どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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前にどっかで読んだ「孤独な老人はいつも「誰かと話がしたい」と思ってる。でも自分が話しかけることで、自分の相手をしてくれるような「いい人」の時間を無駄にさせてはダメだ。「いい人」に負担をかけるくらいなら我慢しよう…で、そのまま死んでいく人が結構いる」みたいな話が、いつも頭にあってさ
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『花束みたいな恋をした』それまで今村夏子を読んでいた麦君が、ブラックな企業に勤め出した途端、自己啓発本を読む場面がある。ここはウゲーとなる場面らしいが、もっと素直に捉えてもイイと思う。麦君がサバイブするために必要な言葉は今村の上品な本ではなく、野蛮な自己啓発本の中にしかなかったと
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西部開拓時代、ガンマンは実はエンジニアでもあったそうな。拳銃の分解掃除と修繕、馬の蹄鉄を鋳て鍛える技術…等々のスキルがないと荒野では生きていけない。そしてマーロウやスペードも含め、ハードボイルド探偵は海まで追い詰められた西部のガンマン達の末裔なのだ。
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笑えないし、ネタにもできないよ。数十年後の我が身じゃ。コレは。
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トム・クルーズは「とんでもないスタントを一人でこなすから凄い」というより、「走る・飛びつく」という「誰にでも出来る動作を、誰よりも洗練させて行うことが出来るから凄い」俳優と思うんだが、新作では遂に「計器を”睨む”」という動作だけで客を熱狂させてしまた。それ単なる目じゃん。表情じゃん
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>袋叩き 「40になるまで働いてないとかバカだろ」「親のスネかじり」とね そういう意味じゃなく…いや、確かにバカだったかもしれんが、例の「更生した元不良」話と同じでさ。「一度ダメになった後、更生しようとした」勇気はソレはソレとして称賛されてイイと思うけどな twitter.com/madanaizo/stat…
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不機嫌な態度を取ることで、自分の要求を通そうとするアレ。アレは絶対自分の家庭というか、両親のやり方を見て学んだんだと思う。「俺はお前らのせいで不機嫌になってる」オーラを出すと、周りが勝手に忖度してくれて、結果的に自分の要求が通るワケで。当人にとっては、結構「合理的なやり方」なんだ
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もはやお前しか『複製人間の恋』のVHSの色焦たパッケージや、大げさ解説文を覚えている者はいない。もしお前すらそれを忘れたら、人類は『複製人間の恋』のVHSを完全に抹殺し終えることになり、作品は永久に無に帰されてしまうだろう。全ては”レンタルビデオ屋”に対するお前の忠実さに掛かっているのだ
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日本映画の脚本の話。以前黒沢清監督が「脚本は”文学”ではなく”設計図”だが、日本では金を出す側がそれを文学としてしか読めない。所謂”人間”を描いてないと、良さが理解できない人が多いのだ。そして文学と化した脚本を現場でなんとかマシなものに変えるのが監督の仕事」とボヤいてたのを思い出したり twitter.com/madanaizo/stat…
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ある脚本家が「歳をとると性欲がなくなる。なくなると町を歩いてても異性を見なくなる。見なくなると、今まで目に入らなかった細かな諸々が目に入るようになって、町歩きが楽しくなった」みたいなこと言ってて。性欲云々の前提に怒る人もいそうだけど、俺は素直に「年取るのも悪くなさそう」と思ったよ
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大学の先生が「今の学生は”わからない”と答えられない人が多い。でもわからんものをわからんと言えるのが考えることの出発点。ちゃんとわからないと言える”訓練”しろ」と書いてて面白かった。それが言えるようになるのに一年かかる奴もいると。そうか。人は努力しないと「わからない」が出来ないんだな
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母は『ライトスタッフ』が好きで、公開時に何度も見たそうだが、内容は一切覚えてないそうだ。「マーキュリー計画が…」と説明しても「そんなんだっけ?」となる。でも『ライトスタッフ』の名前を聞くと「あれは良かった…いい映画…何度も見た」となる。幸福というのはこういうもんではないか、と思う
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前も書いたけど、明治~大正の小説を読むとよく「約束もしてないのに誰かを訪ねに行く」場面があるんだよね。で、「今は留守だ」と言われて「なんだぁ」とスゴスゴ帰っていく。あの行き帰りの時間がとてもいいの。「”とくに何もしてない”をしてる」感があるんだよ。心地よい「退屈」が小説内にある感じ
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正直、普通に「え、ダメなの。こんなに自分をいじめてるのに」と思ちゃった。俺はそれまでかなり真面目に「自分で自分をいじめてる姿を晒せば、最後は全部赦されるんだ」と考えてたから。その思い込みをぶっ壊してくれた。いい経験だったよ。今でも夢に見てはうなされるけど。
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うる星やつらの新アニメ。今のところ面白くも楽しくもないが、この令和の時代に、所謂「内面」がない人物達が山ほど画面に出るアニメは貴重だと思うので、これからも見続けるよ。なんかさ、画面に「人間」が写ってないことにすごく癒されるんだよね。
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坂本龍一が「911の後、音楽が聴けなくなった。辛うじて聴けたのがバッハとビートルズ」と言っててさ。コレは勿論「こんな時でも胸に響くバッハの曲は凄い」という意味もあるけど、同時に「人は辛い時、聴け曲の範囲が極端に狭まる。バッハくらい凄い人の曲じゃないと聴けない」ということでもあってさ
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美容院のお姉さん。昔は好きな服ではなく、似合う服を着てたが、40過ぎてから「ダメだ。このままじゃいつまでたっても”好きな服”を着れる日が来ない。”好きな服が似合う自分になる!”でいこう」と、好きな服バンバン着るようになった。そうすると不思議と服の方が似合うようになって来たらしい。いい話
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今これを映画で再現しようとすると「凄く残酷なことをしてます(でも、誰もそれに気づいていません)」みたいな「戦争って怖いですよね」感がどうしても出てしまう。でも小津はまるで「ピクニックでこういう光景を見た」みたいな感じで話す。この感じ。この感じは絶対再現できない(できなくていいかも
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さえぼう先生の批評本を読んでるけど、冒頭で「自分の分析を明確に文章化できると、作品を他の人とシェアできて楽しい」「批評はコミニュケーションを生み出し、作品のまわりに共同体を作る道具でもある」とハッキリ書かれてて、ちょっとビックリした。「コミニュケーションの道具としての批評」という
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我々がハリウッドのトンチキ日本描写を楽しめるのは、日本国内に既に山のように「トンチキでない日本描写」が…つまり普通の日本映画があるから。それ以上の理由はあまりない。その意味で我々は国内においては「主人」であり、他国の大作映画で「正しい日本描写が行われた!」と喜ぶ方が「奴隷」っぽい
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これと同じように…先日『ドライブ~』に関しても議論になっていたけど…「日本人からするとマッチョに見える男が、海外の人からすると繊細な男に見えて、そこが評価される」みたいな現象も多分あるんじゃないかな、という気がする。そう考えると海外で評価されることも、手放しで喜んでいいか分からん
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『この世界の片隅に』にしろ何にしろ。例えば「戦時下の日常を丁寧に描く」「絶望的な状況でも逞しく生きる人間の姿を丁寧に描く」をやる。するとその「丁寧さ」が魅力的過ぎて、逆に「実はいい時代だったんじゃないか。酷い状況でも人は案外やっていけるんじゃないか」となっちゃう人は出て来ると思う
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トム・ヨークが「君の歌詞はネガティブな内容ばかりだ」と言われた時、「歌詞をつけること自体がポジティブな行いだ」と返した話が好きでもう百回くらい引用してるのだが、やっぱりコレは真実と思うのね。何か生み出すこと中には「善」的なものが含まれてると思うの。そしてその「善」は人を自由にする
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「海外で評価される」は「海外の人でもわかる部分が評価される」ということなのかも。で、それ自体は良くも悪くもないが、それを「だから凄い」と錯覚したら痛い目にあったり。「違う国の映画だから分からない部分もある」「同じ人間&同じ映画だから分かる部分もある」くらいの態度でいた方がいいかも
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『ジョーカー』社会の中で上手に振舞うことが出来ない男が、社会的良識を徐々に捨てることでダンスを踊れるようになる過程を連想してくらされ。悪の優雅さはそういう社会の規則や、良識という「他人の目」から解放されることで生まれる「自由な/自分の振る舞い」でもありやす twitter.com/madanaizo/stat…