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大窪さんの口から「勝海舟」の名がさらりと出てくる。大窪のモデル・大久保三郎の父は、最後まで幕府を支え続け、明治に入ってから東京府知事などを務めた大久保一翁。勝海舟の恩人とも言うべき人物。実は息子・三郎の身の振り方を勝に相談して、就職先を斡旋してもらっている。
#朝ドラらんまん
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信長をもてなすとか言いながら、(#どうする家康 では出てこなかったけど)源頼朝による富士の巻狩の地を訪れたり、富士の人穴、頼朝が宿泊した井出館、大宮(富士山本宮浅間大社)を見学しちゃうんだよね。明らかに『吾妻鏡』マニアの家康が行きたかったから設定したコースだよ。
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佑一郎が札幌農学校で出会った外国人教師は、モデル(廣井勇)と同じ入学ならば土木技術者のウィリアム・ホイラー。ウィリアム・クラークの弟子で、クラークとは入れ替わりに赴任してきている。教え子に文学者で伝道者の内村鑑三、教育者の新渡戸稲造、植物学者の宮部金吾らがいる。
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田邊教授の妻、聡子。モデルは柳田直平の娘・順。妻を亡くした矢田部良吉は、明治20年12月に鳩山和夫・春子夫婦の媒酌で順と婚約、翌年5月に結婚した。(鳩山和夫は政治家・鳩山一郎の父)跡継ぎのなかった柳田家は順の妹・孝に婿を取って継がせた。この婿が民俗学者柳田國男である。
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仙石屋の山桜は救えなかったが、この桜を接ぎ木して新たに育てる。タキさんという大きな存在から受け継いだものを、万太郎や綾竹雄夫婦が引き継いでゆく。この山桜のモデル仙台屋の桜も病に侵され切り倒す事となったが、その子孫は全国に植えられ育っている。その名も「センダイヤ」。
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この時期、岡崎での築山殿と信康の動きを記した一次資料というのはほぼ残っていない。後世でいわゆる「築山殿事件」などと呼ばれる一連の事件の詳細が不明である以上、今回の #どうする家康 で描かれた内容を完全には否定できないのよ。辻褄があってしまえばお手並お見事としか言いようがない。
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「築山に集い候へ。」
築山は人工的に作られた山。山水庭園において須弥山のような世界の中心となる山を表すことがある。この瀬名の考えついたものが、日本の中心を作り、そこに有力大名が集い合議する事で争いのない世界を築くことができると。「築山」をそういう意味に取ったのか!
#どうする家康
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皆さん仰っているが、日本のテレビ局はなんでこんな重大局面を迎えているロシア情勢を報道しないのか。特にNHK、何やってんだよ。「皆様の受信料」でやっているんだから、ちゃんと情勢収集して解説しなさいよ!遠い国の話なんて高を括ってんじゃないわよ、ロシアは「隣国」なのよ!
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公吏相手に下手に出過ぎるわけでもなく、かと言って喧嘩を売るわけでもない。今の政府の方針と懐具合を理路整然と説明し、理解を示したうえでいうことは言う。そして東京大学という「権威」を利用して、相手に付け入る隙を与えない。万太郎の駆け引きの上手さが光る。
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就職氷河期の始まり、団塊ジュニア世代。採用を半分に減らされ、中途採用はなく、ここ数年を耐えれば何とかなるだろうと非正規で働いた人も多数。しかし改善もなく時は流れ、正規採用を望んでもはじかれる年齢になった。それでいて、ボリュームだけは大きいから今後、下の世代の負担になるんだよ。
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信康の不行状は様々伝わるが、その中の一つが僧侶殺害。ある日、信康が鷹狩へゆく道すがら僧侶と出会ってしまった。狩猟の際、僧侶に会うと不猟となるとされるので、これに憤慨して僧侶を捕らえると、首に縄をかけて縊り殺してしまった(『松平記』)。のちにこれについては謝罪している。
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水野信元は、美濃岩村城主の秋山信友に兵糧を売り渡したことで武田への内通を疑われた。これは佐久間信盛の密告とされる。信元は養子の元茂と共に岡崎に逃走。しかし甥の家康は信長の命を受け、信元親子を自刃に追い込む(もしくは石川数正と平岩親吉を派遣し、大樹寺にて討ち果たした)。
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暦を気にして日を選んで話を持ってゆく。その時は正装で、きちんと段階を踏んで進めてゆく。これは相手方に不快な思いをさせないため。高藤の男女対等などというのは、所詮は自分本意であり、上っ面だけ西洋の真似事をしているだけ。東西どちらが上ではなく相手を慮っているか否か。
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万太郎、大畑夫婦に仲人を頼む。この大畑義平のモデルとされる太田義二は神田錦町で石版印刷所を営んでおり、牧野富太郎博士に1年間、石版印刷のいろはを教えた人物。『牧野富太郎自叙伝』には奥さんとの馴れ初めが書かれていて、「仲人は石版印刷屋の親父」との記述がある。
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「探したいなぁ。何か僕の一生をパンパンにできること」
器の大小ではなく、自らの内に入れられるだけ好きなものでいっぱいにしたい。そのパンパンにするものを探している波多野、藤丸、堀井の3人。これって、何歳になっても目指せますよね。何か残りの人生、パンパンにしたいなぁ。
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シェークスピアの全編を翻訳する。これを日本で明治(から昭和初期)に行ったのは坪内逍遥。明治42年から昭和8年までかけて『沙翁全集』として全40巻を刊行した。
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朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ
朝顔という名で、朝露を浴びて咲く花でありながら、夕方の日の光の中で咲く姿がより一層美しい。矛盾しているようでいて、その矛盾こそが人の人たる所以。実に文学的な捉え方だ。
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万太郎たちが編集をはじめた『植物学雑誌』。目次だけ出来たけど、実際に東京植物学会が発行した『植物学雑誌』1巻1号(明治20年2月15日発行)そのまま(著者名が役名に変わっているだけ)。大窪昭三郎(モデルは大久保三郎)の「本会略史」や、槙野万太郎の「日本産ひるむしろ 図入」も。 #朝ドラらんまん
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上岡龍太郎さんといえば引き際の美しさだろう。55歳のときに「2000年4月に芸能界を引退する」と宣言し、それまでは「冗談だった」「誰も止めてくれない」と照れからぼやいていたが、いざその日を迎えると、表舞台には一切出てこなくなった。その徹底ぶりは見事としか言いようがなかった。
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1846年にオランダから将軍家へガラス製の花瓶が献上された。その時、割れないように緩衝材として乾燥させたクローバーの花が詰められていたことから「詰め草」、そして白い花であることから「シロツメクサ」と呼ばれるようになった。その後も輸入品とともに送られ、日本に帰化した。
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家康が瀬名に断りなくお万との間に子をなしてしまう。瀬名が怒るのは、己の知らぬところで家康が子をなすこと。そんなことをされては、正妻としての立場、嫡子である信康の立場がないと。以前、オーディションをして側室を選んだ描写が、「家康のお手付き」で生きてくる。
#どうする家康
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阿川佐和子さんが「こだま」「ひかり」に続く新たな新幹線の名前を選ぶ審査員となった時、鉄道に造詣の深い父の阿川弘之さんに意見を求めると、「一つだけ言っておく。日本国鉄の列車の名前は歴代すべて大和言葉でつけられてきた。(20ばかりの)候補の中で大和言葉なのはつばめだけだな」……(続く) twitter.com/norikan2/statu…
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一次資料には夏目「広次」の名が残されているけど、のちの記録には夏目「吉信」と記されている。その違いを上手く物語に落とし込んで、その死にまつわる逸話に絡めてくる。どうしても「夏目広次」の名前が覚えられないコントがここに繋がってくるとは想像もしなかったよ!
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「吉信、吉信」と慕ってくれた幼い頃の家康(竹千代)を織田に奪われたことを悔やみ、その名を捨てて広次と名乗っていたから、どうしても家康は「広次」の名前が覚えられなかったのね。今度こそ家康を奪われまいとする広次、否、吉信。その身を呈して家康を救う。
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