どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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坂本龍一が「いつ死ぬか分からない」という状態になった時、過去の作曲家が死ぬ前にどんな曲を作っていたかを調べた、という話が好きなんだよな。バッハは普通に「明日死ぬかも」と思いながら普通に曲を書いてた。ドビュッシーの遺作は、家に石炭を持ってきてくれた店のオヤジに感謝を表した小曲だった
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ASKAが初めて曲を作り始めた時に「ふうん、なんだ。このピアノの黒い部分を使えば「良い曲」ってのは簡単に書けるんだな」と思った…という話があるそうな。俺はここに天才の早熟さというより「脳のこの部分を弄ればね、何もなくても人は泣くんです」というマッドサイエンティストの不気味さを見る
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「ディストピアSFに出てくる悪(管理国家)はシステム構築がちゃんとしてる」という呟きを読んで何となく思ったが、日本的な「悪」をちゃんと描いた映画ってもしかしたら戦争モノ以上に『沈黙』じゃないかな。「この国は沼地 何を植えても根が腐る」という「何をしても自然に腐る」感じに言及した映画
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明治大正の小説を読むとよく「約束もしてないのに誰かを訪ねに行く」場面がよくある(で、「留守だ」と言われて帰っていく)が、みんな予告なしに会いに行くから、そこに世代が違う人や、新たな知人がいて世界が開けた…みたいな話を聞いて、ちとハッとしたり。今「知らない人」に会う機会、減ったなぁ
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『ナウシカ』制作時。巨神兵が王蟲を殺す場面で、宮崎が突然「俺には殺せない」と言い出し、作業がストップした。で、高畑勲が「王蟲なんて殺しゃあいいんだ!」と怒鳴ったら再開した…という有名な話。やっぱアレは重要だよ。映画作りには悪人がいるんだ。いや、悪に耐える精神を持った男がいるんだよ
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坂本龍一が「なぜあなたは曲を作るんですか?」と聞かれた時に「だって、インプットばかりしてると飽きちゃうし」と答えてたのが、地味に好きなのよ。いい答えだと思うけどなぁ。インプットに飽きたからアウトプット(作曲)する、っての。
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「ナチスもいいことをした」で盛り上がる度に「ナチス=絶対悪!」でやってた昔の娯楽映画は案外大人だったのかな、となる。昔の娯楽映画もそこまで単純に白黒分かれてたワケじゃない。でもナチは絶対悪だった。それは要は「世界は単純じゃないが、それでも許してはいけないものはある」ってことでしょ
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↓前も引用したんですが、「コミュニケーション能力によってスクールカーストが決まると思われがちだが、実際はカーストの上にいる生徒だけが意見を押し通すことを許容されてて、それを人々がコミュ力と勘違いしてきた」という説もあるワケですよ。この手の話はこのヘンも関係してるんじゃないかと思う
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「体系的に学んでないならそれは知識とは言わないよ」はそんなでもなかったけど、なんかの漫画で「アンタはずっとトリビアな知識を披露してるだけじゃないか。それは〝会話〟とは言わないよ」という台詞を読んだ時は死ぬほど刺さったよ。それが会話じゃないなら、私のような人間はどうすりゃいいんです
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夏目漱石とか、初対面の人にも「お世辞も言わないし、愛嬌もない。なのに話していて感じがいいのが妙だ」と不思議がられたと言うからな。最後は「腹が立った時は、漱石のとこへ行けばなんとかる」と思われてたらしい。お世辞も言わないし、愛嬌もないのに好かれるとか理想じゃないか。俺もこうなりたい
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オウムに関しては「アレは宗教と言うより会社だ」と書いた橋本治の指摘が好きだな。麻原の会社は、会社社会に適合出来ない人に対して「君にもやりがいのある人生を!」と訴える、経営基盤がいかがわしい会社だった。誰もそれに気づかなかったのは、日本が「会社」を中心にした宗教社会だから…という。
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それはそれとして、昔(ゴミみたいな)卒論の口頭試問の時、自虐ネタ連発してヘラヘラしてたら、先生に「なんだろう…きみ、とりあえず頭を下げておけばこの場をきり抜けられると思ってない?単位がもらえると思ってない?」と怒られたのがトラウマになってるので、人前では自虐ネタやらんことにしてる
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あと「曲は知らないし、良さも分からないけど、鳴ってる音だけで満足した」って、すげー純粋に「音楽」って感じ。音楽、本来はこれくらい力があるもんよね。曲の良さが分からなくても、音、演奏だけで充分人を惹きつける。物語は理解できんけど、細部の魅力にひかれて最後まで見た映画、みたいなもんか
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「映画や本に触れた時、特に感想が出てこない。でも他人の感想を読むと何か言いたくなる人」は結構多いのと思う。あんま指摘されないけど、多くの人にとって「面白い、つまらん」以上の感想を言うのは難しくて、誰かの感想という形で「この線で語れば〇」という補助が与えられることで初めて色々語れる
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塩田監督が「寅さんは「寅さん」というキャラを演じてる。そのキャラを演じないと世間と関係を持てない人だ。でも女性と真剣に向き合おうとした時に、キャラが壊れそうになる(でも壊せない)瞬間があって、それが悲しい」と評したのを「寅さんは今の視点で見るとありえない」と議論になる度に思い出す
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前も書いたけど…アジアの葬儀で「泣き女」ってのがいるでしょ?アレ、よく「意味わからん」的にバカにされるけど、実は結構合理的なものらしくてさ。要は泣き女が遺族の代わりにワンワン泣いて、悲しんでくれるから、遺族は安心して「遺産をどう分けるか…」みたいなダーティーな話も出来るんだとか。
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陰謀論とは違うが、俺は子供の頃「ナチスがUFOを作っていた!」という話が好きだったんだよね。嘘でも物語として面白いと思ってた。でも、後でそれはネオナチが流したもの(ナチスは凄い!と言ったら叩かれるが、UFOの話だと皆面白がる)と知って驚いた。以来気楽にこの手の話を楽しめなくなった
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SNSで定期的に話題になるネタだが、そろそろ淀川長治の酷評をまとめた『本当はコワい 淀川長治』的な本をどこかが出すべきだと思う。「他人の好きを否定してはいけない」という風潮が強い昨今だからこそ、どんな映画も褒めると誤解(?)されている淀川の映画酷評本を出すことに意義があると思うのだ
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「〝合わない人はすぐ切る〟は相手を信じて待つことが出来なくなるから孤立する」もコレと同じと思うんだ。どんなに頭が良くても、人間の頭の良さなんてたかがしれてる。頭の良さで他人を即座に理解することはできない。だからある種の不快さに逆らって、自分をその場に「拘束する」のが重要だ、という
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丸山眞男が「現実は与えられたものであると当時に、日々造られていくものだ。だが現実主義者は与えられた現実のみを「現実」と考え、造られつつある変革という「現実」を無視する為、結果的に支配権力の政治を「現実」的だと追認正当化するだけに終わる」と書いてるの、本当に重要だと思うので貼っとく
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その光景見た時「あ、やっぱ車椅子の人は普段映画を見る時は色々我慢してるんだ」と思った(TOHO系だと、毎回前方の席で映画見ないといけないから辛そう。絶対首が痛くなる)。そして、誰もいない映画館で、今まで「我慢」してきた彼らが我が物顔して映画を見てる光景を想像して、愉快な気持ちになった
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前、福田和也が「今の若い人はPCで論文を書くんでしょ。で、PCの中にエロ画像とかいっぱいある。エロと同じ場所で文章が書ける感覚が分かんないんだよ。俺、机の上を片付けてからでないと文章書けない」と言ってて、軽く衝撃を受けたな。俺達には「エロと同じ場所で文章書くのは嫌」という感覚すらない
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実際にこういうことはよくあるんだろう。或いは「俺、このキャラ嫌い」を「リアリティがない」と言い換えてるとか。しかし、先生も書いているが、これは大変ケシカラン表現と思う。「お前の存在はリアリティがない」と言うのと同じだからだ。下手や嫌いの方がいい。この話は今の方がよくわかる気がする
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「オタクは陰謀論にハマらない」でも「オタクは経済を回してる」でもいいが、好きで作品を見てるだけ(特に努力なんかしてない)なのに、そこに「だから偉いんだ、凄いんだ」というものまで引き出そうとする根性がコスいと思う。自己啓発っぽいよな、ありのままの貴方が一番(既に)最高!って感じの。
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頭の良い人は「こんなことはやってても無駄」とすぐ分かっちゃう。分かっちゃうから「無駄なこと」をするのが苦痛になる。でも人付き合いは「無駄なこと」の連続だし、なんなら世界は「無駄」で出来てるじゃないか。そこに豊かさがあるじゃないか。その「無駄なことをしてる苦痛」の先に信頼があるんだ