どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(古い順)

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「キルケゴールは生涯友がいなかった。そんな彼にとって散歩とは、他人と暮らすことができない男が人と交わる術、束の間の出会いや、漏れ聞こえる会話から人の温もりを浴びる術だった。町は彼の応接間だったのだ」という文章(要約)が好きでね…俺も似たようなもんだから、散歩の度に頭に浮かべてるよ
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加藤典洋が「世の中には「分かる、分からない」の他に「俺にはどうでもいい」という立場もあるんだ。それも凄く重要なんだ。だから「分からない」時に「俺は頭が悪いから、分からないんだ…」と思わないようにしろ。それこそが頭の悪い考え方だから」と書いてて、これは本当にそうなんだろうな、と思う
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(定期)今の特撮映画に必要なのは「我々には何もわからないよ」と言ってるだけなのに、何故か妙にカッコよく、見てる方も「そうだ、この「わからない」という謙虚な態度こそ、怪獣映画においては正解だ」と不思議な説得力を感じてしまう「平田昭彦”力”」だ。コレさえあれば演技力なんか問題じゃない。
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昔、国語の教科書批判で「みんなで一緒に読むより、一人で孤独に読んだ時の方が生きる小説を載せるのは如何なもんか」「夜読むべき小説を昼に読むことで、子供は「これが”小説”というものなら、俺には必要ないな」と思うかもしれないぞ」みたいな指摘があって、コレはコレで一理あるかもな、とは思った
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あと、谷川俊太郎の詩を載せた教科書を「ひらがなが多いから確かに子供でも読める。でも内容は明らかに大人にならないと理解できないものだ。それを「子供でも読めそう」とホイホイ載せるから、「詩=わからん=俺には必要ない」という奴が増えるんだ」と批判してる人がいて、コレも一理あるよなぁ、と
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↓SNSやってると感覚狂うけど、本来、映画を見て感想を言う必要とかないからな。ましては上手い感想を言う必要はもっとない。基本的には見てる間だけ「ぐあぁぁ~ときて、心臓とかバクバクいって」るだけで、十分なんですよ。つまり「心臓がバクバクい」っただけで、感想とか特にないのも「普通」。
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大江健三郎が若い頃「一人の肉体労働者がいる。彼は仕事を終え、家に帰り、飯を食って、ベットで一時間くらい本を読んでる時に「あぁ、人間というのは威厳を持った存在だ」と感じる。労働をしてる時ではなく、寝床で本を読んでる時に感じるんだ」と、どこかで言っていた気がする。コレは本当だと思うよ twitter.com/madanaizo/stat…
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修学旅行中の学生が美術館の芸術品を壊した事件。あの時「”その気になれば簡単に破壊できる”危うさがあるからこそ、芸術は魅力的なのだ」と言った人がいて、なるほどと思った記憶がある。よく話題になる「演劇が怖くて見れない。俺が叫んだら一瞬で台無しになる事実に耐えられない」も似たようなもんだ
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「始まってもないのに騒ぐな」「決まったことに文句言うな」「やってるに最中に水を差すな」「終わったことを蒸し返すな」を上手に使いこなせる人。人生において一度も主役であったことがなかった人、って感じがする。
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「30過ぎたると感性が衰える」とかじゃなく、今の社会で「社会集団の一員となろうとする若い時期」は十代から二十代くらいでしょ。オッサンは既にある集団の一員となってるなら、自然に音楽を聴かなくなる面もあんじゃない? で、SNSのボンクラ達は30過ぎても居場所がないから、今も新しい音楽を…
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前も書いたけど「人は30過ぎると新しい音楽を聴かなくなる」という話があるでしょ?あれ、ある本に「音楽には社会的な役割もある。集団作業の効率を高める、他者と情動的な絆を築く…だからこそ、人は社会集団の一員となる若い時期に音楽を好むのではないか」と書いててさ。多分この逆がその答えと思う
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30代前半までは「学校帰りによく行った店」とかが取り壊されても平気だった。でも最近は恐ろしい。多分昔は「別の場所で思い出を増やせばいい」「生きていれば自然に思い出は増える」と思い込んでたから、別に怖くなかったんだ。でも40に近づいて「もう思い出は増えない」と悟るとね、変わる。ホント
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近所のオッサン…というか爺さん。最近会うたびに同じ話(近所の別のオッサンの悪口)ばっかしてくるから、いい加減ウンザリして「ソレ、前も聞きました」と言ったたら、「そんなことは俺も分かってるんだよ!人を馬鹿にするな!」とキレられて、超ビックリした。毎回同じ話をしてる自覚はあったのかよ
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「同じ話を何度もする(痴呆気味の)老人は「同じ話をすること」で、心の平和を得ているのだ。だから絶対に話を途中で遮ってはいけない」という話は知っていたのだが、同時に「当人には同じ話をしている自覚はない」とも思ってた。だから爺さんに「自覚があったこと」にスゲーびっくりしたよ。
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いや、ホント。同じ話を何度もしたいならツイッターがベストですよ。俺が言ってんだから間違いないよ。実生活で同じ話を繰り返すヤツは哀れに思われるだけだが、ツイッターならだれも気にしない。その同じ話が時にバズったりするからな。何度も同じツイートをして、自分らしさってやつを獲得しようぜ。
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今度行った美容院のお姉さん。「趣味は旅行!でも有名な観光地へ行くのは好きじゃないんです。海で本を読むのが好きなんですよ。友達はハワイまで来て本読むな!と言うんですけど、ハワイで読む太宰と、日本で読む太宰は味わいが違うんです!」みたいなことを熱弁してて、気が合いそうだな、と思ったよ
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「SWはポリコレのせいでつまらなくなった」という人は、「ポリコレさえ取り除ければ、また偉大なSWが生まれるはず」と信じてる時点で、おめでたいというか、現実が見えてない。『最後のジェダイ』のカジノ都市場面を見ろ。あのツマンナサは「政治的正しさ」と全く関係ないぞ。『夜明け』は言わずもがな
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SNSでも実生活でも同じと思うが…他人に攻撃的な人に限って、ちょっと皮肉を言われただけでブチ切れる傾向ある気がする。「普段あれだけ他人をやっつけてんだから、それくらい受け入れろよ。なに被害者ヅラしてるんだ」と思うが、本当は逆なんだろう。普段から被害者意識が強すぎるから、攻撃的なんだ
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昔、自転車でアメリカ横断した知人…の知人が「大自然の美というが、本当はそんないいもんじゃない。恐ろしいもんだ」と言ってたな。でもそこに少しでも人間的なものが混じると、一瞬で温かみのあるものに変わるとも。荒野は恐ろしいが、そこに一軒家が見つかると、荒野自体を美しく感じるようになると
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昔『世界の中心で、愛をさけぶ』が流行った時に、「こういう本で泣く奴は、自分に甘い。自分と世界の区別がついてない。つまり、本当の意味で「他者」にあったことがない。他者とは〜」と長々書いた評論家が、後にセクハラで訴えられたのを見た時は、「お前のいう「他者」ってなんだったの」とは思った
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アラン・ムーアの「12歳の為の作品に大人が並んでいる。単純な現実を望むのはファシズムの前触れ」発言は、ワリと言葉通りに捉えたんだけどな。どんなに漫画の内容が複雑になっても、所詮現実の複雑さに比べば「屁」みたいなもんじゃないか。それをあたかも現実の事件そのものにように語るのはダメ、と
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ちなみにサルトルの「飢えた子供の前で文学は有効か?」に関しては、中島梓がコレに嚙みついた文章が好きですね。実際子供は食事ばかりに飢えるんじゃない。「ここではない、どこか別の世界の物語や価値観、知識」に飢えることもあるよ。自分もそうだった。子供の頃の自分は本を食って生きていたと思う
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前も書いたけど、川端康成。戦前の文芸評で「私は女流作家を読むのが好きだ。文学的感銘が薄い場合にも、寧ろそんな場合にこそ、女のありがたさとでもいうべきものが味わえる。それを文学の甘さとみればつまらないが、女の甘さと見ればありがたい」と書いててさ。いやぁ、やっぱ本物は違うなぁ、となる
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『SPY×FAMILY』「面白い」を目指した作品というよりは、「平均的読者&視聴者が絶対不快にならない作品、平均的読者&視聴者が想定する「面白さ」の範囲を決して超えない…でも、その範囲内は完璧な演出を目指した作品」な気がする。だから普通の「面白い・ツマラン」の基準がイマイチ当て嵌まらん気が
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「好きなことがない、と嘆く若者が多い」という話があったが、こんな時こそ、「好きなことがあるとね、挫折が出来るんだ。好きなものがあれば、才能がなくても挫折くらい出来るんだよ。コレは素晴らしいことだよ。好きなものがない君達は、挫折すら出来ないワケさ」と、「挫折」の価値を推すべきと思う