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突然訪れた八重の死。伝承の中にある八重姫は頼朝の石橋山の挙兵前後に入水自殺を図ったとされている。三谷幸喜さんは、八重は自殺であったとも、不慮の事故とも描かなかったが、伝承と同じ死因(水死)とすることで謎の多い「八重」の生涯の辻褄を合わせて幕を引いたのだな。
#鎌倉殿の13人
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八田知家。源義朝の落胤とも噂される。頼朝の石橋山の挙兵の頃から従い、平氏追討にも参加しているのだが、登場は今回が初。奥州合戦では千葉常胤と並んで、東海道大将軍の役目を任された。関東の名族、小田氏の始祖である(と、いうことは「戦国最弱」ともいわれる小田氏治の祖先!)
#鎌倉殿の13人
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1972年 大卒の公務員初任給が平均47200円。銭湯の入湯料48円の時代に、5.45秒10円の市外通話をかけ続ける暢子の金銭感覚はどうかと思いますね。それでは借金が膨らんでも仕方ない。公衆電話が日常的にあった世代には、別の意味で #ちむどんどん するシーンです。
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【妄想】義経が「虫送り」のような迷信ではなく、煙でコオロギを追い払おうとする。西欧ではコオロギは死を予兆する虫とされ、家にいたコオロギが姿を消すと家族に死が訪れるとされた。つまり、追い払ってしまおうとするのは、自ら死を招いていることに……
#鎌倉殿の13人
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義経の首桶が塗りの桶で送られてきた。藤原泰衡は義経の首を酒に浸して送ってきたとされる。だから塗りの首桶なのか。
#鎌倉殿の13人
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「この首で平泉が守れるなら本望だ」
義経の首では平泉は守れない。その首で平泉を滅ぼそうとしているのよ。最期の最期まで人を信じすぎる義経。
#鎌倉殿の13人
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『吾妻鏡』には、静御前が鶴岡八幡宮で舞ったときに「吉野山峰の白雪…」や「しづやしづしづのおだまき…」と歌ったことが記されている。これはそれぞれ壬生忠岑と『伊勢物語』の古歌を本歌取りしたもので、これを即興的に吟じたのなら、それだけの教養を持っていたということよね。
#鎌倉殿の13人
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藤原秀衡は死を前に、庶長子であった国衡に、秀衡は自らの正妻である藤原基成の娘(徳尼公)を娶らせ、異母弟である泰衡を義子とさせた。つまり、国衡に義母と結婚をして、その子であり義弟である泰衡の父としたのだ。兄弟間の闘争を回避し、頼朝に漬け込まれないようにしたとされる。
#鎌倉殿の13人
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それにしても比嘉家の現状を見る限り、賢秀の「死ぬまでお前のニーニー」というのは呪いのような言葉だな。 #ちむどんどん
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「私はどこで間違えた」
いや、間違えてはいないのよ。間違えようのないくらい真っ直ぐだったのよ。ただ、周りが利用しようとして失敗したのよ。
#鎌倉殿の13人
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源義経らの謀叛に、後白河法皇及び院近臣の関与を疑う鎌倉方。院近臣・高階泰経は「法皇は止めたが義経が聞き入れず『宮中で死んでやる!』というので、やむを得ず院宣を発給した」と弁明する書状を送るが、これに対し鎌倉方は返書の中で後白河法皇を「日本第一の大天狗」と評した。
#鎌倉殿の13人
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毬を脇に挟むと脈が止まる。毬を結んでおいたことで命を落とした源義高をみている視聴者には、毬が転がるだけでもドキッとさせる。後白河法皇、洒落になりませんぜ。
#鎌倉殿の13人
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源行家、出てきた途端に「疫病神」で埋め尽くされるTL。
#鎌倉殿の13人
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1972年5月15日午前0時をもって、沖縄が日本へ返還されました。当日は朝から雨でした。
#ちむどんどん
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《大河ドラマ第63作》制作決定!大河ドラマ #光る君へ 作・ #大石静 主演・ #吉高由里子 #紫式部
公式に発表!大河ドラマで平安末期は取り上げられてきたが、平安中期は『風と雲と虹と』以来。紫式部が主人公に大河とは、NHKはかなり冒険したのでは? www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/ori…
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#鎌倉殿の13人 で「天叢雲剣」が海中に沈んで還らなかったことに対し、「レプリカでしょ?」的なことをよく見かける。確かに崇神天皇の御代に作られた天叢雲剣の「形代の剣」だったとされる。でも「形代」なので、そこに「天叢雲剣」の霊性というか神威が宿っている重要な剣であったことは間違いない。
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壇ノ浦で安徳天皇と共に海へと沈んだ三種の神器。八咫鏡(形代)と八尺瓊勾玉は波間に漂っているところを発見され回収されたが、天叢雲剣(形代)は探索の甲斐なく戻らなかった。#鎌倉殿の13人 では、都落ちのときは唐櫃に納められていた神器が、入水時には天叢雲剣のみ唐櫃から出されていたため沈んだ。
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一ノ谷の戦いののち、源義経が在京中に起こった「三日平氏の乱」。このとき平家残党鎮圧に向かった佐々木秀義は甲賀郡上野村で90余名を討った後、闘死している。源頼朝が伊豆で挙兵するとき、息子である佐々木四兄弟が来るこないで混乱を招いた「言語不明瞭」の秀義である。享年73歳。
#鎌倉殿の13人
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静御前の釣りは、神功皇后の「三韓征伐」の故事を思わせる。筑紫国で裳から糸を抜き、針に飯粒をつけ「新羅遠征が成功するならば、魚がかかるだろう」と祈り糸を垂れると鮎がかかったという。頼朝の誤解を解こうと思案する義経の言葉を遮り「全然釣れへん」と静がいうのは叶わぬことと…
#鎌倉殿の13人
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1972年の琉球政府から沖縄県への移り変わりは、島の人々の生活にどのように影響を及ぼしたか。ドル円レートの話は何も国単位の話ではなくて、市井の人の生活に直結した問題だった。米軍の話にはほぼ触れないのもモヤモヤ。その時代を描くなら、それなりの覚悟でやってほしいのよね。#ちむどんどん
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息子がハマったようでオセロを買ってきました。今のは「石をなくさない」ように盤の中に入っているんですね。くるくる回して石を出してきます。あと黒には同心円状の刻みがつけられていて、触れるとどちらの石かが分かるようになっています。進化している!
#オセロ
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そして北条政子の願いで北条義時が手を回し、三浦義村が寺に匿ったこと、畠山重忠と和田義盛が追手を信濃に向かわせたことが裏目に出て、大姫が無事を祈って渡した手鞠で刀が抜けず、源義高の死を決定づけてしまう。義仲の嫡男が辿る宿命に、抗う助命活動が図らずも宿命に導く鬼脚本。
#鎌倉殿の13人
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北条政子が侍女の扮装をさせて逃しても、大姫が手鞠を渡し無事を祈っても、北条義時が裏で手を回しても、三浦義村が寺に匿っても、畠山重忠と和田義盛が偽って追手を信濃に向かわせても、源頼朝が折れて起請文を書いても、源(木曽)義高の死は逃れられない「宿命」であったということか。
#鎌倉殿の13人