どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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何度か書いてるけど、最近はTVを見てもSNSを眺めても「こんな面白い作品を知らないと損する!」「〇は面白くてタメになる!」という「面白い」「タメになる」で溢れてるので、そこから逃れるために戦前の私小説のような「面白過ぎない。タメになる情報がない世界」に浸って、自分を整えてるトコはある
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「教養がないと会話が下ネタだけになる」の先にあるのが、「コミュ障は意味のない会話ができない」「トリビアな知識を披露し続けることを「会話」だと勘違いしてる」だと思うんだけどな。教養云々より、自分が会話の中心でなきゃ嫌、尊敬されたいみたいな欲望消した方が、よっぽど人のためになると思う
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TSUTAYAよ。お前の存在の中には、お前が潰していった幾多の個人経営レンタルビデオ屋の”怨念”が含まれてるはず。だがお前が消えてしまえば、人々はそれらの存在に想いを馳せることすらなくなるだろう。彼らが消えてもレンタルビデオ屋=お前は残る。だがお前が消えればレンタルビデオ屋自体が消滅する
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というか、自分も他人の単純な「面白かった」という呟きに刺激を受けて本を買う時が結構ある。岩波新書の人が「本は〝今〟売れるからこそ、重版し続けることができる」と書いてたが、誰かの「面白い」という呟きが「〝今〟売れること」のきっかけにもありうるのだ。だから皆、好きな本の感想もっと呟け
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文學会の当事者批評鼎談。カフカの『変身』に関して「”虫になったザムザが大冒険するかと思ったら、部屋が出ないで終わるのでびっくりした”と言ってる若者がいた」という話が出てきて爆笑したんだけど、でも「あの小説(映画)は難解だった…」と言う時の「難解」って、案外こういうものかもしれんよな
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007の悪党は生きてて凄く楽しそうだったのに、ある時期から急にツマンなそうな顔しだした。「善」は今の(面白くない)社会システムを維持する側の、制約の多い存在だ。でも「悪」は「そんなん知るか!」と好き勝手振る舞うから人生が楽しいはずで、その楽しさがある種の「美しさ」を生むはずなのだが
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大滝詠一の話題が出てたけど、その大滝が「”良い・悪い”の基準が無くなると”面白い”が出てくる。俺は駄作でも”面白がる”ことが出来る。面白がれない奴は創造性がないのだ、というノリになる。でもそれは批判が機能しなくなるということで、最終的に受け手側の首を絞める」と指摘してるのは知られていい
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そんなの大したことじゃねぇだろ、と思う人こそその才能を持ってる人だ。私はその人に話しかけているのである。断言しても良いが、この呟きはそれなりに伸びるはずだ。それを見て「TLに俺の才能を必要としてる人がこんなにいるのか…」と気づくが良い。世界は書評家でも批評家でもなく、君を待っている
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前も書いけどねぇ。私は自分のしてることが本当に「仕事」なのか、時々分からなくなることがあるよ。エクセルだパワポだ、実は全部「ごっこ遊び」なんじゃないかと。そんな時、近所の居酒屋で土方の兄ちゃん達が「今週もお疲れ!」と盛り上がっての見ると、「あれが本物の仕事をした労働者だ…」となる
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日本の映画・ドラマの脚本問題。あれは作り手より「金を出す人」の方の問題かも。以前「脚本は文学ではなく「設計図」なんだけど、日本では金を出す側がそれを「文学」としてしか読めない。だから所謂「人間」を描いてないと、その良さを理解できない人が多いのだ」という愚痴を読んだことがあるぞ。
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「明治の小説は、主人公がなにかにつけて迷っている。人生に何を賭すのか、という一大事から、昼は何を食おうか、という瑣末事に至るまで、寝てもさめても活き活きと迷っている。迷う自由を謳歌している」という津原泰水氏の指摘が好きですね。「活き活きと迷う、迷う自由を謳歌する」という言葉がいい
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勿論「初めからちゃんと働いていた奴」の方が偉いだろう。でもそれと「ダメになった後、人生をやり直そうする偉さ」はそれぞれ別の偉さと思うんだ。そして、単に偉さや勇気の量で言えば…「今まで無職だった(引きもり?)40男が、就職するために一歩踏み出す」ために必要とした勇気は、相当なもんだよ
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[『たたり』とかもそうなんだけど「その描写自体は怖くくないけど、その描写を可能にしたもの(作り手の「冷静さ」や、戦争体験等)は下手なホラー映画より怖い」という感じは、昔の映画を見てるとよくある。戦場で人殺したことあるスタッフとか普通にいたんろうなぁ… twitter.com/madanaizo/stat…
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以前中島先生と「なぜ本多猪四郎作品の銃撃場面は冴えないのか?」と話し合った結果、「なまじ戦争体験がある分「いざって時には銃は役に立たない」と知ってるからではないか。実はあれがリアルなんだよ」という結論に達した。実際本多も「実戦だと殆ど命中しない」と書いてます。
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前も書いたけど…先日「日本のストリートピアノは超絶テクニックの腕自慢ばっかり。曲芸みたいだ」みたいな記事が話題になった時、なんとなく「人々の思う「こういうのが凄い、上手い演奏だ」という時の「凄い、上手い」のイメージがどんどん貧困化してるんじゃないか…」と思ったんだよ。
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宇多丸さんが『神は見返りを求める』評で言った、「自分の人間的キャパを超えて“いい人”たろうとする、その危うさも描いてる」みたいな言葉が地味に刺さってる。歳を取ると「俺は自分が思うほど善人でも親切でもないから、そのキャパを見極めないと最後は自分も周囲も傷つくぞ」となることが増えるのよ
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最近の映画の悪党が美しくないのは、それを「悪」と認識してない(知識がない)か、或いは「悪」に耐えてない(「食ってく為には仕方ない!」「世界を変える為に仕方がない!」と言い訳してしまう)からだ。だから今こそ、主人公の前でべらべら計画を話す(止められるなら止めてみろ…と)悪党が必要だ
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「悪」は学のある人間がやればやるほど純度が高まると思う。言葉は悪いが、学のない人間なら「この人は何が善で、何が悪か判別がつかなかっただけだ」ともなりえる。007のジョーズとかはコレだな。でも、007のかつての悪党達はそれを悪と認識した上で、平然と乗り越えるから美しい。美しかった(過去形
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↓昔、松ちゃんが「子供をちゃんとやらないと、人は大人になれない」と書いてたのが、今も自分の中に地味に残っててさ。俺はボッチでロクな青春送ってない=子供をちゃんとやってない人間だけど、そういう奴が一発逆転狙って、いきなり「ちゃんとした大人」になろうとしてもダメよ、と言われてるようで
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↓昔、島田紳助が「浮気するなら三人以上の女としろ。二人だと罪悪感を感じるが、三人以上になるとワケわかんなくなって、逆に乗り切れる」と言ってたけど、それもこの「不倫や浮気は”相手を人間として見てないからもう1個欲しくなる”」説と通じてんだろうな。相手を人間として見ないためのアドバイス
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で、今はコミニュケーションがsns中心だからこそ、いかに自分で自分なりの「拘束具」を作るかが重要と思う。余談だが、俺は映画館が好きだが、それは映画館には「拘束具」の役割もあるからだ。拘束がなければ10分で見るのをやめる映画はザラだ。「この映画は見切った!」とね。そして結局自分が損する
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そうか。『トップガン』はMCUやウルトラマンと違って、誰もが「お前は何もわかってねぇなぁ、あの描写にはこういう文脈があるんだよ」とか「あそこは過去作のオマージュだよ!知らないの?」みたいなのに気兼ねしないで、のびのびと感想を言えるから盛り上がってる面もあるのか。勿論作品も傑作だけど
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宮崎駿が書いた『もののけ姫』企画書。よく「憎悪を描くが、それはもっと大切なものがある事を描くためでだ。呪縛を描くのは、解放の喜びを描くためだ」の部分が良くも悪くも議論になるけど、俺はやっぱりコレは言葉通りの捉えた方がいいと思う。呪縛のキツさを書けない人に、解放の喜びは書けないよ。
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多分、寅さんは当時の人達から見ても「普通に迷惑な人」に見えたと思うんだけど、同時に「この人はキャラを演じてるんだな。そうしないと人と関係な持てないんだな」ということは分かってて、そういう「生きて行く上でキャラを作る必要があった人」の哀しさみたいなものも理解してた気がするんだよね。
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SNS。「感想は自由でいいんだ」みたいな言葉が大好きなくせに、著名人に好きな作品が否定された時(「内容を誤解してる」とか「好きな人を馬鹿にしてる」みたいな内容の感想でもないのに)は袋叩きにする感じがスゲー嫌。結局は「”肯定的な感想なら”自由でいいんだ」ではないのか。