どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(リツイート順)

276
その話があったから、坂本が最後にどんな曲を書いたかが気になってるんだよな。一応「ある学校の校歌」が遺作らしいんだけど、俺は本当は何か別にあると思う。ドビュッシーよろしく、個人的になかよくなった看護師さんとか、或いは近所のオッサンとかに、凄くシンプルな曲を書いたりしたんじゃないか…
277
「最近ネトフリ映画を見てて、序盤からテンポよく進んでたりすると、あー、こうやって俺を飽きさせないようにしてるんだな、とか思って変に醒めるときがある」「映画はもっと堂々としてたらええんや」という相互氏の名言が消えとるやないか。
278
が、しかし。しかしだよ。でも不幸に関しては絶対米津より、俺の方が馴染のある感情のはずなのだ。なるほど、米津には米津なりの不幸があるだろう。だが、それでも明日の生活にも困る俺の方が不幸の”量”は多いはずだ。それが量に換算できるなら、だが。にも拘わらず、彼の「不幸」な歌は俺の胸をうつ。
279
↓推しブームだからか、「好き」に関する分析や批評は増えたけど、案外「楽しい」というものに関する言説は少ない気がする。でも俺はこっちの方が重要だと思うんだよ。「楽しい」は時に嫌いなもの相手(事務作業とか)でも可能だから。だから「あ、こういうのも〝楽しい〟か」となる言葉が増えていいよ
280
修学旅行中の学生が美術館の芸術品を壊した事件。あの時「”その気になれば簡単に破壊できる”危うさがあるからこそ、芸術は魅力的なのだ」と言った人がいて、なるほどと思った記憶がある。よく話題になる「演劇が怖くて見れない。俺が叫んだら一瞬で台無しになる事実に耐えられない」も似たようなもんだ
281
ナンシー関を読んでいたら、1996年アトランタオリンピックの時期に、彼女が「TVがやたらと〝感動〟を叫んでるのは何だ?」と書いた文章が載ってた。多分この頃からスポーツ関連の番組で「感動」を強調するやり方が始まったんだろう。最後の「感動」も新たな抑圧にしか思えないが、という指摘が流石だ。
282
やっぱ人間弱いからな。作ってる時「悪人も悪気はなかったんだし、もっと人間らしい面も…」とか「うーん。確かにそうしたら盛り上がるけど、別にそこまで主人公が酷い目にあわなくても…」とかヌルいこと思っちゃうんだよ。そこで「悪人」が来て、ちゃんと「殺せ!」と言うことで映画が面白くなるのだ
283
どうも最近は映画や音楽聴くよりも、近所の川の流れをじいっと見てる方が満足度が高くてイカンな。川の流れの方がフィクションより面白いと感じてしまう。いや、実際大したもんですよ。自然の動きは。俺、死ぬのかな。
284
以前「映画学校〇〇は”生徒に映画の作り方を教えます!”と言いつつ、実際は「映画を作る金がないから”映画の作り方を教える”と称して、生徒をスタッフとしてこき使う場所だった」みたいなのがあるんじゃないかと不安だ…」と呟いたら、関係者から長文の反論リプライが来て「こりゃヤバいな」と思ったよ
285
宮崎駿監督が何かで「結末は想像にお任せします」的な物語を「金払ってるんだぞ。まずはお前の考えを聞かせろよ」と批判していたのを思い出す。本当だよ。まずはお前の結論を出せ(主人公は復讐しに行ったか?それともやめたか?貴方の想像次第!)。それを出した上で「アリかナシか」を客が考えるんだ
286
SNSでも実生活でも同じと思うが…他人に攻撃的な人に限って、ちょっと皮肉を言われただけでブチ切れる傾向ある気がする。「普段あれだけ他人をやっつけてんだから、それくらい受け入れろよ。なに被害者ヅラしてるんだ」と思うが、本当は逆なんだろう。普段から被害者意識が強すぎるから、攻撃的なんだ
287
小林秀雄が講演で学生に「僕は今理想がない。先生は若い頃理想があったか?」と聞かれた時、「なかった。左翼運動もウサン臭く思ってた。僕は家族を養うために若い頃から文章を書き殴ってた。でも書くうちに”もう少し上手く書きたい”という欲が出た。その欲に応えている内にこうなった」と答えてたな。
288
↓中島らもが落語に関して面白いこと書いててさ。「古典落語はネタが二百本くらいしかない。だから客は寄席に足を運ぶ内に、必ず”コレ、前も聴いた!”となる。するとどうなるか?全ての客が自然に「評論家」になってしまうのだ」っていう。俺はこの評論家に「なってしまう」という表現が重要と思うのだ
289
大谷、野球のルールを全くしらないウチの母親でさえ「姿を見るだけで元気がもらえる」みたいなこと言ってるのが凄いな。殆ど神様みたいなもんじゃん。多分、キリストとかお釈迦様もこんな感じだったんだよ。「正直何を言ってるかサッパリ分からんが、その姿を見るだけで癒された。救われた」みたいなさ
290
小説とか、映画を好んでいる人は「人間というのはもっと複雑なはずだ。複雑なのが人間のはずだ」という思い込みがあるので、実際の事件で人間の信じられない薄っぺらさが露わになった時に、逆に戸惑う…という現象がある気がする。マニアよ。世界の複雑さとやらに耐える前に、世界の単純さに耐えるのだ
291
↓前「外国語を勉強したことで、日本語の文章がより正確に「読める」ようになった。文章を読むことは皆が思うほど簡単じゃない」という話題があったけど、アレは結構わかると言うか。変な話だけど、文章だけでなく、映画なんかも英語を勉強していた時が一番見れてた。正確に内容を理解していた気がする
292
『トップ・ガン』見た人がみんな「同じような言葉で、同じようなポイント」を褒めてるのがスゴい。コレだけ「独自の考察」や「解釈」を披露するのが流行ってる時代で、みんなが同じこと言ってる。コレはやっぱ作品の力よ。作品がみんなに「おなじこと」を言わせてるんだ。滅多にないことなんだよ、コレ twitter.com/madanaizo/stat…
293
以前、ある映画評論家が「僕は良い映画を見た後は何故か電車に乗れない。必ず歩いて帰る」と言っていた。私は彼の気持ちが分かる気がする。良い映画を見た後に、電車で見知らぬ他人と一緒に同じリズムで揺られるのはカナワン。こういう時は自分のリズムで映画を反芻し、考えたいのだ…ということだろう
294
SNSは定期的にサイゼにケチつけて炎上する人がいるが…最近ケチをつける人の気持ちもちょっと分かって来たよ。サイゼ(的なもの)に何の罪もないが、時々「たしかに安くてそこそこ上手い…でも豊かさってこれだけなのか」という気がしてくるんだ。今はこの「安くて上手い」しか手に入る「豊さ」がない
295
コレもなんかで話してたけど、淀川長治に自分の映画を見せると、そういう「ここはもう”この程度”でいいか…」的に撮った場面が全部バレるらしい。「淀川が〇〇をこう酷評をした」みたいな話よりも、こういう話の方がよっぽど「淀川、怖い…」と思う。
296
↓ボブ・ディランが面白いことを書いてたよ。今スマホで『サンセット大通り』を見ると、この台詞が皮肉で笑えて来るって。確かに映画は「小さく」なった。ノーランが撮影で本物を飛行機壊したりするのは、迫力を出すためなんかではなく、太古に滅んだ「大きな映画」を蘇らすための呪術行為に違いない…
297
『トップガン』後半に思いっきり、コレがあったな。映画の方から観客へ向けて「俺達と共犯にならないか?だって、たとえ嘘であっても、もう一度トムが~~するとこを見たいでしょ?」と語りかけてくる感じがあった。そして多くの観客が「うん!」と同意して、トムはソレをやってしまった。実に「映画」 twitter.com/madanaizo/stat…
298
三島由紀夫が「自虐とは自分の欠点を真っ先に自分が指摘することで「分かってます!分かってるから、この欠点に関してはどうか穏便に…」とやる処世術だが、他人は自分が思うほど自分に関心ないから、単に「アイツのここは叩いていいらしいぞ!」の合図になって、フルボッコされて終わる」と書いてたよ
299
「最近のアニメオタクは保守的だ!」ではなく、単純に「アニメ自体が今やオッサン・オバサンの趣味になっている」「アニメは今や中年向けの商売になっている」ということなのかもしれない。「最近は昔のアニメのリメイクばかり!」という不満も、案外「見る奴の大半は中年だから」が答えだったりして
300
落ち込んでる人が「励まされたくない。邪悪な気持ちのままでいさせてほしい」と言うのと、映画好きが「良い映画を見た後は何故か電車に乗れない。必ず歩いて帰る」と言うのは、基本的に似たような心の動きだろうと思ってる。他人に邪魔されずに、自分の感情と向き合いたい感覚。