どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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昨夜も書いたけど、木下恵介の「黒澤の『生きものの記録』はなぜコケたか?」の分析が凄い。「東京にあんなに空襲があっても、僕達は死の恐怖を切実に感じなかったじゃないか。黒澤君の誤算は”みんなが死の恐怖を切実なものと思うはず”と考えたことだ」っての。コレ、絶対、今の人から出ない見方だよな
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川端康成の文芸時評は傑作よ。今も通じそうなのあげると、「今は不況だから生活苦を扱う小説が多い。だが、全てを疑う作家も生活苦にだけは甘い。彼らは己の生きづらさだけは愛してるのだ。そして作品は一般人の愚痴と同じ、常識的なものになる。面白いと言えば面白いが、どこに文学の有難さが?」とか
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西洋の悪はシステムという「人間自身が構築した非人間的なもの」だけど、日本の悪はどのような対立や問題も全てそこに飲み込まれて、最終的にグダグダになる「自然」という(誰が作り上げたわけでもない)非人間的な空間だけが存在してる感じ。
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この前TVでニコラ・テスラの伝記をやってたけど、彼が電気に興味を持ったのは猫に触れた時の静電気が切っ掛けだったとか。で、父親に「それは静電気。世界中どこでも存在する」と聞かされた時「世界は電気で出来ている」ではなく「世界は猫で出来ている」と思ったとさ。この辺が凡才と天才の違いかな…
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押井守監督がどっかで「勝てない奴は要は負けるのが好きなんだ」と言っていたと思う。「負けることには独自の快楽があって、一回負けた奴はその快楽に酔っちゃうんだ。そこに居付いちゃうんだよ。だから勝てない。正確には”勝とうとしない”」みたいな。酷い理屈だと思うけど、強ち間違いだとも思わんよ
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で、三島は「感動というのは現在の一瞬間に感じる雷のようなもの(必要ない)」とも言うんだけど、ここで「感動=現在」という指摘が出てくるのが面白いんだよね。みんな「感動」をいいものと思うけど、実は「感動」は客を「異世界」から「現在=現実」に引き戻すもので、寧ろ「邪魔」なんじゃないか…
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コレ。昨日のRTとも関係あるけど「ある世代が「ネタ」として演じていのに、ネットに入り浸った次の世代は「これが本物なんだ。本物の〇〇はこうあるべきなんだ」と思ってしまう(それ以外の〇〇の存在を考えられなくなる)」ことは絶対にあると思う。そのヤバさを最近本当に感じつつある。
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シンゴジの米国公開時。海外のファン(GFWが好き)達が「まさに日本のゴジラ映画だ!と感じられて嬉しかった」と語ってて「へぇ」となった。日本だと「今までのゴジラと違う(初代を除く)!」という感じで語られたでしょ。「俺達の考える日本らしさと、彼等の考える日本らしさは違うんだ」と思ったよ
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俺も昔「話し方教室」みたいなのに行ったことあるの。そしたらココに書かれてる欠点全部指摘された(特に②)。それを全部直したら…最初に結論話すとか…凄く「普通」に話せたよ。でも自分的には全然「感情をこめて話してる感じ」がなくて虚しかった。でも周囲は喜ぶんだ。会話ってなんだろうと思った
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「他人に冷笑を繰り返すと、その間は「私は他人より優れてる」幻想に浸れる。が、実際に何かを成して成長したワケではないので、最終的に「冷笑しかできなくなった中年」になる」という話。以前痴呆症の講師から聞いた「人は体力も気力も衰える。でもプライドだけは絶対衰えない」と合わさるとより怖い
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(余談) この話。一番拒否反応を示したのが近所のマダムだった。「どこが偉いの?人は働いてナンボよ!」と。あぁ、マダム。アナタの感覚の方が普通と思うよ。でも、俺の記憶が正しければ、アナタは大学出てすぐ裕福なガイと結婚したはずで… どうも労働経験ない人ほど労働を賛美する気がしてスカン
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飲み会でするゲームとかあるでしょ。結婚式の二次会のビンゴでもいいや。ああいうのを「全然興味ないや」とやらずに、だからといって本気で勝ちに行って周囲を白けさせる(遊びだよ!遊び!)こともない。ほどほどに真面目に遊べる人を見ると「大人や…大人…」となってしまう。俺はコレが出来んのだ。
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ちゃんと子供時代に子供やってさ。「あー、友人と酒飲むのも飽きた。女遊びも飽きた。ゲームも飽きた。もう”楽しい”は飽きたよ」と、子供であることに”飽きることが出来た”奴だけが、「子育てもする、仕事もする、ボランティアもする」という「立派な大人」になれんじゃないか。 という感覚が今もある
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「昔、どっかの大会社の社長が「僕は本は読まない!知りたいことがあったら、直接著者へ会いに行くから!」と言ってて、凄く衝撃を受けた。金持ちは違うぜ」と呟いたら、「ほ…本は死んだ人にも会えるし…(貧乏人の僻み)」という引用RTが来た。当人は冗談っぽく書いてたけど、案外真理なんじゃないか twitter.com/honnoinosisi55…
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しかし、実人生振り返っても「入学式の時に偶然隣の席にいた奴」と一番長く友達を続けてたり、「褒められたから。他人より上手く出来るから」くらいのノリで続けたモノが、結果的に一番の「趣味」になったりしたことが多いワケで。なんでこんなに「好き」がなきゃイカン、的な感じになったんだろうか。
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前も書いたが、小津安二郎に「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」という名言があるが、芸術家は自分に従ってるからこそ、話が面白いのだ。そして俺達消費者の話は常にツマラナイ。俺達にとっての芸術は所詮「流行=どうでもよいこと」に過ぎないからな…
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人生、苦しみや悲しみの時間の方が長いしな。物語まで「苦しみ?悩み?孤独?不幸?そんなものはシランよ。俺達は明るい物語だけを提供するのさ」とやったら、もう本当に救いがない。いや、大した救いにはならないだろうが、不幸には不幸の美しさもあるよ、と見せてやるのも役割の一つではないだろうか
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たまに野郎が雑誌のフェミニズム特殊に寄稿してるの読むと「俺、俺、俺、俺の気持ちが〜」みたいなのが多くて、流石に引く時がある。つまり、既に社会的に認められてる野郎にとってはソレは「単なる気持ちの問題」なのさ。そして彼は混乱する自分の心を正直に話せば、受け入れてもらえると思ってるんだ
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「今はそれに耐えるだけの力がないから、とりあえず肉を食って力をつける」っていうね。どうして、コレ(美しいものを味わうためには、客にも体力が必要。だから常に心身を鍛えろ。時間がない時は~という応急処置をするのだ)が指摘されないんだろう。こういう「技術」を教えて欲しい人は多いと思うよ
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『たわわ』的なものを、昔は気持ち悪く感じなかったけど、色んな人の呟きを読む内に気持ち悪く感じるようになった人も結構いると思うんだよ(勿論最初から嫌だった奴もいる)。つまり、見てる対象は変わらないけど、見る自分が変わったワケで。これは「教育」の結果よね。やっぱバカに出来んよ。教育。
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実にいい話だと思う。デジタルにどっぷりつかったから(すべてを同じ「情報」として見たから)こそ、逆に現実の人間や世界の複雑さに気づけた」という点が面白い ネット世界は複雑だから、たまには草木を見よう!は古い。これからはネット世界は単純過ぎるから、草木を見よう!が流行ると思う(真顔
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オリジナル信仰がどうとか、そんなのはどうでもよい。 「あんたは自分だけの声を生み出す楽しさを知らないから、そんなに簡単に他人の声を参考にするんだ」という指摘に、いつも他人の言葉の引用ばかりしてる人間(俺)は大変堪えたよ。小説とかを書いてなくてもさ。 excite.co.jp/news/article/L…
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黒沢監督が語る「海外の客が日本映画に求めるもの」話で、もう一つ面白いのがコレ。そして海外の客は監督の「物語の舞台は東京だけど、東京だと撮影許可が下りなかったから、千葉で撮った映画」を見て「コレが今のトーキョーか!」と満足して帰っていくらしい。それでいいのか twitter.com/madanaizo/stat…
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天才が言う「映画は自然に見ればいいんだよ!」もコレと同じだからな。彼らは教養があるから「自然に」を実現できるんだ。つまり「こういう見方は〇〇だな。××的で偏ってるな」と常に自分をチェックできるから、最終的に「自然に」を実現できるんだ。あれは実は達人の技なんじゃよ。
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以前「絵が下手な人が、明らかに自分で興奮しながら書いてる特殊性癖絵が好きだ。下手なぶん「俺はコレを描きたい!」という、書き手の心が絵にうつるからだろう」と書いたのだが… 残念ながらAI絵の登場によって、この「下手な作者の心が絵にうつる現象」は失われてしまったようだ。実に嘆かわしい