方法に気付いたりする。学びって大切なんだよ。
#舞いあがれ
198
1972年の琉球政府から沖縄県への移り変わりは、島の人々の生活にどのように影響を及ぼしたか。ドル円レートの話は何も国単位の話ではなくて、市井の人の生活に直結した問題だった。米軍の話にはほぼ触れないのもモヤモヤ。その時代を描くなら、それなりの覚悟でやってほしいのよね。#ちむどんどん
199
源実朝に陳和卿が「前世 貴方は宋の医王山の長老で 私はその弟子でした」と涙ながらに語る。これは百済の僧・日羅や阿佐王子が聖徳太子を救世観世音と拝し、太子も「前世 師弟であったね」と述べた話を模しているのよ。太子信仰してた実朝にしたら「えっ、推しと同じ!」と喜んじゃう。
#鎌倉殿の13人
200
自由民権運動の演説に出てきた「雑草は役立たず」に万太郎が一言申す。人が知らないだけで名のない草はない、毒にも薬にもなる役に立つもの、それを聞いて、早川は自由民権運動に繋げて解釈する。牧野富太郎博士の有名な「雑草という草はない」の話をここに繋げてくるとは!
#朝ドラらんまん