どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(古い順)

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どうも私は映画を「うぉぉぉ!五億点!大大大大傑作!」的にオオゲサに褒める人を見ると、この泣き女を連想するんですがね。マニアはこういう大げさな呟きを嫌うけど、彼彼女が大興奮し(たフリをし)てくれるから、マニアも安心して「で、この演出は…」と考察とやらを披露できる面もあるのではないか
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で、だ。 定期的に議論になる「批評家はケシカラン、いや素晴らしい」的なのも、案外コレに似た部分があるのではないか。ここまで定期的に盛り上がる話題は、何か別の存在意義があってもおかしくないよ。俺達は互いにディスりあうことで、結果的に「自分の仕事」を上手くやれる面もあるのではないか…
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単純に好きなものを貶されたくない、という人の気持ちもわかるが、そこをヘンに汲んで「正直駄作と思うし、好きにもなれない作品だが、好きな人も結構いるから貶すのやめよう」とやると、そのうちマジで「好きになれないが、好きな人は結構いる駄作」ばかりになるので、俺はこれからもダメなのは貶すよ
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雑誌読んでたら、ポジティブ系自己啓発の先生が「やっぱり人生は「去る者は追わず、来るものは選ぶ」ですよ。「来るもの拒まず」ではなく。長くやってると、色々経験するからね…もうしょうがない」と、妙に弱気なことを呟いてて、なんか不思議な味わいがあった。しかし、コレは案外真理ではないかな。
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宮崎駿が「もしハクが千尋の横にいなかったらどうなった?」と聞かれた時に、「『千と千尋』はそれを受け入れることのできる人の映画。そこまで疑う人のじゃない」と返した話が好きで何度も引用してるのだが…最近大事なのは「範囲を限定したから完成させることが出来た」の方かも、と思うようになった
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コレは私の観測範囲内なんだけど、オッサンがネトウヨになるとか、陰謀論にハマるとかしても、オッサンが抱えてる仕事の問題が解決すれば、あっさりフツーに戻ることがあるんだよ。多分それは仕事のストレスとか、そういうのがハマる要因としてあって、オッサンの本質?とは関係ないものだったんだな。
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どうも最近は映画や音楽聴くよりも、近所の川の流れをじいっと見てる方が満足度が高くてイカンな。川の流れの方がフィクションより面白いと感じてしまう。いや、実際大したもんですよ。自然の動きは。俺、死ぬのかな。
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前も書いたけど、「芸術家が成熟して、山や川の美しさに気付いてしまい「美術はもういい」となるパターンは多い」という話。最近分かりますもん。逆に言えば同じ山や川を何度書いても飽きない芸術家は、そういう「芸術はもういい」となる、山や川の美しさが見えてるワケよ。その目こそ彼らの天才の証だ
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以前「絵が下手な人が、明らかに自分で興奮しながら書いてる特殊性癖絵が好きだ。下手なぶん「俺はコレを描きたい!」という、書き手の心が絵にうつるからだろう」と書いたのだが… 残念ながらAI絵の登場によって、この「下手な作者の心が絵にうつる現象」は失われてしまったようだ。実に嘆かわしい
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物書きは「書くことが含む”悪”や”暴力性”に自覚的でなきゃダメ。書くことは対象の姿を歪めもするから」とよく言うけど、大江健三郎なんかは「人は忘れることで生きていける。だから書く=記憶・記録に残すことには何らかの”悪”が含まれてるのではないか」と言ってて。俺は大江の方が正しいかな、と思う
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「作品を褒めるのは…貶すのは…」ということより、「あの作品はここは良いがあそこはダメだ」「出来はいいが、思想はアウト」みたいなのが伝わりにくくなってる方がマズイと思う。駄作は全編ダメ、傑作は全編イイ、みたいな感じで。「マーヴェリック」だって、他国を攻撃するのは…で揉めたじゃないか
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以前、ある映画評論家が「僕は良い映画を見た後は何故か電車に乗れない。必ず歩いて帰る」と言っていた。私は彼の気持ちが分かる気がする。良い映画を見た後に、電車で見知らぬ他人と一緒に同じリズムで揺られるのはカナワン。こういう時は自分のリズムで映画を反芻し、考えたいのだ…ということだろう
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宇多丸さんが『神は見返りを求める』評で言った、「自分の人間的キャパを超えて“いい人”たろうとする、その危うさも描いてる」みたいな言葉が地味に刺さってる。歳を取ると「俺は自分が思うほど善人でも親切でもないから、そのキャパを見極めないと最後は自分も周囲も傷つくぞ」となることが増えるのよ
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そして、何が悲しくて、自分で「俺はこのくらいしかいい奴じゃない、親切じゃない。つまりは”この程度の人間”だ」をチェックせにゃならんのだ、となるんだよ。でも、今までずっと子供をやってた中年が歳を取るってのはこういうことらしいぞ。この手の作業をさぼらずにやることらしいぞ。ちくしょうめ。
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↓ボブ・ディランが面白いことを書いてたよ。今スマホで『サンセット大通り』を見ると、この台詞が皮肉で笑えて来るって。確かに映画は「小さく」なった。ノーランが撮影で本物を飛行機壊したりするのは、迫力を出すためなんかではなく、太古に滅んだ「大きな映画」を蘇らすための呪術行為に違いない…
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Twitterのインテリ達。そのうち、赤信号に対しても「俺が進む権利を妨害している」「これは一種の暴力だ」「これに誰も抗議しないことが、日本人の飼い慣らされた精神を表してる」「若者は社会の規則を内面化して、それを善と勘違いしてる」みたいなこと言いそうな気がする。ミソもクソも全部暴力さ。
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昔、親戚に傲慢で見栄っ張りで意地が悪いのに「私はいつか婦人牧師になる!」と言ってたオバサンがいたな。当時は「あんな性悪なのに神様信じてるのか」とバカにしてたが…歳とるとなんか分かるな。あのオバサンはオバサンなりに自分の糞さに苦しんでて、それに寄り添ってくれるのは宗教だけだったんだ
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↓先日鍵垢氏が「歳をとると「こういうのが””新しい”作品だ。”面白い”作品だ」の”新しさ”や”面白さ”に飽きてくる。そうなると段々「昔好きだった作品を再読したら、新たな良さが分かった」「初めて良さが分かった」みたいな体験が面白くなってくる。こっちは飽きないんだ、と呟いてて「成程」となった
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映画マニアたるもの。「Aも傑作、Bも傑作、CDEF全部傑作!みんな違って、みんないい!」という人達に対して、「お前らは気の弱さを良心か何かと勘違いしてるのだ」と吠えるだけの蛮勇さは欲しい。
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エブエブ、後半で娘の方が「母さん、アンタの気持ちはわかった。でも私たちは分かり合えないし、私はアンタといるとツライ。だから別々の道を行こう」と言ってるのに、母が「でも私は諦めない!」とやる「感動」的な場面。正直「ひぇぇ」と声が出た。肝が冷えたよ。あそこは結構ホラーだったんだけど…
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米国人の…というか、米国映画でよくある「家族(本物であれ、疑似的なものであれ)は無条件でいいものだ」という感覚が本当に理解できない。というか、米国人も本当にいいものだと思ってるのかな。あれだけバンバン離婚しておいて。
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前も書いただけど『スターシップ・トゥルーパーズ』。今の映画好きは作り手の意図を知ってるから、これが「プロパガンダ映画のパロディ」と分かる。でも当時の客の大半は「大戦中に作られたプロパガンダ映画」がどういうものか知らない。ならそれはパロディとして機能しないのでは?という話が好きでさ twitter.com/madanaizo/stat…
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↓推しブームだからか、「好き」に関する分析や批評は増えたけど、案外「楽しい」というものに関する言説は少ない気がする。でも俺はこっちの方が重要だと思うんだよ。「楽しい」は時に嫌いなもの相手(事務作業とか)でも可能だから。だから「あ、こういうのも〝楽しい〟か」となる言葉が増えていいよ
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「己のナイーブさを他人を叩く根拠にしてはいけない。」というか、彼彼女が他人を叩く時だけ、積極的に「ナイーブな僕」「傷ついたオレ」を狙いに行ってるのが、なんか腹立たしいんですよ。いや、腹立たしいというか、白々しい。「ナイーブ」な奴がそんなやたらめったら他人にウザ絡みするはずないだろ
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↓昔自殺する馬の話を読んだことあってさ。高貴な血筋の馬は責められて疲労困憊すると、もっと自由に呼吸するために自分の血管を噛み破るのもいると。闇バイトで「自分の将来性や尊厳と金銭を交換する」若者もこの自殺と同じでは?という気がする。「俺にも自分の尊厳を捨てる自由くらい残ってる」的な