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コレは私の観測範囲内なんだけど、オッサンがネトウヨになるとか、陰謀論にハマるとかしても、オッサンが抱えてる仕事の問題が解決すれば、あっさりフツーに戻ることがあるんだよ。多分それは仕事のストレスとか、そういうのがハマる要因としてあって、オッサンの本質?とは関係ないものだったんだな。
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どんな話をしても「結局は人それぞれさ」と言う奴がいるが、「人それぞれ」は話の出発点であって、ゴールじゃない(議論の途中で「人それぞれ」と言うと話が全部終わる)。違いがあるとはいえ同じ人間なんだ。「この点はやっぱり俺が正しい」「ここはお前に見習う点がある」と確認するのが大人だろう。
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シネコンでかかってる日本映画は、毎回こっちが忖度しないと楽しめない(この映画にこのレベルのリアルさや、気遣いを求めてはダメ!とか)。忖度すれば、どれもそれなりに楽しめる。要はツマル、ツマランは「自分がどの程度のものを求めるか」で決まる。『トップガン』は忖度なしで見れたからよかった
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トップガン。一本道のストーリーだから、客がいつトイレに行ってもいい(トイレに行っても物語を見失わない)のもイイと思う。娯楽映画はかくあるべきですよ。「全場面全画面、目を凝らさずに見ろ!」なんて、作り手の傲慢ですよ。
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ちなみに例の「倍速視聴」の話。俺は倍速視聴する人達がスゲー嫌なのだが、もしそれが「俺は映画の見方が分からないのだ。楽しみかたが分からない。でも倍速なら楽しめる」というものであれば、一回考え直した方がいいかな、とも思ってる。(手っ取り早く情報が得たいだけの人は知らん!)
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だから撃たれて死んだ後の描写は上手いって言うね。ほら、みんな、大好き『モスラ』のネルソン射殺後の描写とか。
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学生時代から「フジロック行く奴はそのためにハードなバイトしたり、キャンプ道具買ったりと、ガッツあるな」と、素直にスゲーと思ってたので、なんでSNSだとコスられがちなんか、よう分からんとこある。「面倒だからサマソニでいいや(失礼)」タイプからしたら「真の好き者は違うなぁ」となったけど
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ツイッターは文系(NOT体育会系)が集まる場所。言葉を使うのが上手い奴が尊敬される場所だから、「言葉の暴力」の怖さ、厭らしさが見逃され過ぎと思う(言葉を上手く使えない人に対する見下しがマジで酷い)。で、言葉も暴力であることを隠して、体育会系の人物を「暴力はケシカラン!」と言葉で叩く
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それはそれとして。人々が事故現場をスマホで撮るのは「お祓い」の一種ではないか。或いは人々は「悲惨な現実」をスマホ画像のドットに分解する=単なる「情報」に堕とすことで対処してるのではないか、という人がいて、コレは結構好きな見方である。春日武彦先生だけど。
twitter.com/madanaizo/stat…
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そういう人に「これはここを押さえれば楽しめるんだ。”その程度のもの”だ」とやることは意味があると思うし、また映画・小説好きもある種の「無邪気さ」を反省するいい機会になると思うの。
どのみち「読む」より「書く」方が大事…という考えにはどっか穴があるに違いない
twitter.com/madanaizo/stat…
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現実の特徴は「つまらなくて、無駄に長い」なので、映画がシリーズ化されたり、ドラマ化されたりすると、それだけで現実に似てしまう(無駄に長い、の部分)からマイナス。
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「みなさんが映画を見ていると思う時には、映画を見るのではなく、自分自身を見ているのです…映画を見るというのは非常に稀なのです」とね。
この前Kindleunlimitedでよんだ柳下さんの本に引用されてたペドロ・コスタの言葉。さすが、いいこと言うね。私のTLだとこっちの方が支持されそう。