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作品を味わうにも「教養」がいるからね、という奴はこういう単純なものを見落とすからイカン。〇〇鑑賞はね、常に身体的行為なんですよ。
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俺は芸術家の役割の一つに「”こんなふざけた人間が世の中にいていいのか””こんなにふざけてるのに破綻なく暮らしていけるのか”を、作品や生き方で示す」があると思うんだけど、本作や『また沼で溺れてみたけれども』を読むと「今は女性のオタクの方がよっぽど”芸術家”っぽいよなぁ」とは感じなくもない
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『オタク女子』「なんか楽しそうだし、面白そうだからやってみる」みたいな言葉が何度か出るんだけど…俺はこの「楽しそうだから、まずはやってみよう」から始めて、どこまでいけるか。或いは「楽しそう」から始めて、どこまで人は立派になれるかを「芸術家」に示して欲しいと思ってたんだよね。昔は。
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でも今は一部のオタクの方がよっぽどそれをやってるよなぁ、と。いや、あんまり性別云々言うのもダメなんですけどね。
でも、深刻過ぎて始められない人とか、最初から最後まで軽いノリ(楽しそう)で全然成長しない人とか…そういうのは自分のまわりを見ても(ここで終わり)
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「藤木タツキや野田サトルの漫画は映画を参考にしてる」というより、「(日本)映画は今やそれ自体で進化するのをやめた。映画は面白い漫画やゲーム等を作るための”参照元”に堕ちてる」が本当だと思う。そしてその堕ちた(日本)映画界が、かつての日本映画を参考に作った漫画を映画化する…というがね
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「韓国の作り手達は国の援助を受けてやってるから不純だ。日本の作り手は成功してないけど、貧乏でも自分の力だけやってるから純粋であり、その点で韓国作品より遥かに偉い」みたいな発想なんだろう。で、俺はこの国のお偉いさん達も、このオッサンと同じ発想を持ってるんじゃないか…と疑うんだよ。
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前も書いたけど、数年前飲み会で「最近の韓国は映画も音楽も凄い」という話が出た時、一緒にいたオッサンが「韓国は国が作り手に金を出してるから(ニヤニヤ」と言ったことがあったんだ。このニヤニヤが不思議だったんだが、多分彼の中で「自分の力だけで成功する者こそ本物」的な発想があったんだろう
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北野武は「俳優が上手く演技出来ない時はどうする?」と聞かれた時「正面から俳優を撮っていた場合は、横から撮るようにする。それでダメなら最後は遠くから撮て、それでOKにする」と答えていた。北野組の撮影は雰囲気がイイ…という話を以前聞いたけど、監督のこういう考え方もソレと関係してるかもな
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カメラがどんどん逃げちゃうんだ、っていう。
あと、なんかの時に「映画作りは編集が一番楽しい」とか「編集が一番大事」とも言っていたので「撮れた映像」にそんなに重点を置いてない…というのもあるのかもしんない。
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コレもなんかで話してたけど、淀川長治に自分の映画を見せると、そういう「ここはもう”この程度”でいいか…」的に撮った場面が全部バレるらしい。「淀川が〇〇をこう酷評をした」みたいな話よりも、こういう話の方がよっぽど「淀川、怖い…」と思う。
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前も書いたけど…
『レディ・プレイヤー1』はよく言われるように「”現実”の大切さに気付く物語」ではなくて、「自由で楽しい空間」を維持するためには「具体的な現実の場所」が必要で、その「場所」を守るためには、人間は時に「現実」の中で戦う必要もあるんだ…という物語と思う。
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前、福田和也が「今の若い人はPCで論文を書くんでしょ。で、PCの中にエロ画像とかいっぱいある。エロと同じ場所で文章が書ける感覚が分かんないんだよ。俺、机の上を片付けてからでないと文章書けない」と言ってて、軽く衝撃を受けたな。俺達には「エロと同じ場所で文章書くのは嫌」という感覚すらない
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感覚がないというか「PCで文章書く=すぐそばにエロがある場所で書く」というとこまで思い至らない。あるとすれば「誘惑が多くて、集中できない場所(PC)で書く」だ。やっぱ昔の人(といっても、20歳くらい違うだけ)と今の我々じゃ「文章を書く」ことの重みが違う気がする
twitter.com/madanaizo/stat…
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『サイゾー』最近イケメンヤクザが登場するのが少女漫画が増えてるけど、その理由は「最近は壁ドンを含めた”愛ゆえの強引な言動”もハラスメントと言われる。でも相手がヤクザが”ヤクザなら仕方ないか…”となるから」とあって、笑っちゃった。最近の米国映画がやたらゾンビを敵役する(?)のと同じかな
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ここからは俺の考えだけど、世間には案外「小説や映画の楽しみ方が分からない」という人は多いと思う。どうやって楽しめばいいか分からない人がね。そういう人に「このコツを押さえれば楽しめるよ」と教えることには大事だと思うんだよ。でもそれは「そうしたら貴方の世界が広くなるから」とかじゃない
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いいアウトプットする技術があるなら、いいインプットする技術もある、というね。
で、この「昔は自分も(名作)小説が読めなかったが、”面白く小説を読むコツ”を理解したら読めるようになった」「自分はその面白く「読む」ための技術を伝えるたい」という考え方。俺は今凄く重要だと思うんだよね。
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こういう時に俺が思い出すのが、山田航氏のこの文章なんだよね↓。自分は「小説=物語」が苦手だ。でも「小説家や小説ファンは「物語」というものの価値を無邪気なまでに疑っていなくて、そのノリがどうも苦手」という。こういう人が今、案外多いと思うのだ。
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そういう人に「これはここを押さえれば楽しめるんだ。”その程度のもの”だ」とやることは意味があると思うし、また映画・小説好きもある種の「無邪気さ」を反省するいい機会になると思うの。
どのみち「読む」より「書く」方が大事…という考えにはどっか穴があるに違いない
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ちなみに例の「倍速視聴」の話。俺は倍速視聴する人達がスゲー嫌なのだが、もしそれが「俺は映画の見方が分からないのだ。楽しみかたが分からない。でも倍速なら楽しめる」というものであれば、一回考え直した方がいいかな、とも思ってる。(手っ取り早く情報が得たいだけの人は知らん!)
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ツイッター。俺みたいに「体系的な知識は持ってないし、専門的な勉強もしてないけど、少しだけ持ってる小難しい知識を披露したい。半端な存在のまま難しい議論にいっちょかみしたい」人間には凄くイイ場所だったんだよね。もし、今後ツイッターに変わる新しいSNSが出来ても、この感じは消える気がする
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ツイッターは文系(NOT体育会系)が集まる場所。言葉を使うのが上手い奴が尊敬される場所だから、「言葉の暴力」の怖さ、厭らしさが見逃され過ぎと思う(言葉を上手く使えない人に対する見下しがマジで酷い)。で、言葉も暴力であることを隠して、体育会系の人物を「暴力はケシカラン!」と言葉で叩く
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押井守の「日本人にSF映画は作れない。客は”非日常”を求めているのに、日本人俳優を見た瞬間に”日常”に戻されるから」発言が、宮崎駿の「日本人はわざわざデカイ画面で日本人を見たいと思ってない」発言が思い出される。結局日本人にとって実写映画は「(金を払うに値しない)日常の延長」ではないか