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偶然と出会うためには教養がいる。教養がある奴だけが、たまたま目に入った本だかDVDを自分の運命の一冊一本に変えることができる。その偶然を必然に変えることができるのだ。坪内祐三が確かそう書いていた。渋谷TSUTAYAへ日課のように通う映画マニアたち。偶然と出会えるように頑張ってくれ。
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俺としてはかなり直な下ネタ(に関する)ツイートをしたつもりなんだけど、文章が下手すぎて「なんかいいことを言ってる風のツイート」になってしまった。こんなにのびていいのだろうか。俺的には「リョナ絵はちょっと下手な方がいいネ。ヘタにうまいと逆にヌケねぇよ」みたいな話をしてるんですよ?
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普段年がら年じゅう「ロックは死んだ」「いや、死んでない」と議論しとるオッサン達は、秋元康が『好きというのはロックだぜ!』を書いた時は少しは怒ったんですかね。俺はコレ、本当にあんまりだと思ってるよ。みんなが「好き」をやたらめったら美化して、甘やかすから、こんなことになるんや。
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「教養」という言葉を弄んでしまったので、一応貼っておこう。教養は能力や知識の問題ではない。「教養は文化が自己にあてがう価値や規範の問題」だ、という話。
そして大正時代の昔から、教養主義批判こそが「教養」であり、無邪気に教養主義が賛美された時代はほとんどない…(『グロテスクな教養』 twitter.com/madanaizo/stat…
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SNS論客はどんな本を読んでも、結局最後は「いつも自分がしてる話」にもっていく。要は本をダシにしたワケだ。凄く安易に。そんな時に大学の先生の書いた書評読むと「ちゃんと本のことが書かれてる!書評ごとに違う話をしてる!」と感心する。で、感心した後にSNS見ると、論客達の幼稚さにゲンナリする
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…みたいなツイートを前に見て(すぐ消えた)「書いてる側からすればそうもなるよな」と思ったよ。
あと、作品に対して不誠実な態度なのに、自分では「俺は世のインテリにない誠実さがあるのさ」「著者より俺の方が倫理的さ」みたいなツラをしてるのが、イラつくんだよ、とか。そういうのもありそう。
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「人をコンテンツとして見るな。画面の向こうには生身の人間がいるんだ」とよく言われて、俺も「そういうの大事だよ」とも思うけど… 少しだけ「でも人間って、存在自体がちょっとだけコンテンツなんだよ。存在要素の中にフィクションが含まれてんだよ」とも思う。なので俺の呟きは好きにするがいいぞ
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よく映画好きの間で「日本映画はやたら人物が泣くのが嫌だ」という話が話題になる。俺も嫌いなのだが、先日「親友が死んだ時は泣かなかった。歳をとると泣けなくなる。泣かない自分が悲しかった。だから映画で人が死んで泣く場面があるとホッとする」みたいな話を聞いて、そんな見方もあるのかとなった
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「泣かせる演出がうざい」とか「現実だと意外と泣かないもんだ」ではなく、「こんな時は泣くのが人のあるべき姿ではないか。だから、現実はともあれ、映画の中では泣く人を見せてほしい。そのことで人が死んでも、家族に去られても泣けない自分(案外多いのでは?)を癒して欲しい」ということなのかも
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俺も震災の映像を見てもヘラヘラするタチだが、同時にそのことを後ろめたくも思っている。そういう人は案外多いだろう。だから、そんな彼彼女のために「震災の映像を見て人が泣く場面があるドラマ」を作るのだ…とかも、あるのかもしれない。
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宇多丸の「映画を見て泣くのが好きという人は、泣きたいという感情を弄ぶのが好きなだけじゃないの?」という嫌味が好きなのだが、同時に「別にええやん」という気にもなる。映画から刺激される感情なんて、本物の怒りや悲しみに比べたら全部偽物。一時的なものだよ。それを垂れ流して何が悪いっていう
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「一本の映画を見るというのは非常に困難なことなんです…それは現実にものを見るということです。冗談ではありません」
「映画を見るということは、登場人物と一緒に涙を流すことではありません。これは本当に重要なことです。もしもこのことがわからなければ、何もわかっていないということになる」
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「みなさんが映画を見ていると思う時には、映画を見るのではなく、自分自身を見ているのです…映画を見るというのは非常に稀なのです」とね。
この前Kindleunlimitedでよんだ柳下さんの本に引用されてたペドロ・コスタの言葉。さすが、いいこと言うね。私のTLだとこっちの方が支持されそう。
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「天皇の声は私の想像を絶していた。それまでに私はあんな声を聞いたことはなかったし、あんな調子で語る人間に会ったこともなかった。もしかするとあの時だけ、私は天皇は人間ではないと思ったのかもしれない」
(敗者は映像を持たない 大島渚著作集 第二巻)
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正直Twitterにコミュニケーションを求めてないので、最近の「スペース利用してみようや!このアカ、アンタと気が合いそうやで!」的なノリで「他人と繋がること」を押してくる感じが凄く嫌だ。世の中には「ちょっとした考察や、偶々耳にした面白話を披露したい」という理由でSNSをやってる奴もいるんだ
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俺は友達がいないのは平気なのだが「友達がいないと人生損するよ(このゲームはみんなでやるものだから!)」とか言われるとスゲー焦る。挙句の果てに「友達がいない人は痴呆になる」と聞くと「友達いないと人生詰むとか、あんまりじゃねぇか」となる。はやく友達いなくても損しない世界になってほしい
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最近「好きというのはロックだぜ」「好きをなめるな」「好きをつらぬけ」みたいな作品が多いのだが、ああいうのを見る度に「感情を商売の道具にするな」と思ってしまう。正直SNS上で感情がコミュニケーションの道具と化してることもモヤるのに、商売になるともうついてイケない。本当にコレでいいのか
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世の中には「お互いに好感を持ってるけど、この関係を”友達”と呼ぶと何かが失われてしまう」とか「ソレには好意を持っているが”好き”というと、ちょっと違うものになってしまう」という、微妙な物事も沢山あると思うのだ。で、感情が商売の道具になる昨今。私はこの「微妙さ」こそを保護&擁護したい。
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みんな。「人間は生きてるだけで偉い」的な言葉が好きなくせに、やたら他人と繋がりたがる。本当に「生きてるだけで偉い」んなら、独りでシコシコ生きてても大丈夫なハズじゃないか。もっと好きな言葉に対して責任持て。君達の「心の闇」はその程度か。そんな簡単に他人と共有できる程度の「闇」なのか twitter.com/madanaizo/stat…
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「心の闇が…」云々言われるが、実際は「心の闇」を作ることに失敗した人を問題とすべきではないか。人はきちんと「心の闇」を作るのが大事なのに、SNSはいたる所で「本音」がダダ洩れの状態。今や「心の闇」は蒸発してしまった。そのツケが到るとことで出ているのだ…という話もあるそうですわ。一応 twitter.com/madanaizo/stat…
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俺。『ダークナイト』初見時、ジョーカーが次々悲惨な過去をでっちあげる描写に拍手したんだよ。アレを見た時「コレで〜〜な理由で私は悪人になりました…可哀想でしょ?」みたいな話は減るだろうな、と思ったんだよ。だのになのに、変なとこで他の映画に影響与えてるくせに、ここは真似されなかった。 twitter.com/madanaizo/stat…
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現実の特徴は「つまらなくて、無駄に長い」なので、映画がシリーズ化されたり、ドラマ化されたりすると、それだけで現実に似てしまう(無駄に長い、の部分)からマイナス。
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「〇好きじゃなくて、〇好きな自分が好きなだけだろう?」
「それの何が悪い。私は〇を好きな自分が好きだし、〇と真面目に向き合ってる時だけ存在する自分の魂の形が好きなのだ」
という話が好きで、俺も映画や本に真面目に向き合ってる時だけは、自分が結構好きな気がする。真面目いいよ。真面目
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「もやしもん」の中に「美味い酒をちゃんと味わいたい時は、お客さん側にだって最低限の努力はいるよ。心配事を片づけてからくるとか」みたいな話があって、それが印象に残ってる。多分映画や本好きの中にも「ちゃんと楽しむための最低限の努力や工夫」はいるはずで。そういう話を俺はもっと聞きたい。