どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「殺される覚悟がある奴だけが”戦争反対!”って言えよ」という奴がツイッターにも山ほどいるんだから、そりゃ、橋下さんの言説がウケるワケですな、とは思うよ。実際。みんな、もっとテキトーに「争いごとは嫌でござる」と言っていいんやで。
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あといくら「面白い」って言っても、映画なんて「この映画にこのレベルのリアルさや、気遣いを求めてはダメ!」と、自分が映画に求めるものを低く=忖度すれば、どれも楽しめるよ。でもそういう時に『トップガン』とか見ると気づいちゃうじゃないか。「俺は無理をしていた」と twitter.com/madanaizo/stat…
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依存症の人の回復には「自分の言葉で話せるようになる」もあるらしい。依存症の人はいつも「母が…彼が…」とやってて「自分が!」とやれないから。で、そのためにはグチも結構有効らしいのだ。グチを繰り返す内に自分の中の問題(死にたい)が解けることもあると。今こそグチを復権させようじゃないか
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正直Twitterにコミュニケーションを求めてないので、最近の「スペース利用してみようや!このアカ、アンタと気が合いそうやで!」的なノリで「他人と繋がること」を押してくる感じが凄く嫌だ。世の中には「ちょっとした考察や、偶々耳にした面白話を披露したい」という理由でSNSをやってる奴もいるんだ
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「30過ぎたると感性が衰える」とかじゃなく、今の社会で「社会集団の一員となろうとする若い時期」は十代から二十代くらいでしょ。オッサンは既にある集団の一員となってるなら、自然に音楽を聴かなくなる面もあんじゃない? で、SNSのボンクラ達は30過ぎても居場所がないから、今も新しい音楽を…
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『マトリックス』だと人間は機械の養分になってて、機械たちは人間から効率よく電気を得るためには、人間に夢を見させているのだった。ある小説家も書いていたが、今のSNSを見ると「マジでそのまんまじゃないか」と思う。俺達の感情を食って、ツイッター社が生きている。生きてるのはツイッターの方だ
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ツイッター。俺みたいに「体系的な知識は持ってないし、専門的な勉強もしてないけど、少しだけ持ってる小難しい知識を披露したい。半端な存在のまま難しい議論にいっちょかみしたい」人間には凄くイイ場所だったんだよね。もし、今後ツイッターに変わる新しいSNSが出来ても、この感じは消える気がする
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うろ覚えだけど、黒沢清監督が「映画学校で出来のいい生徒がいると、つい「うちの現場に来ない?」と誘いたくなってしまうが、それは生徒を使える労働力として見る発想だから、絶対良くないんだ」みたいなこと言ってて。やっぱ大事よね。こういう「けじめ」みたいなの。
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世の中には「お互いに好感を持ってるけど、この関係を”友達”と呼ぶと何かが失われてしまう」とか「ソレには好意を持っているが”好き”というと、ちょっと違うものになってしまう」という、微妙な物事も沢山あると思うのだ。で、感情が商売の道具になる昨今。私はこの「微妙さ」こそを保護&擁護したい。
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0から1を作るのは難しい。しかし、既にある1から2を作るのはそう難しくないんだ。時に(誰かの作った)1から2を作った人のツイートの方がウケるときがある(俺なんかはコレだ)。でも、本当に偉いのは0から1を作った人達なんだよ。
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(定期)今の特撮映画に必要なのは「我々には何もわからないよ」と言ってるだけなのに、何故か妙にカッコよく、見てる方も「そうだ、この「わからない」という謙虚な態度こそ、怪獣映画においては正解だ」と不思議な説得力を感じてしまう「平田昭彦”力”」だ。コレさえあれば演技力なんか問題じゃない。
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『SPY×FAMILY』「面白い」を目指した作品というよりは、「平均的読者&視聴者が絶対不快にならない作品、平均的読者&視聴者が想定する「面白さ」の範囲を決して超えない…でも、その範囲内は完璧な演出を目指した作品」な気がする。だから普通の「面白い・ツマラン」の基準がイマイチ当て嵌まらん気が
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↓好きなことを持続するコツは「あまり好きにならないこと」と関係あるか分からんが、友人関係なんかも「入学式で偶然隣の席にいた奴」とかが一番続いたりするじゃないか。「好き」というのはそんな重要なもんではないかも、とは思う。「なんでコレ続けてるんだっけ?」となる物事や関係が一番深い気が
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俺としてはかなり直な下ネタ(に関する)ツイートをしたつもりなんだけど、文章が下手すぎて「なんかいいことを言ってる風のツイート」になってしまった。こんなにのびていいのだろうか。俺的には「リョナ絵はちょっと下手な方がいいネ。ヘタにうまいと逆にヌケねぇよ」みたいな話をしてるんですよ?
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30代前半までは「学校帰りによく行った店」とかが取り壊されても平気だった。でも最近は恐ろしい。多分昔は「別の場所で思い出を増やせばいい」「生きていれば自然に思い出は増える」と思い込んでたから、別に怖くなかったんだ。でも40に近づいて「もう思い出は増えない」と悟るとね、変わる。ホント
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今は色々ウルさいからな。ある種の「悪」に耐える精神力が監督には必須なんだよ。きっと(もっとも昔はソレは悪でもなんどもなかっただろうが)。高畑&宮崎にはその精神力がある。多分庵野監督にもある。で、SNSで聖人っぷりが話題の黒沢清監督も、コレに関しては平気で「悪人」になれると信じるよ。
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「俺はブサイクだからモテないんだ」ということにしておけば、自分の性格の悪さとか頭の悪さとかセンスの悪さとかか…その他諸々の自分の負の部分と向き合うことから免除されるんだから、あんまり虐めてやるな、と思う。当人が「俺はブサイクだからモテない」と思うことで救われてる部分だってあるんだ
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思い出し怒りのついでに書くが、昔相互と「本は自分で自分を焦らす時間も楽しい。いざクライマックス!という時に、わざとコーヒーいれたり、ベスト体調にするため(という言い訳で)トイレ行ったり…それも読書の楽しみ」と会話してた時に、「本を読めるのがそんなに偉いの?」とリプしてきた奴。○ね
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日本映画。別に質が低いとは思わないが、「面白い」の種類が五つくらいしかないんじゃないか…とは感じる事はある。そこを打ち破るためにも、かつて黒澤がシェイクスピアとかドストエフスキーをやったノリで、海外の古典や、数十年前の漫画を映画化するのはアリと思う。別のタイプの「面白い」が欲しい
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俺も震災の映像を見てもヘラヘラするタチだが、同時にそのことを後ろめたくも思っている。そういう人は案外多いだろう。だから、そんな彼彼女のために「震災の映像を見て人が泣く場面があるドラマ」を作るのだ…とかも、あるのかもしれない。
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今は「見る、読む」より「書く、作る」方が高級な行為だ。読む奴より、書く奴の方が偉いんだ。という考えが主流でしょ。でも俺は「見る、読む」の方が偉い。「山」の模造品が作れる奴より、「山の美しさ」が見える奴の方が凄い。そういう感性を鍛えるために芸術はある、という考えがあってもいいと思う
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「己のナイーブさを他人を叩く根拠にしてはいけない。」というか、彼彼女が他人を叩く時だけ、積極的に「ナイーブな僕」「傷ついたオレ」を狙いに行ってるのが、なんか腹立たしいんですよ。いや、腹立たしいというか、白々しい。「ナイーブ」な奴がそんなやたらめったら他人にウザ絡みするはずないだろ
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でも、映画って実は「普通の動作を俳優が洗練させて見せること」で成立してるからね。その意味では彼こそが映画だ。だって「睨む」だけだぞ!俺でも同じことはできるのに!
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一緒にいた人が明らかにムッとしてたのがよかったな。「俺はその程度の理解しかしてない奴とは話をしない」という顔をしてた。色々言われるが、人は好きな映画を「その程度の理解」で貶されるのは嫌なんだよ。そう考えるとやっぱりSNSは悪くないな。批判するにしても、もちっと気合い入った奴がいるし
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加藤典洋が「世の中には「分かる、分からない」の他に「俺にはどうでもいい」という立場もあるんだ。それも凄く重要なんだ。だから「分からない」時に「俺は頭が悪いから、分からないんだ…」と思わないようにしろ。それこそが頭の悪い考え方だから」と書いてて、これは本当にそうなんだろうな、と思う