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いいアウトプットする技術があるなら、いいインプットする技術もある、というね。
で、この「昔は自分も(名作)小説が読めなかったが、”面白く小説を読むコツ”を理解したら読めるようになった」「自分はその面白く「読む」ための技術を伝えるたい」という考え方。俺は今凄く重要だと思うんだよね。
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↓「芸術に触れていれば「感動」がどういうものかわかるようになる。感動わかれば、感動と興奮の違いもわかるようになり、感動と興奮を取り違えることもなくなる」云々は、とても良い指摘と思う。感動した経験が少ない人は、興奮を感動と錯覚するから、ヘイトデモなんかに生きがいを見出しちゃうんだと
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『オタク女子』「なんか楽しそうだし、面白そうだからやってみる」みたいな言葉が何度か出るんだけど…俺はこの「楽しそうだから、まずはやってみよう」から始めて、どこまでいけるか。或いは「楽しそう」から始めて、どこまで人は立派になれるかを「芸術家」に示して欲しいと思ってたんだよね。昔は。
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「貴方の感想ですよね?」論法を有難がっていたら、何のことはない。トマトや、SNS上の「正解」を参照しないと「感想すら言えない奴が増えた」ということなのではないか。これはひろゆきが云々で済ませて良い問題ではない。つまりは「俺はこう思った、感じた」すら言えない奴が出てきた、ということよ
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チェンソーマンの「胸揉みたい」話。尾崎豊の盗んだバイクの歌と同じ、急速に「触れた瞬間に炎上するネタ」になりつつある気がする。「〝あの歌は盗まれた側が気になるから〜〟は分かるけど、〝盗まれた側のことしか考えたくない。盗んだ奴の気持ちとか知るか!〟はマズいよ」と言ったら炎上するアレ…
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押井守の「日本人にSF映画は作れない。客は”非日常”を求めているのに、日本人俳優を見た瞬間に”日常”に戻されるから」発言が、宮崎駿の「日本人はわざわざデカイ画面で日本人を見たいと思ってない」発言が思い出される。結局日本人にとって実写映画は「(金を払うに値しない)日常の延長」ではないか
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まぁ、小説は兎も角。
先日『ゴッドファーザー』4K版を映画館で見たよ。俺はアレ、実に退屈な映画だと思うんだな。大して面白い映画じゃないんだ。でも最後まで見るとまた最初から見たくなる。あの感じを味わいたくなる。やっぱりそれはあの作品自体が一つの「異世界」だったからだと思うよ。
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そして、何が悲しくて、自分で「俺はこのくらいしかいい奴じゃない、親切じゃない。つまりは”この程度の人間”だ」をチェックせにゃならんのだ、となるんだよ。でも、今までずっと子供をやってた中年が歳を取るってのはこういうことらしいぞ。この手の作業をさぼらずにやることらしいぞ。ちくしょうめ。
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カメラがどんどん逃げちゃうんだ、っていう。
あと、なんかの時に「映画作りは編集が一番楽しい」とか「編集が一番大事」とも言っていたので「撮れた映像」にそんなに重点を置いてない…というのもあるのかもしんない。
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「”あの作品はエロくない!”と否定するのではなく、”エロいよ。それの何が悪い?”と言うべき」という話。ちょくちょく目にするのに、まったく流行らない。なぜなのかしら。やっぱりみんな、心のどこかで「エロ」が後ろめたいのだろうか。自分の好きな作品はもう少し高級なものがあってほしい、みたいな
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以前、介護の仕事に従事している相互氏が「自分は持病持ちで、自分の精神&肉体的健康が一番大事だから、成長欲望は少ないのだ」と呟いていた。多分氏のまわりにも同じ考えの人は多いのだろう。その人達から見ればSNS上の「健康な人」が持つ「何者かになりたい」欲望は、暴力的なものに見えるとは思う
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世の中には「お互いに好感を持ってるけど、この関係を”友達”と呼ぶと何かが失われてしまう」みたいな、凄く微妙な感情も多々あると思うのだが、もしかしたら「推し」なるものは、そういう微妙な感情を…相手と人間関係を築くことを放棄する代わりに…微妙なまま昇華させてくれるものなのかもしれない。
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大抵の人は自分が思うほど「自由な解釈」なんか好きじゃないと思う。大抵の人は権威が好き(巨匠って一つの権威でしょう?)。「正解」が好き(というか「間違ってるかもしれないこと」を言うのが嫌い)。「自由な解釈」という「正解」を賛美するのが好きで、実際に「自由な解釈」をするのは嫌いだろう
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前も書いたけど、数年前飲み会で「最近の韓国は映画も音楽も凄い」という話が出た時、一緒にいたオッサンが「韓国は国が作り手に金を出してるから(ニヤニヤ」と言ったことがあったんだ。このニヤニヤが不思議だったんだが、多分彼の中で「自分の力だけで成功する者こそ本物」的な発想があったんだろう
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ラジオのCMで「ウチの唐揚げは美味しいですよ!ウチの鶏はストレスを感じないで育ったから!」みたいなのが流れてた。お前らにストレスを感じさせないのは、俺達に美味く食われるため、とね。最近社会でやたら言われる「ストレスは良くない、ストレス減らそう」みたいなのも、基本これと同じではないか
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今のSNSは「私は傷ついた!俺も傷ついた!」という叫びに溢れてる。若い人なんかは「よく分からんが、〝傷つく〟というのは元の自分に戻れなくなる程、恐ろしい経験なんだな…俺は絶対〝傷つかない、傷つけない生き方〟をするぞ!」とか思うんじゃないかな。どうも「傷つく」が過大評価?されてる気が
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ここからは俺の考えだけど、世間には案外「小説や映画の楽しみ方が分からない」という人は多いと思う。どうやって楽しめばいいか分からない人がね。そういう人に「このコツを押さえれば楽しめるよ」と教えることには大事だと思うんだよ。でもそれは「そうしたら貴方の世界が広くなるから」とかじゃない
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成田悠輔氏は批判されるが、氏が「僕の動画を見てる人は内容に興味ない。僕がイイ感じの声でハキハキ話せば深いことを言ってると思うんだ」みたいなことを言ってたのは面白かった。先日地元で政治家の演説聞いた時も思ったが、多くの人は内容は興味ないんだ。偉い人がハキハキ何か喋る。それで充分なの
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あと、谷川俊太郎の詩を載せた教科書を「ひらがなが多いから確かに子供でも読める。でも内容は明らかに大人にならないと理解できないものだ。それを「子供でも読めそう」とホイホイ載せるから、「詩=わからん=俺には必要ない」という奴が増えるんだ」と批判してる人がいて、コレも一理あるよなぁ、と
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これは演奏ではなく、歌が上手いという時の「上手い」にも当て嵌まるんではないかな。で、稲葉さんのTHE FIRST TAKEが話題になったけど、どうしてもファンも「あの歳でも高音がちゃんと出て凄い」みたいな感じで褒めちゃう。ソレも確かに凄いんだが、もう少し別方面から「だから凄い」がやれんかな、と
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俺は芸術家の役割の一つに「”こんなふざけた人間が世の中にいていいのか””こんなにふざけてるのに破綻なく暮らしていけるのか”を、作品や生き方で示す」があると思うんだけど、本作や『また沼で溺れてみたけれども』を読むと「今は女性のオタクの方がよっぽど”芸術家”っぽいよなぁ」とは感じなくもない
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「この世には理由のない優しさも存在するのに、一部の男達はソレが理解出来なくて、「優しくしてきた=俺のが好きなんだ!」と思ってしまう」という話。何となく「マニアは”意味のない会話”に耐えられない」的なのを連想しなくもない。世間一般では会話の内容より、会話したという事実の方が大事なのに
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何がヤバイって、反論の内容が「いや、ウチはちゃんと働いた分の報酬は出してる!想像でモノを言うな!」じゃなくて、「生徒のためになってるんだ!物事は単純じゃないんだ!」だったからね。それを何度も繰り返してる。正直怖かったよ。
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どうも「高い声が出るから凄い」というのは褒め方としては、あんまり立派なもんじゃない気がするんだよ。では、どうすれば?と言われても俺にもわからん。ファンの俺にもわからん。こういう時「やっぱり、批評は必要ですよ」となるな…