どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(リツイート順)

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家族だって、生活に余裕があるから「父親」だの「母親」だの「息子」だのいう「役割」を演じることが出来るんだ。金がなくなれば…「役割」を演じることが出来なくなれば、室内に「不機嫌そうな中年」「生意気なガキ」という生身の人間がいがみ合ってるの状態になる。それはとても耐えがたいもんなんだ
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「映画も最近は全てを台詞で説明されないと理解できない客が多い。比喩としてのアスペルガーが増えたからだ。彼らは空気を読んだりするのが苦手だから」という話が出た時、アスペルガー症候群の方が書いた「映画は全てに意味があるから落ち着く」という文章を思い出していた。障害にだって色々あるわな
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3週間前は「原作者が関わってるからって、アニメ版チェンソーマンが「正しい」ってワケじゃない」と呟いた相互氏が叩かれたのに、最近は「アニメ版監督は原作を理解してない」という空気になってる。そして今度はSLAM DUNK原作者が批判されてる。俺には何が何だかわからねぇ。原作(者)とは何なんだ。
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逆に言えば、昭和期はテキトーに演技してる俳優にとっても…本多に失礼だな…ゴジラ(に象徴される何か)は当たり前のものとしてそこにあった、だから「リアルな演技をしよう」と不必要に気張る必要なかったということになる。こう考えると、ゴジラ=戦死者亡霊説みたいなのも、そうバカにできん…?
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ちなみにサルトルの「飢えた子供の前で文学は有効か?」に関しては、中島梓がコレに嚙みついた文章が好きですね。実際子供は食事ばかりに飢えるんじゃない。「ここではない、どこか別の世界の物語や価値観、知識」に飢えることもあるよ。自分もそうだった。子供の頃の自分は本を食って生きていたと思う
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「藤木タツキや野田サトルの漫画は映画を参考にしてる」というより、「(日本)映画は今やそれ自体で進化するのをやめた。映画は面白い漫画やゲーム等を作るための”参照元”に堕ちてる」が本当だと思う。そしてその堕ちた(日本)映画界が、かつての日本映画を参考に作った漫画を映画化する…というがね
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現代人のあかんところは、「アレは文体模倣ごっこだ。小林秀雄ごっこだ」的な悪口は上手いくせに、基本の基本「人は誰かの真似をしながら、自分がカッコいいと思う人の真似をしながら、自分のスタイルを作るものだ」という発想をすぐ忘れることですよ。そして「自分のスタイルを作る」必要性すら忘れる
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ツイッター。俺みたいに「体系的な知識はないし、専門的な勉強もしてない。でも少しだけ持ってるトリビアな知識を披露したい」「半端な存在のまま難しい議論にいっちょかみしたい」「でもブログとか書くのはメンドクサイ」という人間には最適な場所なのよね。そのダメ人間の半端さを許す感じを守りたい
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あと北野武。インタビューで「大学の頃、ジャズか映画に進もうかと考えたが勇気がなくて逃げた」と言ってたことも印象に残っててさ。あれだけ文化的なものに憧れてて、実際に映画の才能もある人が「勇気がない」と言う。つまりは「俺が如きが関わっていいのか…」と映画や文化を「畏れた」ワケでしょ。
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「小説の文章を頭で映像化しないで読む人」どころか、「内容を理解してないけど、問題なく楽しめる人」も多いと思うよ。ほとんど、洋楽と同じだよ。歌詞は分かんないけど、なんかええ感じの言葉がテンポよく並んでるから、それのノセられるだけで十分キモちいいんだ…みたいな。
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「お前なんか生きようが死のうがどうでもイイよ。数のうちに入ってないから」という、誰かの声に抗い続けるのが、中年が生きるってことなんですよ。たぶん。
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こんだけ『タコピー』に関する「考察」が溢れてるのに、一方で「批評は嫌い」みたいなのがある。これは一体どういうことなのか。彼彼女の中でこの二つはどう区別されてんだろうか。まさか「考察は”好き”の別表現で、”好き”は売り上げに繋がるからセーフ(作家の事情を汲めるが良いファン)」とかじゃ…
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『月姫』に感動した若き日のぼく。 「俺達も『月姫』みたいなゲームを作ろうぜ!俺がシナリオ書くから、お前がプログラム汲むとか、絵を描くとか…とにかく、その他全部やってな!」
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感覚がないというか「PCで文章書く=すぐそばにエロがある場所で書く」というとこまで思い至らない。あるとすれば「誘惑が多くて、集中できない場所(PC)で書く」だ。やっぱ昔の人(といっても、20歳くらい違うだけ)と今の我々じゃ「文章を書く」ことの重みが違う気がする twitter.com/madanaizo/stat…
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雑誌読んでたら、ポジティブ系自己啓発の先生が「やっぱり人生は「去る者は追わず、来るものは選ぶ」ですよ。「来るもの拒まず」ではなく。長くやってると、色々経験するからね…もうしょうがない」と、妙に弱気なことを呟いてて、なんか不思議な味わいがあった。しかし、コレは案外真理ではないかな。
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「日本のストリートピアノは超絶テクニックの腕自慢ばっかり」「曲芸みたいだ」というの。色々思うところはあるんだが、なんとなく人々の思う「凄い(こういうのが凄いプレイだ)」のイメージがどんどん貧困化してるんじゃないか…みたいな印象はちょっとかある。「凄い」が二種類くらいしかない感じ。
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宮崎駿が「もしハクが千尋の横にいなかったらどうなった?」と聞かれた時に、「『千と千尋』はそれを受け入れることのできる人の映画。そこまで疑う人のじゃない」と返した話が好きで何度も引用してるのだが…最近大事なのは「範囲を限定したから完成させることが出来た」の方かも、と思うようになった
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MAPPAのアニメに批判的に言及した相互氏が、好き者に「何かを批判する時は、最低限のリスペクトを~」と絡まれてるのを見て、「最近の若者は批評を嫌う」的な話は大げさになり過ぎたな、と思った。彼らは「自分の好きなものを批判してほしくないだけ」だけで、別に批評全般に関してはどうでもいいんだ
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前も書いたが、我々は「価値観をアップデート」してないオッサンを笑うが、彼らが今も古い価値観を持ってることには、それなりの理由や合理性があるハズでさ。それを理解しないままオッサンをネタにしてると、自分が年取ってその「価値観」の意外な合理性に気付いた時、簡単に転ぶ=オッサン化する気が
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大谷翔平が膝をつきながらホームラン打った時に、「マジで野球やめたくなった。あんなの競技違う」と溢した選手がいたじゃないか。芸術家は同業者の傑作を見たら、すぐ「最高さ!凄く刺激を受けたよ!」とやるけどさ、本当に凄いものを見た時はコレ(やめたくなった…)が一番正直な反応だと思うんだよ
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地元の美術館行ったら「時には自分にしか分からない文章や絵を書くことが、芸術家の癒しになります。貴方も疲れた時は一度やってみては?」みたいな解説で、同じ記号や言葉を延々書いただけの作品が展示されてた。ソレを見た時「『シャイニング』のコレ↓、単に疲れてただけなんじゃないの?」と思った
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「金がない」という現実は、人からモノを考える能力を奪うからヤバいのよ。どんどん「アレか、コレか」的な極端な考え方しか出来なくなる。以前読んだ犯罪の本に「殺人を犯すヤツは要するに極端&単純なんだよ。何かあるとすぐ”死のう!”か”殺そう!”になるんだ」とあって笑ったけど、今は全然笑えない
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近所のオッサン…というか爺さん。最近会うたびに同じ話(近所の別のオッサンの悪口)ばっかしてくるから、いい加減ウンザリして「ソレ、前も聞きました」と言ったたら、「そんなことは俺も分かってるんだよ!人を馬鹿にするな!」とキレられて、超ビックリした。毎回同じ話をしてる自覚はあったのかよ
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「偶然と出会う~」は坪内祐三が小林秀雄を評して言った言葉。小林秀雄はよく「自然に作品を見るのが正しい!」と言うが、彼の「自然」にはコレだぞ。学生時代に一日五冊(学校に行くまでに読む本A、学校にいる間に読む本B、帰る時に読む本C)読んでた奴のソレだ。俺達凡人が真似しても仕方ないぞ、と
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前も書いたけど、学生時代。500円もあれば1冊文庫本が買えて、それで半日は潰せた。よく「暇潰しに本を読んだ」というけど、俺は高校の頃「時間を潰すため」に本を読んでた。「早く今日が終われ」とか思いながら読んでたんだ。特に新潮文庫。今でも新潮文庫本に触れると、その頃の虚無な感じを思い出す