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実衣が頼全(全成の三男)からの文を見ながら「お寺の修行って大変なんですね。百壇大威徳法の業って」と尋ねようとしたら全成はもういなかった、というシーン。この百壇大威徳法とは寿永2年に後白河法皇が平氏討伐のために催した怨敵調伏の修法。頼全、京で何してる?(不穏大好き!)
#鎌倉殿の13人
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#鎌倉殿の13人 で阿野全成が作った木製人形のモデルはこちらの出土品のようですね。両腕を後ろ手に縛られた形を丸彫りにして表しています。目や髪、髭、冠は墨で塗って表現し、胸から腹にかけて呪詛する相手の名を記しています。
kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/2…
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梶原景時 正治2年1月20日討死(61歳)
三浦義澄 正治2年1月23日病死(74歳)
安達盛長 正治2年4月26日病死(66歳)
合議制を構成する宿老3人が相次いで亡くなる。残り10人。
#鎌倉殿の13人
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これよ、この潔さ!
(でも、伊達に今まで大河ドラマを61作も作ってないよ!考証なしだって押さえるところはちゃんと押さえている!)
#小田信夫
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「母親の一番の不幸は息子と結婚できないこと」
あの時代のおじさんなら言いそうな妄想だけど、何でそんなところだけ時代のリアルを重視する?(いや、ただ言わせたかっただけかもしれんし、いまだに言いそうなおじさんいるけど)
#ちむどんどん
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#鎌倉殿の13人 で三谷幸喜さんは、散々悪役として語られた梶原景時ではなく、「よしそれ故に世に疎まれ、佞人讒者と指さされ死後の悪名受けるとも、いつかないとわぬわが所存」と後世の悪評も厭わず、信念を貫き通す覚悟ある男として描いた『石切梶原』の景時として描きたかったんだろうな。
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なるほど「名刀の主」とは切れ者・梶原景時の持ち主のことなのか。いくら斬れる刀でも、持ち主の腕がなければ切れ味は生きない。また、名刀は持ち主を選ぶ。自らが生かされる主を求める。歌舞伎の『石切梶原』で景時が名刀の切れ味を偽ったように、偽わろうとも正しい主に。
#鎌倉殿の13人
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梶原景時を糾弾する連判状。『吾妻鏡』の正治元年十月廿八日条に66人中31人の名が記されている。畠山重忠、和田義盛、比企能員、安達盛長ら13人の宿老や、千葉常胤、三浦義澄、結城朝光、山内首藤経俊、宇都宮頼綱らの有力御家人の名があるのに、なぜか北条時政の名はないのよね。
#鎌倉殿の13人
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ピアノ売ってちょうだい
#歌わずに読めるか選手権
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今日の #ちむどんどん は一週間かけて語るような話だった。時間かけてほしいところを凝縮して、3日で片付く話を2週に跨がせる。作る側は今日の話より、2週に跨いだ話の方が見せたかったんだろうけど、私はここを丁寧に語って欲しかった。
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合議に列した十三人の宿老
北条時政 (62)
北条義時 (37)
比企能員 (?)
和田義盛 (53)
梶原景時 (60)
足立遠元 (60代後半と推定)
三浦義澄 (73)
八田知家 (58)
安達盛長 (65)
大江広元 (52)
中原親能 (57)
二階堂行政 (60代後半と推定)
三善康信 (60)
やはり義時が飛び抜けて若い。
#鎌倉殿の13人
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和田義盛と梶原景時が侍所別当を争った話。建久3(1192)年、和田義盛は喪に服さねばならなかった時、侍所所司(副官)の梶原景時に一日だけ侍所別当を貸してほしいと懇願されたので、これを許したところ、別当職を奪われてしまった、という。その「面倒くさい」話をここに出してきたか!
#鎌倉殿の13人
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梶原景時は頼朝に頼まれたという一心で行動しているのが、裏目に出ているのがつらい。これが「鎌倉の政を私している」とみられてしまうのか。北条政子は「私心なく働く方」と分かっているけど、他の御家人たちは……
#鎌倉殿の13人
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「愛と結婚する資格がない」
いやいや、それは違うでしょ!ただ暢子に気持ちが移っちゃったから、愛さんと別れるってだけの話じゃない?結婚する資格って話にして、自分の浮気心を表面上なかったことにしたいだけじゃない。もう、愛さんが不憫で不憫で。
#ちむどんどん
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世界平和統一家庭連合(旧名称 世界基督教統一神霊協会 いわゆる「統一教会」)は1954年創立。1994年に名称変更(日本では2015年から)
統一教会と聞いてピンとくるのは四十代までかな。1993年頃、連日ワイドショーで取り上げられていたけど、ウケを狙った演出が多く、深刻さは今ひとつ伝わってなかった。
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やはり犯行に使用された自作銃を図解してくるマスコミが出てきた。確かに調べればネットには作り方が出てくる時代。でもそれは積極的に探さなせれば目にすることはない。テレビなど誰でも触れられるメディアで略図であれ見せるものではない。取材したからといって何でも出せばいいってもんではない。
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#ちむどんどん では、沖縄のトウガンやイモが存外軽く扱われているような気がする。ウリミバエやミカンコミバエ、アリモドキゾウムシといった害虫との戦いが沖縄の農業にはつきまとった。生産しても出荷には制限がかけられ、苦しい状況が続くなか、根絶まで漕ぎつけた歴史は重視してほしいな。
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この頃、沖縄のイモは持ち出し禁止、制限されている。沖縄本島において1903年以前から被害を受けていたアリモドキゾウムシという害虫が出荷によって日本各地に拡散しないためである。出荷するには熱により虫を殺す蒸熱処理をしなければならないため、当時の出荷量はかなり限られた。
#ちむどんどん
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和田義盛と畠山重忠が頼朝の死を談じている。その内容が頼時(泰時)の耳に入る。鎌倉殿への敬意も、御恩も感じられないその言葉に、ふと何かを思うような眼差し。おそらくこの経験が、のちの『御成敗式目』の制定に繋がってゆくのだろうな。
#鎌倉殿の13人
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頼朝逝く。和田義盛が「坂東は坂東武者の手に返った」と喜んでいたが、ことはそう簡単ではない。頼朝によって安定がもたらされていた坂東が、石橋山以前、否、それよりひどい状態に戻ろうとしている。頼朝が「これはなんですか」と政子に尋ねるあの場面は、その部分の巻き戻しでもある。
#鎌倉殿の13人
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頼朝に「わしに何かあったときは頼家を頼む」と言われ、梶原景時は「身命を賭して」と宣言をする。その後に頼朝が落馬して命を危うくしてしまう。そこに「神仏の意思」を感じたのか、景時は頼家を全面的に支える。 #鎌倉殿の13人 では、みな言葉に縛られてゆく。
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「頼朝が落馬するとき木が倒れる音がした」というツイートをみて、後漢の武将 馮異(ふうい)の故事(諸将が論功を競うなか、馮異は大樹の下に引いて加わらなかったため「大樹将軍」とよばれた)より近衛大将あるいは征夷大将軍の別名が「大樹」であることを思い出した。今、大樹が倒れる。
#鎌倉殿の13人
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賢秀はフルボトル750mlを10本呑んでいる(ランチでワイン8本のうち半分を、その後オーナーの秘蔵ワインを6本空けた)。昼の4本で昏睡期(竜星涼さんの体重は60キロ、ワインのアルコール度数を12%として、アルコール血中濃度は0.50%以上)になる量なのに、さらに6本って死に至りかねない量。
#ちむどんどん
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「船でも作って唐にでも渡り、どこぞの入道のように」
これって平清盛のことを指しているんだろうけど、この後に大船を作り外洋に漕ぎ出そうとした方がいましてね。源実朝っていうんですがね。
#鎌倉殿の13人